~趣味の世界~
ハセガワ1/700ウォーターラインシリーズの重巡洋艦古鷹です。


買ったのは龍田、北上、最上と同時で結構長らく積んでしまいました。追加で3つほど仕入れたので消化してゆきませんと・・・


古鷹は古鷹型重巡洋艦の1番艦。米海軍のオマハ級軽巡洋艦(排水量7200t・152mm砲12門)に対し日本の5500t型軽巡洋艦(14cm砲7門)では対抗できないとして、オマハ級と同等の排水量に20cm砲6門を搭載する艦として計画されました。設計には5500t型と同時に実験的に建造された軽巡洋艦「夕張」のコンセプトが生かされており、小型の船体に重武装という点も同様でした。日本海軍では7000tを境に上を一等巡洋艦、下を二等巡洋艦と分けており、7000tを超える艦となるため一等巡洋艦として「古鷹」「衣笠」が計画されましたが、川内型二等巡洋艦でキャンセルとなった「加古」が繰り上げとなって1番艦となり、当初は「加古型一等巡洋艦」として1922年11月に起工、古鷹も12月に起工します。(衣笠は一旦キャンセルされ、後に青葉型の2番艦となります)そして1926年に竣工間近だった加古は事故により竣工が遅れたため、古鷹が先に1926年3月31日に竣工、何故かこの時は先に竣工した艦を1番艦とする取り決めがされ、加古型改め古鷹型とし、古鷹は古鷹型の1番艦となりました。
一方で1922年のワシントン海軍軍縮条約では巡洋艦のカテゴリ分けを排水量10000t以下・備砲を8インチ(20.3cm)以下とし、更に備砲を6.1インチ(15.5cm)を境に上を重巡洋艦、下を軽巡洋艦としていましたが、保有制限は特に設定されていませんでした。しかし1930年のロンドン海軍軍縮条約では重巡洋艦の保有制限が設定されました。これは日本の古鷹型から始まる重巡洋艦グループが欧米の巡洋艦が長距離を航行するため居住性が高く優雅だったのに対してあまりに戦闘的であったために危機感を感じたからとも言われています。
竣工後の古鷹はまず川内型軽巡洋艦と混成で第五戦隊を編成、美保関事件では僚艦の神通・那珂が衝突により損傷して離脱すると、その頃丁度竣工してきた古鷹型の改良型である青葉型との編成となりました。その後は編成中の1艦が予備艦として抜けたり再編されたりして第六、第七と戦隊も変遷してゆきます。1937年に近代化改修が行われ、青葉型に近い兵装へと改良されます。
太平洋戦争がはじまると古鷹型・青葉型の4艦で第六戦隊を編成してグアム島、ウェーク島、珊瑚海、ミッドウェーと最前線で戦いますが、一方で味方艦の損害や沈没も目の当たりにする事になりました。
1942年後半のガダルカナル島における戦いでは重巡洋艦鳥海を旗艦として第一次ソロモン海戦に参加、味方と誤認した敵重巡洋艦を一方的に壊滅させるなどして勝利をおさめますがその撤収中に僚艦の加古が潜水艦の雷撃により沈没してしまいます。
10月のサボ島沖海戦では先の第一次ソロモン海戦と似た状況が敵味方逆転して起き、夜間に味方と誤認した敵艦隊から集中砲火を浴びる僚艦青葉の退路に続いた古鷹は青葉をかばう形で集中砲火を浴び、1942年10月12日に沈没します。


中身に対し箱はややだぶついてる印象。


全体のボリューム的にはほどほど。山盛りでもウンザリするし(ご褒美ともいえますが)少ないと物足りないし。これくらいが丁度良い塩梅。


説明書は大きい縦長の1枚紙。二つ折りにすればウチのスキャナで読めるのですが折り目が微妙に欠けるので三分割して合わせてあります。


パーツA、B。ハセガワらしい浅くて繊細なモールド。


パーツLとNは1枚にまとめられていて同じものが2枚あります。
パーツC、
パーツK。


静模のWパーツが1枚、
バラストを艦底パーツに貼る両面テープ、バラスト。
バラストは付属しないキットが増えてきました。


デカール。加古と共通のようです。



それでは製作開始。船体は左右分割ですが、ハセガワに多い艦首側の継ぎ目が片側にハッキリ出てしまうちょっと嫌な仕様。


またハセガワのキットはモールドを削れ、穴を埋めろが多い・・・


接着後、輪ゴムで縛ったところ。そこそこ大きいので当て板をしなかったせいかわずかに船体中央底面が浮いてしまっています。


リノリウム色として43ウッドブラウンを塗装。艦橋にもリノリウム色指定の場所があるのでそこも塗装しますが、5層目の屋根部分もリノリウム色でいいの?他の人の作例見ると塗ってあるか、艦橋全部リノリウム無しかどっちか。どうせ実艦のカラー資料なんて無いので好き好きにやればいいのですが・・・


32軍艦色2でグレー部分を塗ります。


マスキングして29艦底色を側面だけ塗ります。底塗るのはフルハルモデルだけでいいやん・・・


構造物を載せてゆきます。細い煙突→その回りの構造物→集合煙突→艦橋の順で載せないとどれかを引っぺがす事になります。


次々と載せてもう完成間近。後部マストのデリック(クレーンみたいなの)が接着が固まるまで垂れてきちゃうのと、煙突に付く小さな煙突が定着が悪い(こっちは片方飛ばして失くしました・1個だけならWパーツで予備が作れます)のがちょっと苦戦したところでしょうか。


搭載機は定数2機で、九四式水上偵察機・九五式水上偵察機・零式三座水上偵察機の3機種から2機種を選択するようになっています。説明書だと九五式と零式水偵推奨っぽいのでその2つを組みましたが、実艦の写真では九四水偵2機が多いような・・・


滑走台などがパーツで付いておらず直付けでは高さが合わないのでフジミ伊勢の余りパーツを利用。


艦上に配置しますが、九五水偵がどうにも窮屈。デリックと干渉しやすいのでデリックは真ん前を向けずに左斜め前を向けておいた方が良いでしょう。



エナメルフラットブラックをメインにジャーマングレーとフラットブラウンも使ってウォッシングして完成。



ハセガワはタミヤなど他社では艤装をオーバーめに形作るのとは対照的に、小さめに形作る傾向にあるので甲板上はややスカスカした印象になりやすいのですが、これは思いのほかスカスカ感はそれほどでもない印象。



乾舷が低く薄い船体上にいっぱい載ってる感が古鷹型らしさだと思うのですが。よりらしさを追求するなら艦底パーツを付けずに更に低くするのも面白いかもしれません。


各部を観察。主砲塔は当初50口径三年式20cm速射砲を単装で6基並べていましたが、この砲は人力装填のために連射速度の維持に難があったため後に機力装填の2号20cm砲E2型連装砲塔3基に換装されています。青葉型と同じになっただけに見えますが、青葉型の砲塔はC型なので古鷹型の連装砲塔の方が新型のものです。


艦中央部。副砲として40口径三年式8cm単装高角砲を装備していましたが近代化改装時に45口径十年式12cm単装高角砲に換装されています。太平洋戦争時には他の12cm単装高角砲を積んでいた重巡洋艦は鳥海を除き大抵は45口径八九式12.7cm連装高角砲に換装されていたのでやや旧式装備だったのは否めません。


艦後半。甲板がやや傾斜して見えますが、艦橋周辺と後部マスト周辺で下り坂になっており艦尾で一番低くなっている、軽量化のための工夫。
魚雷は当初一二式61cm連装舷側発射管で12門(どういう積み方だったのかググってもよくわからない…)でしたが射界に問題があったため九二式61cm4連装魚雷発射管1型を2基8門に換装、発射管の前には次発装填装置も見えます。その後方中央には航空艤装があります。


右舷に回り艦尾。艦後半には武装が連装砲塔1基だけですが元々はその前方の小さなフライングデッキの上とその前のカタパルトの真下辺りに単装砲塔がありました。


航空艤装。2号射出機とその後ろに2条の軌条が敷かれた小さなフライングデッキがあり、その後ろに吊り上げ用のデリックがあります。竣工時にはまだ射出機が無かったので4番砲塔の上に滑走台を展開し、そこから滑り降ろしていました。
上画像では小型複葉の九五式水上偵察機と、ポピュラーな単葉の零式三座水上偵察機が搭載されています。零式水偵の前型ともいえる中型複葉の九四式水上偵察機も使用されていました。


古鷹は太平洋戦争の早い時期に戦没したためまだ機銃はせいぜい九六式25mm連装機銃が4基と少なめ。


竣工時は35ノット出ていた速力は安定化のために取り付けたバルジの抵抗により33ノット弱まで落ちていました。8000tほどだった排水量も最終的には1万トンを超えていたようです。



青葉型重巡洋艦・衣笠と。


青葉型は古鷹型の改良型で準同型艦ともいえる艦型であり、古鷹も青葉型に近い装備に近代化改修されているので似てはいるのですが、較べてみるといろんなところに違いがあります。


似てはいるけど同じところが無い、というくらい違います。ただし妙高型への繋がりみたいなものは何となく見えるような気がします。(魚雷発射管の上にフライングデッキが付いた事で魚雷発射管が艦内装備になった点だとか…)


船体形状はほとんど同じなのであまり艤装の無い艦尾付近も似ていますが、やはり「同じではない」に尽きます。剥き出しの魚雷発射管のほぼ真上で火薬式の射出機で飛行機バンバン飛ばすところは「危ねぇ・・・」という印象。


元になったといわれる夕張と、船体規模が似ている阿賀野型軽巡洋艦・矢矧と。


夕張に関しては「そんなに似てるかなぁ?」という感じですが、阿賀野型はフライングデッキ辺りが青葉型に似ているものの後部マスト回りは古鷹型の方に似ています。


古鷹型から妙高型へ。妙高型は一回り大きくなり砲塔も増えてより戦闘的になります。



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日本の重巡洋艦が一応各型揃いました。でもまだいくつか集める余地がある気がしますね。例えば同型準同型が戦争序盤にさっさと沈んだ中で修理と改修を繰り返して終戦間際まで生き残った青葉、忙しくて改装する暇もなくほぼ竣工時の姿のままだった鳥海、一方で対空魔改造された摩耶・・・もう少しこのままブームが続けば、古鷹型も竣工時とか出るかもしれませんし。ししし。

コトブキヤのフレームアームズ・ガール 迅雷(じんらい)の塗装をします。
成型色に特に不満はないので部分塗装にとどめます。


説明書の塗装指示を参照して塗料を用意し、混ぜて調色します。


ただし部分塗装にとどめる場合は成型色に合わせるため、説明書の配合と割合が違う事があります。インナーレッドは説明書の配合より白が少な目だったのか、1ホワイトが多少残ってる瓶に色を投入していったら大量にインナーレッドが出来上がってしまいました。


出来上がったインナーレッドを塗ります。腹前と二の腕外側は目立つので塗っておきたいところ。


背中のバックパックの下の部分と、後ろに突き出たマウント部分もこの色になっています。マウントは穴の中まで塗らない方が良いでしょうか。


装甲レッドは白ベースにすると赤を大量に混ぜる必要があり、四苦八苦してたらシャインレッドが尽きてしまいました・・・マホガニーは探したけど持ってなかったので艦底色で代用しましたがレッドブラウンでも良いでしょう。で、これまた結構な量が出来上がったものの塗る部分は腰前の左右の部分だけ。


装甲ブラックは迅雷の場合こげ茶色になります。装甲レッドを作る過程で大量にできてしまったピンク色をつや消し黒に少量混ぜてそれっぽい色を作りました。カップコーヒーのフタを再利用した塗料皿で作りましたが、このくらいでも余る程度の使用量だと思って下さい。装甲ブラックは特に背中と腰左右の下端の部分だけでも塗りたいところ。

胴体ピンクは腹前後の目みたいな部分ですが、説明書によるとシルバーを塗ってその上にクリヤーピンクを塗るという要領のようです。面倒ならただのピンクで十分。


一応90シャインシルバーを混ぜてみたものの、クリヤー塗料に混ぜるのでなければほとんど他の色に溶け込んで銀色が消えてしまいます。で、やはりほんのちょっとしか使わないのにこんなに大量に作る・・・


髪はいつも通り影になる色を作ってうすめ液でシャバシャバにしてスミ入れウォッシングの要領で塗ります。ガイアカラーの046クリアーブラウンが丁度良さそうだったので早速うすめ液でシャバシャバにして使用。やっとまともな出番が出来たわこの色。


エナメル塗料と違いラッカー塗料ではグラデーションというよりシミっぽくなりがち。境界で濃くなったところはうすめ液でうすめ拡げてやれば目立たなくできますが、あくまでも「目立たなくはできる」というもので、あまり近くで見ないでね!レベルの仕上がり。まあこの上につや消し吹くし・・・


デカールは最低両肩前面と額の3か所に貼りますが、成型色無塗装の上に貼っても定着しにくいのであらかじめクリヤーを薄く塗っておきます。


ウェザリングマスターHのピーチを頬に擦りつけてチークを掛けます。


お好みの加減で擦りつけますが、上写真の中央二つくらいの具合でとどめた方が失敗しにくいです。掛けすぎても拭えば薄められますが、左端くらいに濃いまま上につや消しを吹くと少し浮き気味になってしまうようです。


デカールをクリヤーを塗った部分の上に貼ります。


デカールが乾いた頃合いをみてつや消しを吹きます。


吹き終えたところ。正面顔のチークが少し浮いてしまいましたが、つや消しの吹き方を少しトチったのかも。一気に厚く吹いてしまうとチークが浮いたりデカールが縮んだり良くない事が起き得ます。


ヒザの左右にあるマイナスネジの頭みたいの部分を塗り忘れてました。


赤系なのでエナメルフラットブラウンでスミ入れ。黒かジャーマングレーでも良いのですがその辺はお好みで。


ウェザリングマスターGのサーモンでシャドウを掛けます。生々しくなるのでお好みで。



組み直して完成。
早速グラビアタイム!

























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全員集合。
届くまでは変な色だなぁ・・・と思っていたのですが組み上げて完成してみると中々どうしてこれはこれで気に入ってしまいました。でもやっぱり変な色だなぁ・・・と思う人はカラバリのIndigo Ver.が10月に発売予定なのでそちらをどうぞ。
コトブキヤのフレームアームズ・ガール 迅雷(じんらい)を組みたてます。


ランナーを中性洗剤で洗い離型剤をおとして乾燥させ、あとはガンプラ感覚で組むだけです。塗装は後でも出来るのでとりあえずパチ組んでしまいましょう。


頭部は基本的にはFAG轟雷の色違いなのでパーツもFAG轟雷のものが全部付属し、ポニテの無い髪型にする事も出来ます。


胴体が組みあがりました。FAGマテリアと同じ構成になっており、可動範囲はFAGマテリアに準拠します。非常に大きく動く股関節を持つ一方で胴体と腰の間で抜けやすいウィークポイントもFAGマテリアと同様。


両腕が組みあがりました。二の腕に付く装甲パーツはFAG轟雷と同様の形状のものを角度を変えて装着しているような意匠。肘から先はFAGアーキテクトの色違いです。


両足が組みあがりました。FAGマテリアの太ももにFAGアーキテクトの足が基本になっており、その上に装甲パーツを被せるような構成。太ももにハードポイントが無いためかヒザの上にあるパーツに太もも外側の装甲パーツを単純に差し込むだけの構成なのでここは可動せず、動かす上でここはやや融通が利かないと感じるかもしれません。


基本部分がくみあがりました。


残りのパーツを組みつけ、並べたところ。刃物が主で持ちきれないほどあります。


肩に付くパーツの後ろ側には刃物のうちやや大きい物のみ挟むようにしてマウント出来ます。


キャノンは腕にマウントできる他、FAG轟雷のように右肩の後ろにも装着できます。ただしFAG轟雷とは接続パーツが違うので全く同じ装着にはできず、やや右肩のパーツと干渉しがち。もっともこちらのキャノンは組み換えパターンが多様なので割と自由が利くでしょう。


大鎌。ちゃんと草刈り用の大鎌のように中間の持ち手があります。これで大鎌警察(?)が来ても安心。彼らにすればガンダムWのデスサイズみたいに肩に担ぐのはナンセンスなんだとか。


やはり脇が閉じられないので剣を両手で持つのはやや苦手な傾向にあります。これ以上肘を真っ直ぐにできません。


予約注文した時は「変な色だなぁ…」と自分好みに塗装するつもりでいましたが、組み上げてみると案外これも中々どうして。なので後はデカールと部分塗装を。

(続く)
コトブキヤのフレームアームズ・ガール 迅雷(じんらい)です。


外箱。箱サイズは縦横はシリーズ共通ですが厚みはFAG轟雷とFAGマテリアの中間くらい。


内容は相変わらずどっさりボリューム。








説明書。今回は塗装指示が巻末の方にあります。大体持ってる色だけど、マホガニー持ってたかな・・・


パーツA、C1、
Bが2枚。肌色パーツはABS樹脂製です。


パーツCが2枚、
D、E1。
CとEは2種類あり、説明書ではCとC1などに分けられていますがランナーの方にはCとしか書いてないので間違えないようにしましょう。


パーツFが2枚、
G、H。
FとHはABS樹脂製。


パーツE、J、
K、L。Eは毎回付属するパーツでABS樹脂製。


パーツI、
PC、X。
PCはPE製のポリキャップ、XはPOM樹脂(完成品可動フィギュアの関節などに使われている、塗装も接着も出来ない強化樹脂)の強化品で、X1はA19の、X2はA2のパーツの強化品として置き換え利用するため今回から付属されたものです。ただし利用は任意なので使わなくても可。


腰パーツ2点、首のフリル、
顔4種、
手首パーツ5種。
腰パーツはFAGマテリア同じものでしょうか。顔パーツは1種増えましたがFAGアーキテクトのようなチーク(頬紅)は掛けてありません。


パーツMW-11(2枚構成)、
MW-34。武装パーツとなります。


デカール。右半分は白い漢字デカールで色々種類があります。FAG迅雷のイメージが忍者である事がデカールからうかがえます。



とりあえずランナーを中性洗剤で洗浄。離型剤は以前ほど露骨に残ってはいませんがまだ多少残っている感はあるのでFAGシリーズの通過儀礼と思う事にしましょうか。


(続く)

フジミ1/700特シリーズの航空巡洋艦最上です。


外箱は特シリーズの重巡や戦艦と同サイズ。最上のキットは92年頃にタミヤのものを組んだ事があるのですが、年代的にあれは今売られているものではなくリニューアル前のものでしょうか。当時は「重巡の後ろ半分が空母になってるやつ」くらいの認識しかなかったのであまりキットの特徴を覚えていないのですが、淡々と普通に組めてしまって印象に残らない程度には難易度の高くないキットだったのだと思います。そしてこの特-73最上はタミヤのものが2002年頃に現在のキットにリニューアルされた更に10年後の2012年のキット。さてどんなものか。


最上は最上型重巡洋艦の1番艦。前型の高雄型でワシントン軍縮条約・ロンドン軍縮条約で決められた重巡洋艦の保有枠を使い切ってしまった日本海軍は、ロンドン軍縮条約による重巡洋艦・軽巡洋艦の区分によるとまだ軽巡洋艦の保有枠が残っていたのでこれを利用する事にし、後に重巡洋艦に改装できるよう保有枠いっぱいの大きめの船体サイズに軽巡洋艦の規定いっぱいの砲サイズ(155mm砲)を山盛り搭載する艦として計画されました。このため軽巡洋艦として建造され、条約失効後に203mm砲に換装して重巡洋艦となっていますが、対外的には軽巡洋艦のままという事にされており、太平洋戦争中のミッドウェー海戦の直前頃までは察知されていなかったようです。
軽巡洋艦最上として2番艦である三隈とともに1931年に起工しますが、1934年の友鶴事件の影響で設計変更と改装が行われますが、まだ起工するかしないかの時期であった3・4番艦の鈴谷と熊野は設計変更後の線図を用いて建造されたために構造に若干の差異があり「鈴谷型」と別に区分される事もあります。最上はまだ発展途上であった電気溶接など技術的な問題から完成直前までに船体の歪みが生じたために修正を要し、1935年にようやく竣工します。予定では排水量8500tという事になっていましたが、結局大幅に超過して11200tに達していたものの対外的には8636tという事にされていました。しかし竣工してすぐ第四艦隊事件に遭い、波浪で船体が損傷してまた修正を余儀なくされる事となります。1939年には条約失効により予定通り主砲を203mm砲に換装し、事実上の重巡洋艦となりました。
太平洋戦争開戦後はまず南方作戦に従事し、マレー半島東岸周辺で活動。バタビア沖海戦では2番艦三隈と共に重巡洋艦ヒューストンと軽巡洋艦パースを撃破するものの、目標を外れた魚雷により日本陸軍の神州丸他数隻も撃破してしまいます。その後セイロン沖海戦でも戦果を挙げました。
1942年6月のミッドウェー海戦では最上型4艦による第七戦隊に属しミッドウェー島の夜間砲撃に向かいますが撤退指示の遅れから深入りしすぎ、また旗艦熊野の指示ミスから急旋回中に三隈と衝突して艦首を大きく損傷してしまい、そうこうしているうちに敵機の襲撃を受けて三隈は沈没、最上も更に大破に追い込まれます。命からがらトラック島に辿り着くと工作艦明石によって応急修理が行われ、明石と共に佐世保へ入港し本格的な修理が行われます。
ミッドウェー海戦で主力空母を失った補完として、最上は佐世保で艦の後半を航空甲板とする改装が行われ、1943年4月には水上機11機を搭載する航空巡洋艦として改装が完了し、ラバウルへ向かいますがラバウル空襲で損傷し、呉に戻って修理が行われます。1944年の6月にはマリアナ沖海戦にも主力艦隊に属して参加しています。
1944年10月の捷号作戦では西村艦隊に属し、戦艦扶桑・山城などと共にスリガオ海峡海戦においてレイテ湾への突入時に待ち受ける敵艦隊の猛攻により壊滅し、大破炎上しながら退避中だった最上は続いて突入してきた志摩艦隊の重巡洋艦那智と衝突した後も攻撃を受け続けて遂に航行不能となり、駆逐艦曙により雷撃処分されました。



キットは航空巡洋艦への改装後からラバウル空襲で損傷して呉に戻るまでの仕様のようで、最終時として描かれている箱絵では航空甲板上に多数の単装機銃が見えますがキットには単装機銃は付属しません。じゃあ付いてる方買うわ、と思ったらフジミの特の最上はこのキットのみのようですね。


開封。フジミ特らしくたっぷりボリューム。


説明書。デジカメ撮影のが読みづらくて加工も面倒だったので仕舞ってあったスキャナでスキャンしてみました。読み取り設定を覚えてくれず一枚一枚設定しなきゃいけなくて面倒臭いのは変わらなかったもののいくらか読みやすくなっただろうか?5ページ目の中段、J21のパーツ形状が実際と違うのでJ21の下の足を切り飛ばしてダボ穴にそのまま乗せる取り付けにすると良いでしょう。


パーツ上からA、B、C。


パーツ上からD、E、H。


パーツ左上から
G、F、I、
J。


パーツ
K、
L、N。


透明パーツ
P、P、Q、
M、M、M、M。
Pは零式水上観測機(ZEROKAN)、Mは零式三座水上偵察機で、ランナー1枚に2機ずつあります。


デカール。搭載機用のマークが主で艦本体用は旗くらい。



それでは製作開始。船体はまず側面と艦底パーツの結合から入りますが艦底パーツは側面に露出せず、艦底色を塗らないフジミ特に多いパターン。細いパーツはバルジの上端にあたるパーツで、向きが分かりづらいですがパーツ番号とダボとダボ穴の位置を読み間違えなければ問題ありません。


前後の甲板と、艦橋の載る甲板の一層下のパーツを乗せます。一層下のパーツはこれだけ造形してあるのに魚雷の出る穴からしか見えなくなるので少し勿体ない感じがします。


艦橋の載る甲板パーツを仮組みしてみるとどうも合わない・・・


バラスト押さえのパーツを置いてたのがダメなのかと思って引っぺがしてみたけれどやっぱり合わないので甲板の裏を見ると前後方向に走るリブが下のパーツと干渉しているようす。


リブを削ります。フジミ特はたまにこうした干渉するリブが生えてる事がよくあります。


リブを削るとピッタリ取りつきます。ただし前の部分に若干隙間が出来るので接着する時にプラ板などで埋めても良いでしょう。


リノリウム色として43ウッドブラウンに混ぜ物をしたもので塗装。(混ぜ物はレッドブラウンや艦底色などで少し赤みを足して暗くしています。お好みで)


それ以外の部分を32軍艦色2で塗装。


魚雷発射管を取り付けます。ゲート跡は見えない側になるのでレタッチしなくても十分。魚雷室は艦橋の載る甲板パーツの下というよりはそれより後ろの航空甲板の下になります。


航空甲板の舷側の支柱は単純な形状ではないためか1本1本植える必要があります。しかも向きも割と厳密で間違っていると上の航空甲板と合わなくなります。説明書とにらめっこして一つ一つ丁寧に植えてゆきましょう。大丈夫必ず終わりは来ますから・・・


艦橋が載る甲板と、航空甲板を乗せます。航空甲板下の中央付近は流し込み接着剤の筆が届きにくいのでここだけは普通の接着剤を盛ってから合わせた方が作業性が良いでしょう。


上部構造物を載せてゆきます。単装機銃を先に載せたりとかは今回はないので説明書通りで問題ありません。ただし仮組みは入念に。結構すんなり合わない部分があります。


次々と載せてゆきます。ボートダビットが船体の外側に張り出すので段々持ちづらくもなってきます・・・


あらかた載せ終えたところ。マストは最初からひん曲がってたり端の刺さる部分が見えないところにあったりと結構大変。特に後マストの右側の支柱が通るパーツL2の穴が元々開いていないので先に開けておく必要があります。


搭載する水上機を組みます。透明パーツを透明なまま切り離すと行方不明率が高まるのでランナー上で塗装してしまった方が安全。まずは15暗緑色(中島系)で。繊細なモールドをつぶさないように塗料は少し薄めにして塗り重ね、必要以上に塗膜を厚くしないようにした方が結果が良いでしょう。


次に下面を35明灰白色(三菱系)で。中島?三菱?ゼロ観は三菱だけどゼロ偵は愛知だし・・・別にどっちでも。


ゼロ観は細かいパーツが多く注意して組む必要があります。機体本体を中心にランナー上で組むのも手。


ゼロ偵は本体の他はフロート2つとプロペラだけなので較べたら天国のように簡単。ただしプロペラはランナーから切り離す時に砕いてしまいやすいので、よく切れる先の細いニッパーは必須。タミヤの薄刃ニッパーで十分ですが・・・


デカールで他の細かい色は用意されていますが、デカール貼りが苦手な人は塗ってしまった方が楽かもしれません。私はデカール貼り苦手なので塗ってしまいました。赤と黄で大体十分ですが更に細かくできる自信のある人は白も使うでしょうか。赤は好みで良いですが黄は上画像のような58黄橙色よりは4イエローか113RLM04イエローの方が良いかと思います。


機体を運搬台車に載せ、航空甲板上に置きます。ゼロ観のフロート下にはダボ穴が無いので運搬台車の上側のダボを切り飛ばして上面に前後方向の溝をヤスリで軽く掘ってやると取り付けやすいでしょう。説明書通りに配置しようと後ろ側から並べてゆくと前から2番目のゼロ観がレール上に収まらなくなるので並びをアレンジする必要があります。また最上の水上機の搭載数11機は定数であって実際にはゼロ観3・ゼロ偵4の計7機だったそうなので、その数にしておいた方がスマートかもしれません。


もうちょっとでできます!




エナメルフラットブラックを主体に、ジャーマングレー、フラットブラウンでスミ入れとウォッシングをして完成。



やはりフジミ特らしいみつしり感。



目線を下した視点からも非常に見栄えが良いです。とにかく情報量が多い。


各部を観察。主砲塔は竣工時には60口径三年式15.5cm3連装砲塔が搭載されていましたが、後の改装により50口径三年式2号20.3cm連装砲に換装されています。ただし砲身が少し長くなって2番砲塔の砲身が1番砲塔の後面に干渉するので2番砲塔を前に向ける時は少し仰角をつけて上に逃がすようにされており、キットでも2番砲塔用の砲身は他の砲とは違うパーツになっています。砲塔の配置は他の重巡洋艦と違い1~3番砲塔を全て前に向けて斉射できるためこの配置のがメリットが多そうなのに次型の利根型ではまた2番が高い位置になっているのは、航行中に進行方向に向けて撃つ事を日本海軍ではあまり重要視していなかったからかもしれません。(英海軍では正面に撃てる事を重視していたフシがあります)


艦中央部。前型の高雄型では巨大だった艦橋を計画時には踏襲する予定でしたが、友鶴事件の影響による重心の高さの改善と、建造中に予定よりみるみる超過する排水量を少しでも減らすため艦橋は一気に小型化されました。少し小型化しすぎたのか艦橋の居住性はあまり良くなかったといわれますが、一方で最上型からはそれまで乗員がハンモックで寝ていたのが鉄製の3段ベッドになるなど、艦橋以外の居住性では大きく改善されています。
副砲となる高角砲は高雄型までは12cm単装高角砲が後に12.7cm連装高角砲に換装されていますが、最上型では最初から40口径八九式12.7cm連装高角砲が防盾付きで4基装備されています。


艦後部。最上はミッドウェー海戦時に三隈との衝突により艦首を大きく大破した他に爆撃で艦後部も大破していたのでその修理のついでに艦後半の4・5番砲塔を撤去し、元々あった航空甲板を艦尾まで段差なく拡げる改装が行われました。これは空母のように甲板上へ直接発着艦を行えるようなものではなく単なる水上機置き場にすぎませんでしたが、艦への収容は多少手間なものの発艦は迅速に行える水上機を大量に搭載できるという事は、まだ軍事衛星も高性能レーダーも無い時代では艦隊の周辺状況を知るには飛行機を飛ばして見てくる以外には自分で行って見てくるしかなく、艦隊の視野の確保にとって非常に重要な事でした。また巡洋艦の役割的にも元々偵察を請け負っていたので偵察能力が高まったのは言うまでもありません。


右舷に回り艦尾。甲板は上げ底されていますが航空戦艦改装後の伊勢型のような格納庫は持っておらず、同じく艦後半を航空艤装に特化させている利根型と用途をほぼ同じくする偵察機能重視の巡洋艦といえます。この運用思想は水上機がヘリコプターに置き換えられて現代でも巡洋艦・駆逐艦のポピュラーな形態となっています。


再び艦中央部。航空甲板前半の下層には魚雷室があり、横穴から発射管を突き出して魚雷を発射します。発射管は九〇式61cm三連装魚雷発射管で、九三式酸素魚雷も発射可能となっています。バタビア沖海戦で第16軍司令官今村均中将座乗の陸軍特殊船「神州丸」他数隻の輸送艦などが唐突に雷撃で撃沈されたのは、近くで交戦中だった最上等護衛艦隊の魚雷の流れ弾だったといわれています。


再び艦前方。前マスト上には特徴的な21号電探が装備されています。機銃装備は竣工時に25mm連装4基と13mm連装2基だったものが全て25mm三連装に交換され、後マスト後ろと航空甲板両舷に4基追加して合計10基となりました。1944年の呉での修理後は更に単装機銃が多数置かれていたようです。



同型である熊野(竣工時)と。


パッと見でわかる違いはまず主砲塔。竣工時の熊野は軽巡洋艦でありまだ15.5cm三連装砲塔を装備しています。軽巡洋艦の艦級のまま大型の船体に中口径の砲を大量に積むという構成は奇しくも諸外国にも興味を持たせ、米国は同様に大型の船体に15.2cm砲を15門持つブルックリン級軽巡洋艦(フォークランド紛争で撃沈されたアルゼンチン海軍旗艦ヘネラル・ベルグラーノが有名)を建造していますが、こちらは重巡洋艦への改装はされていません。


艦中央部同士。機関が最上型では大型8基小型2基だったものが鈴谷型では大型8基のみ(合計出力は同じ)に変更され、艦橋前の吸気ダクトが鈴谷型では無くなり、煙突も集合されていて解りにくいですが前半分の出口が鈴谷型では小さくなり前後とも似た大きさになっています。


艦後半は全然違いますが、タミヤのキットでは鈴谷型に最上のパーツで航空巡洋艦にif改造しようとしても微妙に合わなくて小加工が必要らしいので船体にも違いがあるようです。


次型である利根型重巡洋艦・利根と。利根型も計画時には15.5cm砲を積む軽巡洋艦だったため命名規則が最上型と同じく河川名からとられています。(高雄型までの重巡洋艦は山岳名)


利根型は最初から主砲塔を艦橋より前に集中させ、艦後半に航空艤装を分けていたので砲塔が1基多い分配置はゴチャっとしていますが、前述のように砲は基本的に横に向かって撃つので最上型のように前に全砲門を向けられる事はあまり重要ではなかったのだと思います。利根型も重心を下げる事と排水量の減少には腐心していたので艦橋はよく似た小型のものが踏襲されています。


航空艤装同士では利根型ではまだ乾舷の低い後甲板をそのまま利用しているためフライングデッキとの間に段差があり、スロープをつけてそこへ軌条を敷いて後甲板とフライングデッキとを行き来させるようになっていました。最上ではフライングデッキと同じ高さまでかさ上げして艦後半の甲板を全て同じ高さに揃えています。重心は高まるでしょうが利便性は向上していたハズです。こんな大きな板きれを載せた割には、最上は竣工時と比して1000t増に留めたものの最終的に排水量は12200tに達していました。


前型の高雄型と。艦橋の大きさの差が特に目立ちます。


同様に航空甲板が増設された伊勢型戦艦・伊勢。伊勢型航空戦艦は偵察重視の最上とは違い、搭載機が瑞雲や彗星など爆撃機が主体の攻撃用途であったためか本格運用の機会に恵まれず、また搭載予定であった航空隊の転出もあり航空機を搭載しての実戦すら無く、大きな容積の格納庫を利用した輸送船的な利用が目立ちました。それでもやはり同様に航空機を格納するハズだった格納庫を荷物庫にされた軽巡洋艦大淀と共に北号作戦では無傷で資源を本土に持ち帰るなどの活躍を見せました。



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フジミ特シリーズらしい緻密さとボリュームと難易度を持つ満足度の高いキットです。でも初心者には持て余すからといって忌避したりせず、これが欲しい艦なのなら恐れずに立ち向かう事の方を薦めます。オッサンモデラーは全然情報の無い時代にもっと悪い意味でキツいキットを子供の頃から組まされてきたのですから、情報あふれる今の若い初心者モデラーなら出来ないハズが無いのです。キットの値段が昔と違うし高価いキットでおいそれと失敗はできないって?昔の子供とて鼻血の出る思いでプラモ買うお金を工面していましたとも・・・ええ
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