~趣味の世界~
フジミ1/700特シリーズの航空戦艦伊勢です。


外箱。ハセガワの衣笠の箱よりわずかに大きい、戦艦キットらしい大柄な箱です。


伊勢は伊勢型戦艦の1番艦。日本独自の設計(とはいってもまだ多くは英国式の設計の流用ではあった)として36cm砲を12門と強力な砲火力を持つ戦艦として建造された扶桑型戦艦がいざ運用をしてみると様々な不具合が露呈したため、3・4番艦として建造される予定であった伊勢・日向はその改良型の伊勢型戦艦として再設計されました。1915年に起工し、就役は1917年。その後戦間期において幾度かの近代化改装を受けるものの、太平洋戦争の頃には運用思想の変化から同時期に建造された通常型の戦艦と同様にやや持て余し気味になっており、伊勢より旧型で火力は劣るものの速力に勝る金剛型の方が多く出番があった有様となっていました。そんな折、ミッドウェー海戦において4隻の正規空母を失った日本海軍はその補充として他艦種から空母への改装を行う中、伊勢型戦艦も空母への改装が画策されます。しかし工期や予算的な都合から部分的な改装に変更、丁度この直前に2番艦の日向の5番砲塔が事故により損壊していた事から、艦の後半に航空甲板を架装し多数の水上機を運用できるように1942年12月に改装が開始され、翌9月に完成。予定では水上偵察機「瑞雲」と艦上爆撃機「彗星」(彗星は発艦のみ可)を搭載とし、このために第634航空隊も編成していましたが、戦局に変化から航空隊のみフィリピン方面へ転出し、結局航空機を実戦で搭載し運用する機会はありませんでした。その後1944年10月のレイテ沖海戦に搭載機の無い状態で専ら「戦艦」として参加、対空戦闘で戦果を挙げました。11月には使い途の無くなったカタパルトを撤去し、「北号作戦」のためシンガポールへ向かいます。翌年2月、航空甲板下の格納庫に物資を満載し、「半分戻れば上々」とされた帰路を奇跡的に無傷で本土に帰還します。その後は燃料不足から呉において浮き砲台とされ、7月24日の呉軍港空襲時に直撃弾を受け、曳航作業中であった28日に更なる爆撃により遂に大破着底します。
キットは1944年9月30日に墳進砲を装備し、11月1日にカタパルトを撤去するまでの間、1944年10月の、レイテ沖海戦前後の仕様となっています。


大きい箱にぎっしりと詰まるボリューム。多い!小さな紙にあるようにバラストは省略されています。



説明書。やや説明不足気味なのは相変わらずですが、念入りに確認を怠らなければ何とかなります。


パーツは多いので分割して撮影。まず船体・艦底・甲板。


パーツM・N・P・R・S。


パーツ(H・I・J)、(E・F)、(E・F・G)
パーツT
パーツU、I。


透明パーツ(K・L)、Q、そしてデカール。


今回は更にフジミ純正のエッチングパーツも用意しました。


説明書。分かりにくい・・・


エッチングパーツはおそらく真鍮製。番号を間違えないように注意しましょう。
139の長いハシゴ状のパーツは説明書に使用指示がありませんが、適宜の長さに切ってキット説明書④のP20や、⑨のP11・P12の代わりにすると良いでしょう。


物量がすごいので筆塗りではやってられません。スプレー塗料で32軍艦色2を塗ってしまいます。


甲板と艦橋基部のパーツ上面のみを44タンでスプレー塗装。


エッチングパーツは全体にメタルプライマーを塗り、32軍艦色2をスプレー塗装しておきます。作業中にパリパリ剥がれがちになりますが、あとでレタッチしてやれば良いです。


艦底パーツや船体はわずかに反っていて中央部が浮き気味になっているのをバラストの重みで誤魔化せないため、艦底パーツの上面に船体パーツや甲板パーツの下面と干渉しない位置にランナーを貼りつけて補強してみました。きちんと水平の出ている台の上でキッチリ接着乾燥させてやれば効果はあるようです。(完成後もテーブルの上で艦底がピッタリと接地しています)


3パーツを接着し重しをしているところ。


甲板上の細かいところの塗装をしたところ。艦底パーツは最後まで無塗装のまま。なんか・・良い色だし・・・


甲板の色を木甲板らしくするためエナメルフラットブラウンを薄めて面相筆で前後方向に描くようにして色をつけます。木甲板は考証が人それぞれにあり、「これが正解」というものは無いと思います。思い思いにイメージに近づける方法を各々で模索してみて下さい。


艦尾の上に乗るパーツの下面に本来あってはいけない「川」状の突起が付いていますが、何で付いてんのコレ・・・削ってしまいましょう。


格納庫部分を接着。船体との噛み合わせでやや隙間が開きがちなのでしっかりと輪ゴムで縛って圧着。


航空甲板はコンクリート製だったらしく、終戦直後に撮影された日向の航空甲板が爆撃でバキバキに割れているカラー映像がYoutubeなどにあります。説明書では31軍艦色1の塗装指示になっていますが、持ってなかったのでニュートラルグレーで塗ったものの、もっと明るい色の方が良かったかも。


航空甲板を接着し、エッチングパーツの軌条を貼ります。面に対し垂直に細切りを接着するうえ、何かと触りがちになる位置なので気が付くと1本無くなってる事も・・・


ラッタルはたくさん使用します。段の部分を全部曲げるのは大変だし失敗リスクも高いので無理だと思ったら段が斜めのままの状態で使う決断をしましょう。特に艦橋後面に大量に付くラッタルは細長く、段を曲げるのに失敗して段を脱落させてしまう方が見栄えが悪いです。


艦橋、煙突、後部艦橋などを組んでゆきます。煙突の周りは元のプラパーツだと筋交いなどの部分が塞がっていますが、エッチングパーツに置き換えると内部がよく見えるようになり印象がかなり変化します。


砲塔やカタパルト、小艇類を取り付けてゆきます。小艇類は後に取り付ける手摺に干渉しない位置に置くように注意します。


艦橋と煙突一式が組みあがりました。この部分と煙突一式は接着を後回しにしておくと作業性が良いです。


後部マストは大部分がエッチングパーツに置き換わります。雪風の時に大苦戦した13号電探は2つも組まなくてはなりませんが、超丁寧に組んだので何とかうまくゆきました。


パーツの取り付けが完了。あとは細かいところの塗装とウォッシングだけ。


時期的に航空機を搭載していないので航空甲板には航空機を置かない事にしておきますが、折角の瑞雲と彗星なので1機ずつ組みました。透明パーツなのでパーツ紛失が怖いため、ランナー上で一旦塗装してからの方が安全。ただしキャノピーだけは塗らないように注意。彗星はどうも空冷エンジンに換装された彗星33型のようなので、エッチングパーツのプロペラの上にプラパーツのプロペラを切り飛ばしたスピナー部分だけを取り付けて水冷の彗星っぽくしてみました。




航空甲板をエナメルニュートラルグレーで、他はいつも通りフラットブラック、ジャーマングレー、フラットブラウンで気持ち薄めにウォッシングして完成。



エッチングパーツも戦艦サイズともなれば物凄い量だったので完成までみっちり作業しても何日も掛かってしまいます。それだけに完成してしまいさえすれば感慨もひとしお。



スキルの低さと雑な性分ゆえに寄って見れば荒がかなり目立つのですが、これ以上のものを組むのはもう無理かも…



各部を観察。主砲はビッカース1908年型14in砲を国産化した45口径四一式36cm連装砲が金剛型、扶桑型に次いで搭載されています。竣工時には6基12門あり、後の改装で主砲仰角が拡大されるなどの改良がされていますが、航空戦艦への改装時に5・6番砲塔が撤去されて最終的には4基8門となっています。


艦橋。元は金剛型や扶桑型と同様に高い三脚型のマストに籠型の構造物が複数載せられていていましたが、増設に増設を重ね「パゴダ・マスト」と呼ばれる形態を成しています。構造物の合間に元々の三脚型マストが垣間見えます。
2段目の甲板の左右側面にはケースメイト副砲として50口径三年式14cm単装砲が合計20門(甲板上に砲塔式で2門を含む)装備されていましたが、航空戦艦への改装時に全て撤去されています。


煙突付近。機関は当初石炭・重油混焼缶24基により45,000馬力を発揮し、煙突も艦橋直後から2本並んでいましたが、重油専焼缶8基80,000馬力に換装されると前側の煙突が撤去され、扶桑型と同様に1本煙突になりました。高角砲も竣工時には40口径三年式8cm単装高角砲を4基装備していたものが後に40口径八九式12.7cm連装高角砲に置き換わり、航空戦艦への改装時には更に4基が追加されて8基16門に増強されました。


後部艦橋周辺。扶桑型からの改良点として主機の真上にあった3・4番砲塔が後方へずらされて背負い式に並び、また甲板も低められて重心低減がはかられています。カタパルトは偵察機搭載のため呉式2号射出機が1基装備されていましたが航空戦艦への改装時には重量のある瑞雲・彗星の射出を行うためより大型の一式2号11型射出機を2基設置しています。しかし搭載機の転出により航空機搭載の目途が立たなくなり用を成さなくなったためレイテ沖海戦の後に撤去されてしまいました。


航空甲板。伊勢では搭載機は水上偵察機「瑞雲」14機、艦上爆撃機「彗星」8機が搭載され、全て台車に乗せられて格納庫から甲板上を軌条に沿って移動させられます。後部艦橋の直後には揚弾機があり、兵装は甲板上で装備されます。瑞雲は甲板左のデリックで水上から吊り上げられますが、艦上機である彗星は射出のみを行い、作戦後は陸上基地に着陸するか、使い捨てとなります。


航空甲板後方の左右舷には12cm28連装噴進砲が6基装備されています。この噴進砲は砲とはいっても実際にはランチャーであり、四式焼霰(しょうさん)弾と呼ばれるロケット弾(通称「ロサ弾」)を28発発射するロケットランチャーです。ロサ弾はランチャーから打ち上げられると上空炸裂し金属粒をばら撒く対空兵器です。射程が1500mと短かく無誘導のため艦対空ミサイルのように敵航空機に直接ぶつけられるようなものではなく、花火のようなものであまり実用的ではありませんでしたが、レイテ沖海戦においては巡航速度で進行し敵爆撃機が急降下を開始したら急転舵して爆撃コースを外させる、という回避戦法の補助として活用されました。


後部艦橋のマスト上には13号電探が2基装備されています。対空兵装としては九六式25mm機銃が1937年の改装時から装備が進められていましたが航空戦艦への改装時には同3連装機銃が合計31基装備されました。


伊勢型戦艦ではミッドウェー海戦と並行して行われていたアリューシャン方面での作戦時(1942年5月)に伊勢には21号、日向には22号の電探がそれぞれ装備されテストされており、伊勢には後に22号電探が艦橋頂部左右に1基ずつ計2基装備されました。21号もそのままではなく、改良されて再装備されています。






艦上爆撃機「彗星」(上画像左)。彗星は空母艦載用の小型の艦上爆撃機で、特徴として水冷エンジンである「アツタ」を搭載しているため機首形状が流線型を成しています。伊勢型航空戦艦に搭載するにあたり初期量産型の彗星11型又は改良型の彗星12型を元にしてカタパルト発進のため機体を強化した「彗星22型」が専用に用意されました。しかしキットでは何故か機首形状が大戦末期に整備性改善のため空冷エンジン「金星」に換装された「彗星33型」の形状を成しています。


水上偵察機「瑞雲」。零式三座水上偵察機の後継として戦闘爆撃機の要素も盛り込まれたマルチロール機です。ただし機体重量が零式三座水上偵察機よりやや重く、その多くとセットで用いられていた呉式2号5型射出機では射出できないため、大型の射出機をもつ一部の艦での使用か、水上基地からの運用が主となりました。



扶桑型戦艦「扶桑」と。


準同型艦のため部分的には似たところも多いです。


扶桑といえば特徴的なパゴダ・マストと呼ばれる艦橋ですが、伊勢では複雑になっている分太くなったので安定感があります。


扶桑型戦艦も伊勢型同様に航空戦艦への改装が企図されましたが結局はキャンセルされています。



画像上から金剛、扶桑、伊勢。


全長は金剛が一番長いですが、艦橋の高さは扶桑が一番高いです。


3艦とも戦艦ドレッドノートがそれまでの戦艦を時代遅れにした直後の時期に、いかにドレッドノート級を超えるかを競うように建造された戦艦でしたが、最後に活躍した時期にはすでに「戦艦」そのものが時代遅れという時代。


次は長門型だな・・・


@@@




キット難易度的には金剛ほどすんなりとは組めないけど扶桑よりは組みやすいかな・・・でも単に慣れただけかな・・・実際は扶桑と同程度かな?という感じ。エッチングパーツ込みだと難易度は跳ね上がりますが、じっくり丁寧にやれば何とかなる・・・かなあ?
日向や航空じゃない戦艦の伊勢を組みたい方はハセガワのをどうぞ。
タミヤ1/700ウォーターラインシリーズの軽巡洋艦五十鈴(いすず)です。


外箱は巡洋艦サイズですが厚みが無く、ピットロードの駆逐艦キットの箱とサイズが近いです。ウォーターラインシリーズの長良型はフジミの担当だったため、フジミが抜けた後ラインナップを補う形でタミヤが1993年頃にモデルアップしたものです。長良、名取、五十鈴、鬼怒がありこれらはフジミも古いキットをそのまま現在も売っていますが、五十鈴だけは2隻セットにしてリニューアルされています。一方タミヤの方ではモデルアップされていなかった阿武隈を追加しています。最近になって由良が変則的ではありますがアオシマから「劇場版 蒼き鋼のアルペジオ -アルス・ノヴァ- DC 霧の艦隊 軽巡洋艦ユラ」として発売されましたが、中身はタミヤ製で同シリーズのナガラにパーツを追加したもののようです。


五十鈴は長良型軽巡洋艦の2番艦。長良型軽巡洋艦は「5500t型軽巡洋艦」に含まれる大正年間に建造された水雷戦を重視した高速軽巡洋艦で、前型である球磨型と船体形状を同じくしながら装備を進化させた改良型です。五十鈴は1923年に就役。しかし太平洋戦争の頃には旧式化が否めず当初は小規模な作戦に従事、やがて戦局が進むと前線に駆り出されてゆき、時には第二水雷戦隊を率いて各地を転戦します。1943年12月に損傷のため本土へ帰還すると、かつて計画はされたものの棚上げされていた「防空巡洋艦」としての改装が行われます。1944年9月に改装が終了するとレイテ沖海戦を戦い、11月に輸送任務に従事中に米潜水艦の雷撃を受け損傷、スラバヤで修理を行います。1945年4月に修理が終わるとティモール島などの陸軍を撤収させる「二号作戦」に従事、多数の敵航空機の攻撃をかいくぐって任務を遂行するさなか、4月7日にスンダワ島を出航後に米潜水艦「ガビラン」と「チャー」の雷撃を受け沈没します。


箱の薄さ相応に内容も少なめです。


説明書。甲板の塗装指示がやや説明不足に感じます。


主要パーツ群。ランナー一枚と船体、艦底、バラスト、シール。静模のディテールアップパーツは付属しません。


艦底パーツには1973の刻印があります。その上に書かれている31316は球磨の品番なのでこのパーツは球磨型のものを流用しているようです。


船体パーツの方には1993の刻印がありますが、併記されている31322は長良の品番なのでこのパーツは長良と共通のようす。


それでは製作開始。艦底パーツにバラストを乗せ、船体と接着・・・する前に、魚雷発射管周辺の塗装をしておかなければなりません。


魚雷発射管の置かれている部屋は前後に壁がありますが下はバラストが銀色に輝いているので32軍艦色2で塗っておきます。


船体と艦底パーツを接着。パーツ合わせは接着剤を流すためにわざわざ開く必要があるくらいピッタリしています。次はウェルデッキ。


ウェルデッキにかぶせるパーツはやや合いが悪いので前後の隙間を埋めてやりたいところです。


甲板後半に取り付けるセルター甲板にはリノリウム押さえモールドがなぜかここだけ無いので伸ばしランナーを貼ってやります。余った伸ばしランナーで上のウェルデッキ前後の隙間も埋めました。このセルター甲板もやや合いが悪くて前方の甲板との間に隙間が開くのでその部分にも伸ばしランナーを貼って埋めてやると良いでしょう。


甲板とセルター甲板をリノリウム色として43ウッドブラウンで塗装。


残りを32軍艦色で塗り、艦底部分を29艦底色で塗ります。


パーツを取り付けてゆきます。タミヤのキットらしく作業性は良好。ただしリノリウム押さえモールドが邪魔をして艦橋や煙突などのパーツがピッタリとしない傾向にあるので、パーツが乗る部分のリノリウム押さえモールドは削ってやった方がスマートかもしれません。


パーツを載せ終えたところ。タミヤ製は楽だね・・・


さてキットにはやる気のない造形の単装機銃が付属するのですが、説明書には取り付け指示がありません。折角なので取り付けておきたいもの。


ググって他所の作例を見るに、単装機銃の個数は5挺。艦首に1挺、2番砲塔跡地の左右に2挺。


セルター甲板後端の左右の下甲板に2挺。ところでこの船体パーツは長良と共通のため後甲板には機雷敷設軌条がついたままなのですが、五十鈴には本来ありません。ハセガワのキットだったらここは「削れ」って指示になってるかも。リノリウム押さえモールドと交差しているので実際削るとなると結構大変かもしれません。




エナメルフラットブラック、ジャーマングレー、フラットブラウンでウォッシングして完成。



三連装機銃の防弾版とか、色々不足気味ですがパリッとしているタミヤらしいキット。



船体側面もそれなりにモールドがあるので低い視点からの見た目も悪くありません。



各部を観察。防空巡洋艦としての改装の際に元々装備されていた50口径三年式14cm単装砲は7基全部が撤去され、跡地には3基の40口径八九式12.7cm連装高角砲が設置されました。この高角砲は対空・対艦両用砲であり、同じ12.7cmでも駆逐艦用の50口径三年式12.7cm連装砲より初速・射程が劣るものの半自動装填により連射速度が高く、毎分14発(三年式12.7は10発)。大は大和型戦艦、小は松型駆逐艦など多くの艦に搭載された砲ですが、実際の運用では砲架の旋回速度が遅く航空機の速度に追従できないなど能力不足だったと言われています。後継砲として「長10cm」こと65口径九八式10cm連装砲ならば多くの点で性能が上回っていましたが、それもまた生産性が低く数を揃えられなかったのかもしれません。


艦中央部。長良型までの5500t型軽巡洋艦の特徴的な3本煙突。その後方には2番砲架があります。その下になる左右舷には魚雷発射管の横穴があり、ここには八年式連装魚雷発射管がありましたが改装により九二式4連装魚雷発射管に換装されており、九三式酸素魚雷の使用も可能になっています。


艦後部。セルター甲板上の砲塔やカタパルトは撤去されており、後端の7番砲塔跡地に3番砲架があります。後部マストには22号電探と13号電探が装備されているのが確認できます。


右舷に回り艦尾。五十鈴は改装時に対空だけでなく対潜能力も強化されており、セルター甲板左右から艦尾にかけて敷かれていた機雷敷設軌条を撤去(キットでは残っています)し、艦尾に爆雷投下軌条を2条設置しています。他、爆雷投射機や水中聴音器・探針儀といった各種ソナーも備え、これをもって改装中に対潜掃討部隊である第31戦隊の旗艦に編入されていましたが、結局は対潜掃討任務に就く事はありませんでした。


再び艦中央部。防空巡洋艦らしく対空機銃も多く搭載されており、九六式25mm三連装機銃が各所に11基、単装機銃が5挺装備されています。


艦橋頂部には特徴的な21号電探が装備されています。マストと1番煙突の間の甲板の位置には1段下がったウェルデッキとそこに鎮座する連装魚雷発射管がありましたが、改装によりウェルデッキは埋められて兵員室となっています。余談ですがこの兵員室はその真下にある機関の熱のために蒸し暑く居住性が非常に悪かったと言われています。



同じ長良型の3番艦・名取と。


名取は五十鈴とは違い通常の改装のみ行われ最後まで「普通の」軽巡洋艦でした。キットはフジミのもので羅針艦橋の窓がシールだったりとかなり古さが目立ちますが、所々雰囲気はタミヤのものに負けていない部分もあります。


艦中央部の比較。長良型では当初艦橋下の格納庫より前に伸びる滑走台を利用して艦載機を発進させていましたが、五十鈴に「萱場(かやば)式艦発促進装置」と呼ばれる、スプリング式のカタパルトが装備されて発艦試験が行われ、後にその装置は由良に移設されて4年間の長期運用試験が行われました。結局は鬼怒→神通で試験されていた火薬式のカタパルトが主流になり、名取には火薬式の呉式二号カタパルトが装備されています。(五十鈴は改装前にカタパルトを装備していたのかどうかググってもよくわかりません・・・)


艦尾の比較。名取は最終的には5番と7番砲塔が撤去され、五十鈴と同様にセルター甲板の後端に40口径八九式12.7cm連装高角砲が設置されます。五十鈴の改装前は名取と同様の形だったのかもしれません。(鬼怒などはセルター甲板の形が少し違います)



同タミヤの球磨と。


準同型に近いとはいえ違う型の艦ですが、キットのディテールは全く同じ部分がそこかしこに見受けられ、球磨→長良→五十鈴という流れが感じられます。


艦橋は全然形がちがいますが、どこを見てもそこから五十鈴の形に変わっていく流れが見て取れます。


同じタミヤの長良と並べたら更にもっと似ているのでしょう。



5500t型球磨から那珂までのうち5艦。上から球磨、名取、五十鈴、川内、那珂。



@@@




5500t型のキットはどの艦もそれぞれ年代が変えられていたりして個性が与えられている場合が多く、似ているようでちゃんと違いが楽しめるように感じられます。
五十鈴のキットはタミヤの他にも同スケールでフジミ、1/350でもアオシマが出しており、それぞれに特色があると思います。今回のタミヤの1/700五十鈴は組みやすくパーツ点数も少ないので初心者にもおすすめできるでしょう。ただ少し物足りなさは感じたのでいくつか組んできている方にはフジミの方が向くかも。



ピットロード1/700スカイウェーブシリーズの駆逐艦照月(てるづき)1942です。


照月は秋月型駆逐艦の2番艦。時代が昭和に入り航空機の発達により艦隊の防空を担うための専用の艦が各国で模索され、イギリスにおいて旧式化したC級軽巡洋艦に対空兵装を主体とする防空巡洋艦としての改装を施したのを皮切りに新型艦としてダイドー級軽巡洋艦やアメリカのアトランタ級軽巡洋艦が建造され、日本海軍でも旧式化していた天龍型や5500t型の軽巡洋艦を防空巡洋艦へ改装する案が上がったものの、これらの艦に八九式12.7cm連装高角砲などの砲架は大した数が積めず効果的ではないとし、また多額の改装費をかけてもすぐ老朽化により置き換えが必要になるため新規に建造する計画を立てるものの結局は乗り気ではなく、代わりとして建造されたのが防空駆逐艦である秋月型駆逐艦です。
照月は太平洋戦争中である1942年8月31日に竣工、10月には1番艦「秋月」と共に第61駆逐隊を編成し、その月のうちにトラック島へ進出し第一線へと投入されます。第三次ソロモン海戦において沈没する戦艦「比叡」や「霧島」の救助を行い、その後ショートランド諸島に進出してガダルカナル島への輸送作戦に従事します。第2水雷戦隊旗艦として12月11日にショートランドを出撃し、航空機や魚雷艇の攻撃をしのぎつつ進撃するも魚雷艇の雷撃を受け大破、航行不能となったため乗員を駆逐艦「長波」・「嵐」に移乗後、翌12日に自沈処分されました。照月は秋月型駆逐艦の中では最初に喪失した艦となりました。


箱下面は塗装指示。


NEシリーズや艦底パーツが無く、箱の大きさの割に内容が少なく感じますが、これが元々のボリューム。


説明書。ランナーBとCが間違って記述されているところがあるので注意。(⑥のホーサーリールC24とC25はB24とB25が正しい)


主要パーツ群。というかこれが全部。パーツ点数は一見それなりにありますが余りパーツが結構多く発生します。このランナーには秋月型の後期の艦のパーツ、年代が後の方の装備などもふくまれており、秋月型には使わない12.7cm連装砲などのパーツも多く付属しています。デカールは照月のものしかありませんが、戦中は記名されていませんので実質これで秋月型のどの艦にも組めるようになっているのだと思います。



それでは製作開始。左右分割された船体と前甲板、後甲板で構成されており、艦底パーツはありません。


接着して縛りつけているところ。左右を合わせて甲板を乗せただけだと甲板左右に隙間が開きがちなので接着が固まるまで上と左右から押さえてやる必要があります。


まずはリノリウム色として43ウッドブラウンを塗装。塗装面に油膜が残っていたのか塗料が弾かれてしまったので一旦剥がすハメに。こういう事もたまにあります。(開封後にランナーごと中性洗剤で一旦洗う習慣を身につけておくと安心ですが、面倒だし、中々・・・)


32軍艦色2でそれ以外を塗り、船体側面の下1mmほどを29艦底色で塗装。艦底色で塗るところは線もなにも無いので箱の塗装指示を見て大体の位置を基準に。


パーツを乗せてゆきます。標準的なピットロード品質。難しいところは特にありません。




艦名デカールを貼った後にエナメルフラットブラック・ジャーマングレー・フラットブラウンでウォッシング&スミ入れし、最後に旗を付けて完成。



1942年仕様は武装盛り盛りになる前の時期なのでややあっさり目に感じるかもしれません。



船体側面はハッキリとしたディテールがあるため横からの見た目も良好。



各部を観察。主砲塔は「長10cm」65口径九八式10cm連装高角砲。この砲はすでに多くの艦に搭載されていた40口径八九式12.7cm連装高角砲を小口径・長砲身化したもので、小口径ながら長砲身化により射程の延伸がはかられています。一方で砲身命数が短く、砲塔の機構が複雑で量産に向いていないという欠点がありました。自動装填装置により毎分15発以上の連射速度をもっています。


艦中央部。対空に重点を置く艦のため当初の計画では魚雷装備を廃していましたが、結局は用兵側の要求により九二式61cm4連装魚雷発射管が1基のみ設置され、その後方には次発装填装置も装備されています。秋月型の特徴でもある誘導煙突は分岐が低い位置にあり、周辺の艤装でやや隠れ気味で「夕張」などに較べあまり目立ってはいません。3基の缶から集合されて1本にまとめられています。


艦後部。艦前方と同様に2基の砲塔が背負い式に配置されており、駆逐艦としては多い4基8門の砲門数を持ちます。艦橋頂部と3番砲塔の後ろに置かれた九四式高射装置により対空射撃にも対応しています。


右舷に回り艦尾。Y砲(九四式爆雷投射機)と装填台が2セット装備されており、艦尾左右に6基の爆雷投下台もあります。他の秋月型では後に爆雷投下軌条も装備されており、防空艦とはいえ対潜装備もおざなりにはされていません。


再び艦中央部。艦隊防空としては長10cmが主力ですが個艦防空の要となる機銃装備についてはまだ少数に留まっており、魚雷発射管の直前の架台に九六式25mm連装機銃が2基装備されているだけとなっています。


秋月型の3番艦「涼月(すずつき)」までは竣工時の時点では電探が装備されておらず、照月は喪失が早かったため最後まで電探装備はされていません。照月以外の秋月型では他の型の駆逐艦同様に13号、22号の電探が後に装備されますが、秋月型では大型の21号電探も装備されていました。ただしこの21号電探は重量が重く故障も多めだったためか、これを降ろして代わりに13号電探を装備した艦もありました。



アオシマ秋月(上写真奥側)と。装備状態がほぼ同じで、共に竣工時(1942年)と思って良いでしょう。


アオシマ秋月はウォーターラインシリーズからフジミが抜けた後に補う形で発売されたキットであり、パーツ点数が少なく組みやすい割にはそこそこ形になっているので初心者にもおすすめできますが、さすがにピットロードと比べてしまうとスカスカに見えてしまいます。特に船体側面はディテールアップのしがいがあります。


船体中央部の比較。アオシマの方も短艇のショボさが目立つものの割と頑張ってるように思えます。


ただ、アオシマの方は長10cmの砲身基部に本来無い白いカバーが付いていて雰囲気が違ってしまっているのが惜しいところ。


秋月型は全長が134.2mと駆逐艦としては大柄。小さ目の軽巡洋艦、天龍型(上画像下)や夕張(上画像上)と近いサイズになります。


同じ駆逐艦だと陽炎型(上画像上)や夕雲型(上画像下)が120m弱ですから一回りほど大きくなります。同時期に建造された駆逐艦には他に「島風」がありますが、これも129mとやや大きめになっています。陽炎型・夕雲型を「甲型駆逐艦」、秋月型を「乙型駆逐艦」、島風を「丙型駆逐艦」とも呼びます。甲型は従来通りの艦隊型駆逐艦、乙型は新しい思想である防空型駆逐艦、丙型はやや旧弊な戦術思想からなる重雷装・高速型の駆逐艦であり、要求性能も用途も本来は違う艦です。



@@@




難易度もそれほど高くない割にディテールの濃い満足度の高いキットです。ただもう少し盛り付けたのがいいなぁ・・・という方は年代が1944年以降の仕様のものを選んだ方が良いでしょう。
秋月型はアオシマ、ピットロードの他にもフジミのものもあり、そちらは特シリーズらしい難易度と濃ゆさでしょうから、増し増しなのが良いという方はそちらも気にしてみましょう。
ピットロード1/700スカイウェーブシリーズの駆逐艦漣(さざなみ)です。

以前に朧(おぼろ)~潮(うしお)までの4隻、いわゆる「特ⅡA」は絶版と言った事があったのですが、その後amazonを物色していたら普通に売られていたので早速買ってみました。そして積む事半年ほど、ようやく順番が廻ってきた次第。

漣(さざなみ)は特型駆逐艦の19番艦、特Ⅱ型(綾波型)の9番艦です。特Ⅱ型はⅠ型の12.7cm連装砲塔を対空射撃対応型となるB型砲塔に換装、艦橋を大型化、煙突の左右に置かれていた機関の吸気口を後方を向いたダクト型から、煙突の付け根の周囲に広がるキノコ型に変更される等の変更がなされました。また17番艦「朧」から「曙(あけぼの)」「漣」「潮」)の4艦は煙突の高さが低く、特ⅡA型と分類される場合があります。
漣は1932年5月19日に就役後は第10駆逐隊に属しますが1939年に解隊後、同型4隻による第7駆逐隊を編成、太平洋戦争では真珠湾攻撃と並行して行われたミッドウェー島砲撃を潮と共に行い、その後は南へ北へと各地を転戦します。そして1944年1月、曙と共にラバウルで輸送護衛任務に就いていたところ米潜水艦3隻によるウルフパックの襲撃を受け、その内の「アルバコア」の雷撃を受け沈没します。この米潜水艦「アルバコア」は軽巡洋艦「天龍」、駆逐艦「大潮」を撃沈してきており、漣の後にも空母「大鳳」も撃沈する事になります。


箱は最近のピットロードの駆逐艦キットでは青い共通の箱にラベルシールが貼られているもの。


ディテールアップパーツである「NEシリーズ」が同梱されているので結構なボリューム。


塗装指示。同型艦の潮とコンパチになっています。


説明書。読む要素部分がなぜか敷波の記述になっています。説明書では1944年仕様とされていますが、その割にはもうちょっと前の年代の装備のような気がします。


主要パーツ群。デカールこそ漣と潮のみですが、ピットロードの特型はランナーに付いてるパーツをみる感じでは特型のどの型どの年代にも組めるようになっているようなので、資料を用意しさえすればかなり自由度の高いキットといえるでしょう。


NEシリーズはNE07(特型駆逐艦用?)が2セット付属。



早速製作開始。左右分割された船体と、艦首甲板、それ以後の甲板にわかれています。


仮組み。


まずは船体左右を接着し、甲板上の砲塔や魚雷発射管の取りつく位置に穴を開けておきます。NEパーツの砲塔などの下面のダボは細いので上写真のように大穴ではなく、窪みの中央に1mmドリルで開ければ十分ですが、うまく中央に開けられなかったので・・・


船体後半の甲板を接着。左右のスキマを埋めるべく輪ゴムで巻いています。艦底の面には大型艦用のバラストを当てており、底面の水平も出しておきます。


艦首甲板の後端の辺りは奥まった部分があるので塗装してから取り付けます。


艦首甲板を接着。


艦底パーツを接着して輪ゴムで縛り直し。艦底パーツを取り付けなければウォーターラインモデルにできます。


リノリウム色として43ウッドブラウン、それ以外を32軍艦色2、艦底部分を29艦底色で塗装。


パーツを乗せてゆきます。小パーツの取り付けがピンを穴に挿すような取り付けではなく、台の上に置くように接着する取り付けなのでこういうところは初心者泣かせな部分かもしれませんが、取り付けない場合に穴を埋める必要が無いため、むしろ自由度が高いと言えるでしょうか。


パーツを載せ終えたところ。ボートダビットと内火艇の取り付けがやや手こずる程度で、難易度は大した事ありません。NEパーツの連装機銃も小さいのでこれもやや手こずるかも。


戦中仕様であればデカールは旗だけで十分ですが、コレクションとしては船体左右と艦尾の記名をあえて貼るのも良いでしょう。このあたりはお好みで。




エナメルのフラットブラック、ジャーマングレー、フラットブラウンでウォッシングし、最後に旗を取り付けて完成。



1944という割には艦橋前の連装機銃くらいしか増備されていません。



フルハルモデルなので横からの見た目も立派です。台座は艦底と接する面の中央部を少し削らないと台座の上で船体が安定しません。



各部を観察。主砲塔は50口径三年式12.7cm連装砲塔(B型砲塔)。Ⅰ型のA型砲塔を左右の砲身を別々に動かせるようにし、仰角を40度から75度に引き上げ、対空射撃に対応させたものです。ただし照準装置が対空に十分対応しておらず、また装填時には平射位置に戻さなくてはならないため連射が出来ずあまり実用的ではなかったため白露型以降に装備されるC型砲塔では仰角が55度までに戻されています。また砲室重量もA型砲塔の25.4tに対し32tと重く、重心が高い事による復元性の悪化の原因にもなっていました。
砲塔の後方、艦橋の前には九六式25mm連装機銃が増備されています。


前後の煙突の間と、2番煙突の後方とで3基の十二年式61cm三連装魚雷発射管が置かれています。この魚雷発射管は元々は剥き出しでしたが後に3mm鋼板による砲室が装備され、特Ⅲ型からは標準装備となりました。


艦後方。背負い式に2番砲塔と3番砲塔が並んでいます。


右舷に回り艦尾。3番砲塔の後方にはY砲(九三式爆雷投射機)と装填台が置かれ、更にその後方には爆雷投下軌条があります。


対空兵装は竣工時には毘式12mm機銃(ビッカース12.7mm機関銃)が2番煙突の前に2挺置かれていましたが後に保式13mm連装機銃2基に換装されています。


マスト上にはまだ電探は装備されていません。



同ピットロードの響(ひびき)と。


響は特Ⅲ型であり数々の改良がなされ外観も多少違いますが、起工は同じ日(1930年2月21日)されており、綾波型では一番後に竣工した漣に対し、響は特型駆逐艦の中で最後に竣工した艦です。


特Ⅱ型から特Ⅲ型に至って機関の改良により缶が1基減ったため1番煙突が細くなっているのが特Ⅲ型の特徴ですが、漣の属する特ⅡA型は他の特Ⅱ型に対し煙突が若干低く、響の2番煙突と比較してもほんの少し低いのが確認でき・・・るかな?この他にも艦橋が肥大化の途上にあり、漣と響だけを比べても若干大きくなっています。
漣は1944年初頭の戦没なので兵装はまだ盛り付けられる前の状態ですが、響はおそらく戦争末期、坊の岬沖海戦(1945年4月)の頃の状態でしょうか。


漣はまだ2番砲塔が残っていますが、響は撤去されて3連装機銃2基に置き換わっています。2番・3番魚雷発射管の間にも3連装機銃が架台に乗せて2基増設されているのが確認できます。1944年後半のレイテ沖海戦前に触雷により艦首を大きく損傷した響はレイテの後空襲により損傷した潮の1番砲塔などを利用して1945年初頭に修理がされており、潮は大破状態で終戦を迎えます。


特型駆逐艦手前からⅠ型、Ⅱ型、ⅡA型、Ⅲ型。


@@@



タイプ違いでタミヤとピットロードの特型駆逐艦を2隻ずつ組みましたが、初心者でも安心の組みやすさを誇るタミヤのものもさすがに陳腐化が進んでいて、やはり組み上がった後の状態を比べてしまうと差を感じてしまいます。一方ピットロードのものはやや難易度は高いものの、あくまでタミヤと比べてであり、フジミの陽炎型などに較べたらぬるい部類でしょう。またバリエーションキットも多く、特型駆逐艦の中でもあの艦が欲しい、といったときにもキッチリ目的の艦が組める、痒いところに手が届く商品展開もありがたいものです。

アオシマ1/700ウォーターラインシリーズの潜水艦伊-401です。


むかし伊400の方は組んだ事があったのですが、あまり印象に残っていません・・・
「潜水空母」というロマンあふれる艦種名につられて買ってきた記憶があります。


伊-401は伊400型潜水艦の2番艦。伊400型潜水艦は「潜特型(せんとくがた)」とも呼ばれ、開発経緯には諸説ありますが主にアメリカ本土やパナマ運河を搭載航空機によって攻撃するため、無補給でアメリカ西海岸まで往復する長い航続距離と、航空機の搭載能力が求められました。これ以前にも日本海軍は巡潜型の潜水艦が長い航続距離と航空機搭載能力をもっており、太平洋戦争においてもアメリカ西海岸の基地を砲撃したり、搭載していた零式小型水上偵察機によって爆撃を行ったりはしていましたが、アメリカ国民に「本土を砲爆撃される」という心象的効果はあったものの実際の砲爆撃による戦果は微々たるものだったため、更なる効果を期待すべく、搭載機を高性能な水上攻撃機とし、また搭載数も2機(後に3機)が要求されました。1942年に18隻の建造が計画されましたが戦局の悪化により5隻に変更され、結局3隻のみが完成しましたがすでに時は1945年に入っており、6月にようやくウルシー泊地に居る米海軍の機動部隊を攻撃する任務が与えられ、3隻のうち伊-400と伊-401が攻撃部隊に選ばれました。先行して巡潜型の伊-13と伊-14が偵察機を搭載してトラック島に輸送、伊-13が撃沈されるも伊-14が輸送に成功し、これをもって7月20日に伊-400と伊401は出航し、8月17日に攻撃作戦を行う予定だったものの8月15日に終戦となり、伊-400と合流できなかった伊-401は本土へ引き返し、8月29日に三陸沖で米潜水艦セグンドに拿捕され横須賀へ帰港した後は米軍に接収され、調査のため米本土に回航され1946年5月31日に真珠湾において実艦標的として撃沈されました。


箱下面は塗装指示。図中にもありますがウルシー泊地攻撃時は甲板をガルグレーで塗られていたようなのでかなり印象が変わるでしょう。


昔ながらの小さなサイズの箱にみっちり詰められています。


主要パーツ群。この伊401は近年リニューアルされたキットなのですが、旧キットはどんなんだったっけ・・・


静模のディテールアップパーツ小型艦用が1枚付属。説明書によるとX39(三連装機銃)を3個だけ使用します。


近年のアオシマらしいちょっとダレッとしているもののディテールは多め。



説明書。塗装指示など上からの全体図に書かれている艦首横に生えた動翼はパーツが付属していないのですが、格納された状態でモールドされているので慌てないように。


船体は左右分割された船体側面と、甲板、艦底パーツという構成。


接着します。船体左右の合わせ目が艦首の甲板前方に残りかなり目立つのでやる気があれば消しておくと良いでしょう。


接着したものの甲板周囲などに隙間が開くので大型艦用のバラスト(金属板)に乗せて輪ゴムでグルグル巻きにしてみました。


数時間後に合わせ目からはみ出た接着剤を削り取って塗装。ウルシー泊地攻撃時の甲板色はデッキタンの上にガルグレーを塗るとあるのですが、面倒臭かったのでガルグレーを直接塗りました。


細かいパーツを組み上げてゆきます。さして難しいところは無いのですが、艦尾甲板のアンテナの足の長さが4本バラバラで合いが悪いのと、艦尾左右のパーツがやや取り付きにくいくらいでしょうか。


搭載される特殊攻撃機・晴嵐(せいらん)。主翼をたたみフロートを外されている形と、組まれている普通の形の2つ分が付属します。普通の色の晴嵐は以前組んだので今回はウルシー泊地攻撃時に搭載していたといわれる、米軍機に艤装すべく銀色に米軍マークの付いた姿にしてみました。主翼をたたんでいる方は尾翼をたたんでいない形なので筒型の格納庫には入りません。




エナメルフラットブラウンで甲板にスミ入れし、全体をフラットブラックでウォッシングして完成。



甲板の色は参考になる作例がググっても見当たらなかったのでこれでいいのかなぁ・・・という感じ。



潜水艦のウォーターラインモデルは高さが無くて冴えない印象ですが、伊400型ほどデカければまだそれほどショボさは無いでしょうか。


各部を観察。筒状の格納庫の前方に伸びるのは四式1号10型カタパルト。全備重量が4tを超える晴嵐を射出するための特別製。晴嵐を運用する伊400型と伊13型にのみ装備されていました。2号カタパルトのように火薬式ではなく、圧縮空気を利用するタイプです。


司令塔の前面には格納庫の扉があり、その後方へやや下へ傾斜するように筒状の格納庫が内蔵されています。格納庫の上の甲板には3基の九六式25mm三連装機銃が3基、同単装機銃が1挺装備されています。


後方の甲板上には潜水艦用の40口径14cm単装砲が設置されています。


艦尾。ウォータラインモデルでは分かりにくいですが伊400型の船体は上部に大型の格納庫と司令塔を置く必要があったため安定性の確保のため2本の筒を横に並べた内殻をもつ構造となっています。


格納庫内には3機の晴嵐を並べて1列に格納します。


「潜水空母」として知られる伊400型ですが、潜水艦らしく艦首には8門の53cm魚雷発射管をもっています。


特殊攻撃機「晴嵐」はフロートを外し主翼を後方へ、水平尾翼を下へ、垂直尾翼の先端もたたんだ状態で格納庫に格納されており、出撃する際はカタパルト前で組み立てます。1機あたり数分で組み立てられるように設計されており、3機を20分以内に出撃させる事ができました。ウルシー泊地攻撃時は結局出撃させる事はなく、国際法違反となる偽装がされていた伊-401搭載の晴嵐は機密保持のため作戦中止して帰還する際に海へ投棄されました。また座乗していた潜水艦隊司令も米潜水艦による拿捕後に自決しています。



ピットロードの伊54型潜水艦・伊-58と。


巡潜型潜水艦には元々零式小型水上偵察機1機を格納する格納庫とそれを発艦させる呉式一号四型射出機が装備されていましたが、伊54型潜水艦では省略されています。


格納庫の有無のためかなり印象が異なります。


艦尾。伊-58は回天搭載のため14cm単装砲は最初から装備されていませんでした。誘導魚雷のはしりである回天をはじめ魚雷装備に特化した、現代でいう攻撃型潜水艦である伊-58と、航空機により拠点を上空から攻撃するための発進母艦といえる、現代でいう弾道ミサイル搭載の戦略型潜水艦のはしりである伊-401。



@@@




伊400型は潜水艦の中でも人気の高い艦ですが、やはり潜水艦はフルハルの方がいいなぁ・・・
アオシマからは1/700で今回のウォーターラインモデルの他にもフルハルモデルも出ているので、興味のある方は好みで選ぶと良いでしょう。


3  4  5  6  7  8  9  10  11  12  13 
カレンダー
03 2024/04 05
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30
プロフィール
HN:
DD
P R
カウンター
ブログ内検索