~趣味の世界~
ハセガワ1/700ウォーターラインシリーズの駆逐艦若竹です。


同じハセガワの樅(もみ)のバリエーションキットと言ったら良いでしょうか。


若竹は若竹型駆逐艦の1番艦。イギリスの駆逐艦の模倣から脱却し日本独自設計となった峯風型駆逐艦、その小型版であった二等駆逐艦・樅型の改良型が若竹型です。設計上やや重心が高めであった峯風型の短所が小型化により顕著となってしまったため若竹型では船体を15cmほど拡幅しています。もっともその程度では不十分だったのか、4番艦「早蕨(さわらび)」は1932年、荒天の台湾海峡にて転覆事故を起こし沈没しています。若竹型駆逐艦は八八艦隊計画により23隻の建造が計画されましたが1922年に締結されたワシントン海軍軍縮条約により八八艦隊計画は破棄され、すでに起工していた8隻のみが建造されました。これ以後は大型の一等駆逐艦で統一され、若竹型が最後の二等駆逐艦となりました。(小型の駆逐艦としては戦中期に建造された松型駆逐艦がありますが、実質的には同等の存在であるものの「二等」とは分類されていません)
若竹は1921年12月に起工、1922年9月に「第二駆逐艦」として就役。1924年に名称が「第二号駆逐艦」に改められ、1928年に「若竹」の名が与えられます。太平洋戦争の頃には旧式化していたものの輸送船団護衛任務に従事し、最後は1944年3月30日のパラオ大空襲の際、第31号哨戒艇(元・樅型駆逐艦「菊」)などと共にパタ07船団を護衛して台湾の高雄に向かおうとしたところを攻撃され、船団もろとも全滅してしまいます。


箱下面は塗装指示。


開封。樅(もみ)と同様にちんまりしています。


説明書。組み立て説明の方の図に所々おかしい点(樅とごっちゃになってる?)があり注意が必要です。③で2番煙突の後ろの台に探照灯を取り付けているのに④の図ではT字型のパーツ(A7)が取りついていたり、④の1番砲塔の後ろに取り付け指示の無いT字型のパーツが取りついていたり。


パーツ全図。第1号型哨戒特務艇のランナーもそうですが、キット自体は説明書、箱、デカール以外のランナー4枚は樅と全く同じもの。


準同型艦で船体幅がわずかに違うだけ、とWikipediaにもありますがさすがに全く同じキットなのはどうなんだろう・・・


樅の時にググって調べた際、見つけたサイトではハセガワの若竹はかなり樅よりのディテールであり、かといって樅なら正しいかといえばそうでもない。ハセガワ樅を樅として作るならまあ許容範囲ですが、若竹として作ると間違いだらけなのでせめてパッと見でおかしい点だけでも修正してみます。まずは1番砲塔基部。一段下がって放射状のディテールが入っていますが、ここは1段下がらないのが正解のよう。プラ版をワッシャーのような形に切り出し・・・


1段下がった部分にはめ込みました。放射状のディテールなのはここは木板を放射状に並べているらしいので、色もタンかウッドブラウンに。


舷窓も窓枠だけがぼんやり凸モールドで再現されているだけなのでピンバイスでハッキリさせます。細いバイスを見つけて使ってみたら何個か掘ったところで折れてしまい、途中から少し大きめになってしまいました。


リノリウム色として43ウッドブラウンを塗装。


2番煙突の後ろにある探照灯の台は横長の長方形の左舷側が丸くなっている形が正しく、プラ板で自作しました。


とりあえず一旦32軍艦色2で塗装。キットは喫水が高すぎるので艦底パーツは取り付けていません。


艦橋頂部の台はキットでは丸ですが若竹型では前に延長されて長円型を成しています。また艦橋2階の左右の張り出しも前縁が後方に少し斜めカットされた形に。


パーツを次々と取り付けてゆきます。砲塔の防盾はキットでは樅準拠で上が開いていますが若竹では閉じているのでプラ板で塞ぎ、マストの途中にある見張所は十字の上にあるのを下側に移設、マスト自体の取り付け位置も1番煙突寄りに直しました。機銃は艦橋左右の張り出しに付属の6.5mm機銃を置きますが、そのままだと背が高すぎるので銃架を半分くらいに切ってとりつけました。


細かい塗装が済んだところ。艦橋屋根も若竹ではもう少し形状が違うのですがパテが要りそうなので割愛。少ない手間でパッと見で若竹に見えれば十分かな・・・


デカールを貼ります。




エナメル塗料のフラットブラウン・フラットブラック・ジャーマングレーを使ってスミ入れやウォッシングをして完成。



やっぱり多少なりとも手を加えると満足感が高いですね。



艦のサイズに比してバカにならない分厚さの艦底パーツが無いだけで結構印象が違うように思えます。


各部を観察。主砲塔は45口径三年式12cm単装砲。樅型では当初防盾が前と左右のみの防御でしたが後に天蓋が追加され、若竹型も天蓋付きとなっています。主砲塔の後方に置かれていた三年式6.5mm機銃は艦橋左右に移設され、ウェルデッキ側に張り出していた台も撤去されています。
一段下がったウェルデッキには六年式53cm連装水上発射管が樅型から引き続き装備されています。


艦橋頂部にあった探照灯は2番煙突後方の機銃台に代えて移設され、艦橋頂部には測距儀が前後に並んで2基置かれています。マストの途中にある見張所は十字の下に移設していますが、よく調べたら若竹型の後半4艦(朝顔・夕顔・芙蓉(ふよう)・刈萱(かるかや))のみの特徴で、若竹は元のままで良かったようです。


艦後方。連装魚雷発射管、マスト、12cm単装砲塔の順に並んでいます。


艦尾には爆雷投下軌条が2条あります。


再現していませんが、単装砲の台や艦橋にベランダの壁みたいになっている部分は実際には手摺に白い幌をかけているので極々薄く、色は白いのが正しい様子。でもあんまり白い部分が多いのは好みが出そう。


艦橋も屋根だけを白にしていますが、その上の測距儀のある部分も本来は白、艦橋の窓があるメイン部分、ここを羅針艦橋といいますが、ここも窓のある前面と側面前半くらいが鉄製で、そこより後ろは白い幌張りなのだそうです。樅型では更に幌張りの部分が多いので、正しく塗ると艦橋上半分くらいは真っ白になります。



樅と。元々全く同じキット。


やはり工作不足であまり見分けが付きませんが、配置物や所々の形状などの差異が確認できます。できて欲しい。


12cm単装砲の防盾天面、1番砲塔後方の機銃とその設置場所の形状、艦橋左右の張り出しの形状とそこに設置される機銃の有無、艦橋頂部の形状と配置物、前マストの設置位置、2番煙突後方の台の形状と配置物。といったところでしょうか。


まだ細かく所々再現しきれなかった差異があります。
参考にしたサイトを提示しておきます。
http://www.enjaku.jp/2012/05/momi-class-3.html



睦月型駆逐艦「三日月」と。睦月型もそう大きな艦ではありませんが、樅型・若竹型をずっと見た後では
「でかっ」


そりゃハイローミックスのハイがでかくてローが小さいのは当たり前ですが、ううむ・・・


@@@



ハセガワの樅はまあいいのですが、それと全く同じキットを若竹として組むにはちょっと乱暴なように思えます。マイナー艦だし、艦娘にもなりそうにないし、ググっても有効な資料の少ない艦だし、仕方無いのかな・・・



ハセガワ1/700ウォーターラインシリーズの駆逐艦三日月です。


箱は旧来からの小さな駆逐艦キットのサイズ。ハセガワの睦月型はこの三日月の他に睦月があり、三日月は竣工時、睦月は性能改善工事後の姿となっています。


三日月は睦月型駆逐艦の10番艦。睦月型駆逐艦は峯風型駆逐艦の改良型である神風型の更に改良型であり、峯風型・神風型とは基本を同じくする準同型艦です。三日月は当初第32号駆逐艦と呼ばれていましたが後に他の同型・準同型艦同様に固有名が与えられました。同時期に竣工した艦は空母赤城や重巡青葉など。三日月は太平洋戦争においては主に船団護衛に従事し、旧式艦ではあるものの第一線級装備である61cm魚雷をもつため前線へもかり出されました。1943年までに対空兵装などの増備を行い、ラバウル方面へ進出後は同年7月のクラ湾夜戦やコロンバンガラ島沖海戦などを戦います。ラバウルに到着した初春型駆逐艦・有明と共に同月25日ニューブリテン島ツルブへの輸送任務に出発しますが、途中グロスター岬付近のサンゴ礁で両艦とも座礁してしまいます。何とか離礁できた有明は人員や物資を三日月から移して単独でツルブへ向かい、揚陸作業を終え三日月の元へ戻り曳航を試みるも失敗、そうこうしているうちに米陸軍のB25爆撃機の群れに空襲され有明は沈没、三日月も大破擱座します。29日に現場に到着した峯風型駆逐艦・秋風に人員を移乗後、三日月はその場で放棄されました。


箱下面は塗装指示。


内容は少なめ。



説明書。正方形に近い微妙な長方形の、昔ながらの説明書。よく見るとNo.94と旧ナンバリングがそのままになっています。


主要パーツ群。古いキットなのですが、出来上がりのサイズの割にはパーツ点数はそこそこあるように感じます。


ディテールはあっさりしていてリノリウム押さえなどもありませんが、ハセガワらしい緻密さはあります。同時代のキットで今でも通用するのは他ではタミヤくらい。アオシマは酷過ぎてリニューアルでほぼ淘汰され、フジミのは成型不良やバリの嵐です。


静模のディテールアップパーツ小型艦用が1枚付属。ただここから使うのはカッター2艘くらいでしょう。


それでは製作開始。船体の基本構成は船体パーツと艦底パーツ、間に入るバラスト、船首楼の甲板。


合わせは悪くありません。煙突も先に取り付けてしまいました。船体側面はディテールが何もないので舷窓をピンバイスで掘っておきました。ちょっと波打っちゃったけど・・・


リノリウム色を43ウッドブラウンで塗り、残りを32軍艦色2で。リノリウム色と軍艦色2の境目が構造物の下になってて塗装指示では分かりにくいですが、1番煙突直後くらいの横ラインになります。ググってピットロードの睦月型の塗装指示の画像を探して参考にしてみて下さい。


パーツを取り付けてゆきます。ゲート処理をヤスリできちんとやってさえいれば素直に組み立てられます。


パーツを全て配置し、細かい塗装を終えたところ。開封からここまで3時間ほどしか掛かっていません。


デカールを貼ります。側面の名前は小さ目のゴシック体で、ピットロードの長月を組んだ時にフォントに違和感があったのですが、こちらもよく似たフォント。睦月型の名前フォントは現物からこんなもんなのでしょうか?




エナメルフラットブラックでスミ入れし、ジャーマングレーでウォッシングして完成。



古いしパッと見ディテールもあっさりしてたし・・・と思ったら案外悪くない印象。



艦橋の高さが低いので水平視点だと高さ方向が物足りないと感じるかもしれません。でも改装後と違い峯風型から続く特徴的なスタイルは水平視点から見るのが一番「らしい」といえるかもしれません。


各部を観察。峯風型から続く短い船首楼~ウェルデッキ~三角柱の艦橋。前型の神風型から睦月型では艦首形状がスプーン型からダブルカーブ型に改められています。主砲塔は45口径三年式12cm単装砲塔。その後ろに1段下がって魚雷発射管がありますが、神風型までは53cm連装だったものが61cm三連装に置き換わりました。


魚雷発射管は3連装が2基6門ですが、カタログスペックでは魚雷12本とあります。残り6本は?というと2番煙突の左右にある箱が格納庫で、ここから更に外側の軌条を利用して発射管まで魚雷を運んで再装填します。次発装填装置ではないので装填には数時間かかります。


後部マストを挟んで前後を向く12cm単装砲塔。ここは改峯風型とされる峯風型の一番下から3番目・野風からこの形になり、睦月型まで継承されています。


艦尾には爆雷投下軌条などが確認できます。睦月型では菊月から後の4隻が掃海具を装備とあり、三日月もこれに含まれます。モールドやパーツで再現されていませんが、八一式爆雷投射機も装備されていたようです。


機関は38500馬力と峯風型から変化はありませんが、武装強化から重量が増え排水量も増加しているため速力は峯風型の39ノットから落ちているものの、それでもまだ「快速」と呼べる37ノットを保っていました。


対空兵装として貧弱ながらルイス機関銃の国産版である留式7.7mm機銃が2挺装備されています。ただキットでは再現されておらず、本来は艦橋左右のカッターの前の辺りに置かれています。留式7.7mm機銃は弾倉がザクマシンガンのようなドラム弾倉を寝かせて上に置く形なので他キットの6.5mm機銃(給弾は横からの補弾板)や九六式25mm単装機銃(上から挿す箱型弾倉)では騙しづらいですね。



神風型と睦月型2艦。画像上からピットロード疾風(神風型)・ハセガワ三日月・ピットロード長月(睦月型改装後)。


神風型「疾風(はやて)」と。艦首形状がスプーン型からダブルカーブ型に変わったほか、甲板両サイドのフレアも広がり、艦首で立てた波しぶきを左右へ飛ばす能力が上がっています。


魚雷発射管が峯風型の六年式53cm連装発射管から十年式53cm連装発射管にアップデートされていた神風型ですが、睦月型では十二年式61cm3連装発射管に置き換わり、2・3番発射管は2番1基に統合されました。艦の合計門数は6門のまま。


マスト周辺から後ろはほぼ同じ構成です。


睦月型「長月」と。この長月は最終時、クラ湾夜戦のあった1943年仕様と思われます。第四艦隊事件(1935年)の後に艦橋が丸型に改装され、開戦前に魚雷発射管に防盾が装備、艦橋左右の機銃台が前方へ拡張され25mm連装機銃に換装されています。


ピットロードの睦月型の方が新しくて詳細なので煙突の付け根付近は結構な差があります。ピットロードの長月は三日月最終時とコンパチのキットなので三日月のデカールや塗装指示も付属しますが、長月とは電探など若干の装備の違いがあります。


艦尾は対潜装備を多く増備しているせいか結構印象を異にします。
長月も最後が三日月と似ており、揚陸中に座礁して動けなくなったところを爆撃され大破、放棄されています。


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古いキットながらそこそこの形にはなり、初心者でも十分なんとかなる難易度です。再現年代が古いため並べる艦を選びますが、興味があったらどうぞ。ピットロードの睦月型は全部改装後なので改装前の睦月型はこれだけですから。


ハセガワ1/700ウォーターラインシリーズの駆逐艦樅(もみ)です。

バラしてしまうと順序的には次はフジミ雪風/浦風をエッチングパーツ込みでやるつもりだったのですが、どうにも「面倒臭い・・・」が先に立ってしまい積まれたキットが崩せないので小さくてラクそうなのを先にやってしまおうという流れ。


箱はおなじみ小さな駆逐艦サイズの箱。


樅(もみ)は樅型駆逐艦の1番艦。明治末期において日本海軍では駆逐艦の数をとにかく揃える必要に迫られ、通常サイズの駆逐艦(一等駆逐艦)と建造費の安い小さな駆逐艦(二等駆逐艦)とのハイローミックス運用を採っていました。英国のトライバル級駆逐艦を参考に建造された一等駆逐艦の海風型のスケールダウン版である桜型二等駆逐艦とその改良型に代わり日本独自の設計による駆逐艦として建造されたのが一等駆逐艦の峯風型と、そのスケールダウン版で二等駆逐艦の樅型が大正期に建造されました。樅はその1番艦として1919年に竣工し、初代の艦長は後の真珠湾攻撃時の第一航空艦隊司令長官で有名な南雲忠一でした。樅はその後1932年に退役し1936年には標的艦として生涯を閉じていますが、樅型駆逐艦は太平洋戦争時には完全に旧式化しており多くが練習艦や哨戒艇として余生を送っていたため楡(にれ)・栗・竹・柿・藤・蓮・菫(すみれ)など比較的多くが終戦まで生き残りました。


箱下面は塗装指示。


開封。静模のディテールアップパーツが無いのでボリューム自体は少なめですが、艦の大きさを考えると多めに盛られています。


説明書。ハセガワのインストはカッチリしていますね。


パーツ全部。船体パーツのランナーとつながっているBランナー(中央左)は手前左と同じもの。


艦自体は天龍型軽巡洋艦と同時期で古い艦ですが、キット自体は90年代のもので比較的新しく、ディテールは形のよく似た同じハセガワの睦月型と比べてもはるかにカッチリしています。


Zランナーは第一号型哨戒特務艇。



それでは製作開始。船体はシンプルな2パーツ構成。船体側面の舷窓は窓枠のみが凸モールドで表現されておりちょっと目立たないのでピンバイスで掘ってみました。


仮組み時点では艦底パーツとの間のスキマが気になるのですが、接着すると埋まってほぼ気にならなくなります。


リノリウム色を塗装。塗装指示では41レッドブラウンですがイメージと違うので43ウッドブラウンで。1号哨戒艇の甲板もレッドブラウン指示ですが木甲板モールドがあるので44タンにしました。


32軍艦色2を塗装。


マスキングをして艦底色を。


パーツはハセガワらしい細かさですが難易度的には大した事はありません。サクサク組み上げられます。


ゲート跡のレタッチや細かい塗装が済んだところ。あえて苦戦しやすい点を挙げるなら単装砲の防盾の角度調整でしょうか?砲ごとグニャッと曲がって思った角度になるまでちょっとイラッとするかも。


デカールを貼ったところ。透明部分が多いですが切り飛ばしてやれば問題なし。扱いやすい素直なデカールです。




エナメルフラットブラック・フラットブラウン・ジャーマングレーなどでスミ入れやウォッシングをして完成。



小さくても情報量が多く、内容が詰まっています。



ただ、この小ささですから更にディテールアップ、というのも大変でしょう・・・


各部を観察。同時代の駆逐艦・軽巡洋艦と同様のスプーン型艦首を持ちます。船首楼の上には主砲となる45口径三年式12cm単装砲が配置されます。防盾は前面と側面のみで、上面と後面は開いています。その直後のT字型のものは三年式6.5mm機銃。更にその後ろの一段下がったウェルデッキには六年式53cm連装水上発射管。この魚雷発射管は球磨型軽巡や峯風型のものと同じタイプです。


ウェルデッキの直後には峯風型~睦月型の改装前と似た特徴的な形状の艦橋があります。艦橋の後ろはマスト・煙突・2番砲塔・煙突・機銃・連装魚雷発射管と続きます。艦のなりは小さいですが機関は21500馬力を発揮する重油専焼缶とオールギヤードタービンが奢られており、速力は後の駆逐艦に負けない36ノットを誇ります。


2番魚雷発射管の後ろは後部マスト・3番砲と続き、艦尾には2本の機雷敷設軌条があります。


右舷側へ。艦尾の甲板上の配置物はググると生き残った艦ほど新しめの配置物(掃海具や爆雷投下台、機銃等々・・・)が増えるようです。


樅は早々に退役しますが他の樅型の多くは太平洋戦争直前の時期に魚雷の全てと砲1門を撤去して兵員室を増設した高速輸送艇ともいえる第31号型哨戒艇へ改装され、戦中の揚陸作戦などに投入されました。


しかし揚陸作戦においては強引に擱座させられるなど荒っぽい使用で使い捨てられる艇もありやや不幸な末路を辿る傾向にありました。無事終戦を迎えたのに台風や触雷などで終戦直後に沈んだ艦もあります。


第一号型哨戒特務艇。全長28.5m、排水量250tほどの木造の哨戒艇で、1944年に建造され27隻ほどが完成したとあります。400馬力ほどのディーゼル機関により速力は9ノットと遅いですが完成が終戦間際であったため大半が生き残り、その後海上保安庁や海上自衛隊に継承された艇もありました。


兵装は九六式25mm機銃が連装1基・単装2挺、爆雷投下軌条、13号電探がキットの外観からも確認できます。その他12cmロケット砲や魚雷落射台なども装備していました。樅と並べるにはちょっと年代がチグハグな印象です。



神風型駆逐艦・疾風(画像奥側)と。単純に峯風型の全長を詰めただけかと思ったら、スケールそのものが違うような印象。


幅もかなり差があり、艦橋なども形は似ていますがかなり幅が詰められています。


厳密には違いますが二等駆逐艦のように扱われていた松型駆逐艦(画像奥側)と。サイズ的には他よりも近づきますがまだまだ大きい。


同じ駆逐艦でも大柄な秋月型と。駆逐艦と巡洋艦が並んでるように見えます。


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小さいですが趣深い樅。初心者にはそもそも興味を持ちにくい艦かもしれませんが、小さい割に情報量が多く、比較的組みやすいキットです。大きい艦との対比を楽しみたい方や駆逐艦を極めたい方に。



フジミ1/72愛知水上偵察機 瑞雲11型/呉式二号五型射出機です。

以前どこかの段階で「水上機のプラモが欲しい!」となり、amazonで探していた時にチラホラ見つかったフジミ瑞雲。でも何か微妙に気乗りしなくて結局「今度でいいや・・」って感じで後手後手に回していたのですが、衝動買いしてきたハセガワの零式三座水上偵察機を組んで雰囲気は掴めたので次は瑞雲いってみよう!となったのが今回。機体だけのキットもありましたが折角だからと射出機も付いてる方を。


外箱。サイズは1/72の飛行機プラモとしては標準的なサイズかな?値段は2200円。評判の良いタミヤの1/72晴嵐が千円しない事を考えると高いと感じてしまうかもしれませんが、まあ射出機も付いてるし、今はどのプラモも高いし。


箱横の説明書き。
瑞雲は水上偵察機と爆撃機を統合する企図により、零式三座水上偵察機などを作った愛知飛行機によって開発された機体です。開発段階では零式水上観測機のような偵察機に戦闘機の要素も含んだ機種も統合する考えがあったため、偵察機でありながら急降下爆撃能力や、良好な空戦機動力も備えるマルチロール機が要求されましたが、さすがに厳しい要求のため開発は難航し、完成した頃は1943年ともはや戦局を覆しようのない時期となっていました。水上機としては初装備となる急降下爆撃機に不可欠なダイブブレーキをフロートの支柱に備え、戦闘機ばりに主翼には空戦フラップまで装備しています。量産化と部隊配備は1944年から行われ、第634航空隊は航空戦艦に改装中の伊勢型戦艦にこの機体を搭載する前提で訓練を重ねていたものの、艦の改装の終了前に戦局の悪化から第634航空隊はフィリピンなど各地を転戦したため伊勢型航空戦艦は伊勢・日向両艦とも結局最後まで航空機を搭載する事が出来ませんでした。220機が生産され、エンジンを換装した瑞雲12型も1945年に試作されています。
呉式二号五型射出機は巡洋艦などの中型以上の艦船から水上機を射出・発進させるためのカタパルトのうち、太平洋戦争開戦時に標準型として多くの艦船に装備されていたものです。日本の艦船用カタパルトは1928年に重巡洋艦「衣笠」に圧縮空気を利用する呉式一号一型が装備されて試験運用が開始され、軽巡洋艦「五十鈴」「由良」でスプリング式の萱場(かやば)式艦発促進装置、そして火薬式の呉式二号が軽巡洋艦「鬼怒」「神通」で試験され、火薬式の呉式二号が改良を重ねられ装備されてゆきます。空気式のものも大型機の射出用として長大なものが作られ、軽巡洋艦「大淀」(二式一号一〇型)や潜水艦「伊400型」(四式一号一〇型)に搭載されました。世界的には油圧式や蒸気式が一般的で、連合国側ではそちらがほとんど、現用では蒸気式が採用されています。呉式二号五型射出機は日本の火薬式カタパルトの最終型で、4tまでの重量の機体を射出する能力がありました。


さて今回の瑞雲は全備重量3.8tと実は呉式二号五型ではちょっとギリギリすぎる重量。このカタパルトでは全備重量3.5tの零式三座水上偵察機が限度のようで、瑞雲を射出するにはもっと大型のカタパルトが必要です。箱絵の脇にも注釈があり、瑞雲の運用を前提としていた伊勢型航空戦艦には射出重量5tの一式二号一一型射出機が装備されていました。大淀に搭載するつもりだった「紫雲」も伊400型に搭載した「晴嵐」も全備重量が4tを超える機体です。


艦船キット、中でもフジミの特シリーズなんかはパーツ数が多いとちょっとゲンナリしてくるものがありますが、1/72程度の飛行機キットだとパーツ数の多さにはむしろワクワクをおぼえるものがあります。




説明書は6つ折りにするとB5版になる横長の1枚紙。使用塗料の表に肝心な瑞雲本体のメイン色が書いて無くて、H36とクレオスの水性ホビーカラーで図中にチラッと書いてあるのみ。H36はクレオスのMr.カラーだとC70ダークグリーンですが、光沢色なので半光沢のC124暗緑色(三菱系)かC15暗緑色(中島系)の方が良いでしょう。


瑞雲本体のパーツ全図。あれ?少ない・・・この瑞雲は結構新しいキットなのですが、最初の発売は1998年だそう。この時期はフジミの暗黒期といってもよいもので、他ジャンルのキット、車プラモなどでもこの頃に出たものは結構酷いものが多いのです。私もそのくらいの時期にフジミのアルテッツァやインテグラTypeRなど色々組んだのですがもう雑だわ組みづらいわ似てないわで大変だった記憶。


呉式二号五型射出機のパーツ全図。大物パーツが多く、ディテールもシャキッとしていて好印象です。ただ・・・(後述)



早速瑞雲から組み始めてみましょう。まずは仮組み。飛行機キットの基本はとにかく仮組み。おおよその形が分からないと後で手が入らない部分があったりしますから。パーツ同士の合いは比較的良いですが主翼上面と胴体の間や尾翼周辺などややスキマが開きやすい傾向にあります。


コクピット内を説明書も見ずに何となく青竹色で塗ってしまっているところ。フロートの中には前に詰めてオモリを5gずつ入れるようになっています。車用のバランスウェイトを5gずつ前端に入れましたが、両面テープだと剥がれて後ろに転がってしまう(なった・・・)ので前端の位置から動かないようにランナーの切れ端などで固定しておいた方が良いです。ここにウェイトを入れないと上上の仮組みした写真のようにフロート後半で接地するため機首が斜め上を向いてしまいます。(ただ、カタパルトの上に載せる以外の飾り方をしない場合はオモリが無くてもカタパルト上の滑走台の上では安定しそうな気がするので、材料や目的と相談して下さい)


コクピットを組みながら仮組みを繰り返します。


どうもコクピット内のスキマが多く、特に後ろ側は胴体後部が突き抜けていて丸見えになり、塞ぐパーツもありません。気になる・・・


コクピット後部が実機ではどうなっているかググって調べてみても有効な資料が見当たらない・・・っていうか色全然違うやないですか!コクピット内は機体内部色に緑を混ぜたものが指定で、他の人の作例などを見るとオリーブドラブに近い色をしています。コクピット後端はプラ板で適当に塞いでおき、適当にその辺にあった17RLM71ダークグリーンで塗ってしまいました。フロートと嵌合する台も組みますが、指定だと黒鉄色でもっと黒い色になります。(何となく思いつきで8銀にジャーマングレーで濃いめのウォッシングという面倒な事をしています)


いよいよ機体色の塗装。まずは35明灰白色(三菱系)で下半分を塗り、次に124暗緑色(三菱系)で塗りました。忘れてて一番最後にやりましたがフロートの支柱の前縁も緑になります。色の境目は特に凝った事はせず、筆塗りのまま。


キャノピーを取り付ける前にコクピット前席の後ろにつく輪っか状のパーツはそのままだとキャノピー内側と干渉するので取り付け位置を少し深めてやる必要があります。
残りのパーツも取り付けますが、キャノピーの塗り分けの邪魔になるのでキャノピー上に生える支柱は後回し。キャノピーはマスキング地獄ですがフリーハンドだとどうしても汚くなるので頑張りましょう。排気管、何で別パーツにしたし・・・(一見面倒ですが溝にパーツを置くだけなので実は結構簡単です)


ちょっと気分転換にカタパルトの方を。塗装は面積が大きいのでスプレー塗装でやってしまいました。ただモールドが細かく立体的なので吹けてない面が出来やすく、あまり頑張ると厚塗りになるので成型色が見えちゃってる所は素直に瓶塗料でレタッチします。構造の内側に配置されるシリンダーのパーツが曲がっていて修正を要したので上写真ではカタパルト下面のパーツに輪ゴムで括りつけて接着乾燥待ちしています。大雑把な瑞雲本体に対し、このカタパルトは特シリーズっぽい細かさと組みにくさが特徴でしょうか。


説明書だと一遍に組んでいますが上面と左右と前面後面を接着してから内側をウォッシングし、最後にシリンダーなどがある下面を接着する順序が無難。


下面を接着して輪ゴムで括って乾燥待ち。あとはいくつかパーツを取り付けてこちらは完成です。


キャノピーの塗り分けを終え、デカールも貼り終えたところ。水平尾翼前縁に貼るものだけ透明部分が多くシルバリングしやすいので念入りにマークセッターでピッタリさせます。垂直尾翼とキャノピー上の支柱との間に張り線を取り付ける際、ネットで見かけた艦船キットの張り線の張り方を参考にしてみました。取り付ける対象を普通に置いて作業すると引っ張った時に外れたりたわんだりして苦戦必至なので、一方を取り付けたら対象物を縦にして張り線を次に取り付ける位置に垂らしてそこで接着すれば引っ張る必要もなくたわませずに張れる、というもの。今回の場合は垂直尾翼の前縁に細い伸ばしランナーの一方を接着して機首を真下に向けて伸ばしランナーをキャノピー上の支柱の先に垂らし、そこで接着。余った分を切って出来上がり。



後回しにしていたプロペラを取り付けてエナメルジャーマングレーでウォッシングして完成。




零式三座水上偵察機を二座にしてちょっとだけ流麗にしたような印象。



搭載する爆弾は250kg爆弾×1か60kg爆弾×2とあるので翼下の小さいやつは60kg爆弾でしょうか。


エンジンは空冷星形14気筒の金星54型、1300馬力で最高速度は448km/h。


コクピットは二座で後席の後ろに13mm機銃があり、風防を開けて旋回機銃とします。


武装は爆弾と旋回機銃の他、主翼前縁に左右1挺ずつ20mm機関砲が装備されています。フロート支柱に無数の横穴がありますがここが左右に開いてエアブレーキの動作をする「ダイブブレーキ」となっています。ダイブブレーキは急降下中に重力によって最高速度以上に加速してしまうのを減速するためのもので、急降下爆撃能力が爆撃機を名乗る必須要素であった日本軍爆撃機の必須装備です。急降下爆撃はフライトシミュレーターをやってみるとすぐわかるのですが水平飛行しながらヒョイと爆弾を投下するのに較べ、高空から地上目標へ機首を向けて降下しながらの方が遥かに狙いが付けやすく爆弾を命中させやすい反面、地上に向かって高速で降下するため非常に恐怖であり、機首を引き上げて再上昇するために必要な高度と速度を見誤ると引き起こしきれずに地上に激突します。また狙いを付けそこなった場合、爆弾を抱えたままではその重量により引き起こしきれなくなるため爆弾を捨てる必要があり、急降下爆撃を再試行する事が出来ないため、狙いを付けられた地上や艦船からの対空砲火は機体を撃ち落とす事よりも爆撃機の狙いを外させる事の方が重要となります。(撃ち落とすと大破した機体や破片が爆弾ごと降ってきますので)


垂直尾翼には第634航空隊を示す634の文字。第634航空隊は第四航空戦隊隷下として航空戦艦伊勢に瑞雲18機、日向に彗星18機(彗星は着水能力の無い艦上機なので発進後は他の空母に着艦するか陸上基地まで飛ぶか使い捨てになる予定でした)の定数で搭載される予定で1944年5月に編成されましたが、10月には航空戦艦に搭載しない事に決まりフィリピン方面へは別々に向かい当地では水上機基地を拠点として夜間対艦攻撃などを行い戦果を挙げました。


台車に載せられた瑞雲。



呉式二号五型射出機。1/700の艦船キットでは頻繁に目にする特徴的なパーツですが、大スケールだとやっぱ、こう・・・カックイー


側面のトラス越しに見える内部のシリンダーを火薬で動作させ、シリンダーに繋がるワイヤーは内部にチラ見えする滑車に沿わせてカタパルトの前方から上面へ、そして後方へ伸びて滑走台に繋がり、この滑走台をシリンダーの動作でワイヤーを介して一気に前方へ加速させます。


滑走台はカタパルト上面左右のレールの間を前方へ滑走します。



滑走台に載せられた瑞雲。5500t型軽巡洋艦などではデリックで吊るして直接載せられますが、重巡洋艦などの大型艦ではフライングデッキ上の軌条を滑走車に載せられて移動し、カタパルト後面から滑走車の上の滑走台と機体のみが載り移ります。



いざ発艦!というワクワク感が漂います。軽巡だと駐機中もこうですが・・・



零式三座水上偵察機(右)と。大きさ的には瑞雲の方がわずかに小さく、機体形状は無骨な零式水偵に対し瑞雲は流麗な印象。


この零式水偵はハセガワの古いキットですが大和搭載機のためフロート支持がカタパルト対応型となっているのでこのように今回のカタパルトにも普通に搭載できます。


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今回は瑞雲目的で買ったものの買った後でネットで調べたら滅茶苦茶評判の悪いキットだったのですが、一緒についてきたカタパルトは見慣れたパーツが詳細に見られて非常に価値がありました。まあどちらもそれなりに組みにくさはありますが、瑞雲の方も雰囲気は十分なので個人的には許せるレベル。何か毎回組みあがっちゃうと「あら結構悪く無いんじゃなくて?」って思えちゃうのがフジミ。そう思えるように手を加えるのを楽しめるようになれば、プラモ組むのってどんだけでも楽しくなりますから。


ピットロード1/700スカイウェーブシリーズの潜水艦伊-56&伊-58(回天搭載型・2隻セット)です。


ピットロードのキットは駆逐艦しか組んだ事がないので横開きじゃない普通の箱は新鮮な印象。大きさ自体は駆逐艦キットの箱と同じくらい。

伊-56・伊-58は巡潜乙型改2、又は伊54型潜水艦3隻のうちの2隻です。伊54型潜水艦は巡潜乙型、伊15型(伊-19が有名です)の簡易量産型である伊40型を、更に戦時急造型として機関や電動機を低出力で軽量小型のものにし、代わりに燃料搭載量を増やして航続距離を延伸したタイプです。竣工は共に太平洋戦争末期となる1944年。竣工後まもなく改装により特攻兵器である人間魚雷・回天の搭載・発進機能を付与されました。
伊-56はフィリピン方面においてLST(戦車揚陸艦)や護衛空母を撃破したり、ヘッジホッグ(対潜迫撃砲)の不発弾を偶然に持ち帰るなどの戦果を挙げ、1944年の末に回天搭載の改装を受け訓練に従事した後、翌3月に沖縄へ出撃後米駆逐艦の攻撃を受け沈没したとされています。
伊-58は伊-56より竣工が遅かったため44年末に回天搭載の改装を受けるまで出撃は無く、回天搭載後も何度かの出撃をするものの中々戦果にありつけませんでしたが、7月にグアム方面へ出撃中、重巡洋艦インディアナポリスを回天ではなく魚雷によって撃沈する戦果を挙げました。この時インディアナポリスはテニアン島へ原子爆弾を輸送して本国へ戻る途中でした(この時輸送された原子爆弾はその後広島と長崎に投下されました)。伊-58はその後も回天を発進させる戦いをするものの戦果はなく終戦を迎え無事呉へ帰投後、米軍によって五島列島沖に沈められました。


内容はピットロードの駆逐艦キットとはかなり雰囲気が違う印象。


説明書は広告チラシのような光沢紙に片面印刷。


塗装指示はおなじみのカラー。ただ甲板の塗色は曖昧な言い回しで、作り手の判断に任せている様子。


パーツ群は一見多く見えますが、2隻分なので・・・


1隻分だとこれだけになります。少ないですが、簡単だとは誰も申しておりません。



船体上下と甲板パーツはスナップキットのように接着剤無しでも保持力がありますが、素直に接着した方が間違いがありません。ウォーターラインキットとして組む場合は船体下半分を取り付けずにおきますが、下面に代わりにかぶせるパーツなどは無いので見栄えがちょっと・・・


船体上下と甲板を接着。船体上下を接着せず気分でウォーターライン/フルハルどちらにもできるようにもできなくはないですが、ガンプラ並みの保持力があるので剥がすのが大変かも。


船体上半分を32軍艦色2、下半分を29艦底色、甲板を44タンで塗りました。潜水艦というと真っ黒のイメージがある人もいるでしょうが、日本軍のはこうです。ただ甲板色は塗装指示書にもあるように回天搭載時は黒に塗られていたとか、木甲板も海水でグレーに退色していたりとか、作り手の好みで判断して塗りましょう。


パーツを取り付けてゆきます。小さくて結構難儀します。一部パーツが成型不良で樹脂が流れきっておらず、欠けているところがありました(機銃の銃身片側とその直後の棒、艦尾左の枠など)。


回天を配置。前半の2つが前向き、後半の4つは後ろ向きになります。デカールは塗装指示書だと右側面しか書いてありませんが、左側は箱絵を参考に。




いつものようにジャーマングレーは使わず、イメージ的にやはり潜水艦は黒いもの・・・なのでエナメルフラットブラックのみでウォッシングして完成。



気持ち伊-56の方が黒が濃くなりました。伊-58はタミヤのウォーターラインキットがありますが、潜水艦はやはりフルハルで組みたいところ。



台座は船体下面の穴に対しキツキツなので少し削ってルーズにしたくらいが丁度良いです。


各部を観察。艦首の下半分には左右3門ずつ計6門の53cm魚雷発射管があります。その上には航空機のカナード翼のような動翼があり、ここら辺は水上艦とは違い水中で上下に機動する潜水艦である事をうかがわせます。とはいえこの時代の潜水艦はまだ今日の潜水艦ほどには深く潜れるものではなく、安全潜航深度100m、せいぜいが艦の全長分程度の深さまで。


艦橋、というか司令塔。上に伸びている3本は潜望鏡です。潜水艦ですが22号電探と13号電探が装備されています。


艦尾。舵の左右、スクリューの直後に水平尾翼があり、舵自体も垂直尾翼といった印象。


甲板に搭載された回天。回天は駆逐艦などに搭載された九三式61cm酸素魚雷の前に酸素タンクと操縦席を取り付けたような構造で、55km/hの速度で23kmの航続距離があります。ハッチは内側からも開けられますが55km/hで水中を航行中に外に出られるわけはなく、どのみち一度発進したら搭乗員は助からないものでした。よく「甲標的」と勘違いされますが、甲標的は短魚雷の発射能力を持つミニ潜水艦といえるもので、対して回天は誘導魚雷の誘導装置が人間であると思えばわかりやすいでしょうか。


伊54型潜水艦は元々司令塔の前に筒型の航空機格納庫をもち、専用の零式小型水上偵察機を1機搭載、前甲板にカタパルトとクレーン、40口径14cm単装砲などを装備していましたが、伊-58だけは竣工時から14cm砲をオミットされており、回天搭載の改装時には伊-56も14cm砲を撤去されています。


1945年に入り前甲板に2基の回天を搭載した際にここにあった航空艤装も撤去され、魚雷以外の兵装は司令塔にある25mm連装機銃1基のみとなっています。



特Ⅲ型駆逐艦の響(上)と神風型駆逐艦の疾風(下)と。全長108.7mと駆逐艦と同程度の全長があり、今日の攻撃型潜水艦が70~80m程度なのに対し長いですが性能的には天地ほどの差があります。これはまだ水上艦の延長線上にあった形のためで、水上航行時の速度に関してはむしろ今日の潜水艦よりも高速でした(水中では3~4倍の速度差になります)


@@@



潜水艦キットは水上艦とはやや趣が違う印象があり、興味が無い人は無いし持ちにくいかもしれません。種類もあまり多くなく、古くて作りが簡単なキットも多いため作り応えが無い・・・と感じるでしょう。今回のキットはデカールで差異はつけられるもののフジミの駆逐艦2隻セットと似て装備違いが作れないくせに全く同じものが2つ出来上がるものではありますが、1隻だけだと間違いなく物足りません。ただ出来自体は良好なので興味のある人はどうぞ。




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