~趣味の世界~
ピットロード1/700スカイウェーブシリーズの駆逐艦響1945です。

響は吹雪型(特型)22番艦、又は暁型(特Ⅲ型)の2番艦。ワシントン条約で大型艦の建造を止められた帝国海軍が条約の制約を受けない小型艦艇の拡充を図るべく、まずは睦月型駆逐艦の建造を開始しますが更なる性能向上を目指し、当時先進的な艦であった軽巡洋艦・夕張の手法を盛り込んで建造されたのが吹雪型駆逐艦でした。
吹雪型はまず10隻が建造され(特Ⅰ)、10番艦の浦波で改良が施され(改Ⅰ)、次の綾波から本格的に改良型として10隻が建造(綾波型・特Ⅱ)、更に最終型として暁から4隻の改良型(暁型・特Ⅲ型)が建造されました。しかしロンドン海軍軍縮会議によって吹雪型が属する排水量1500t以上の駆逐艦は合計排水量の16%とされ、事実上建造を止められてしまう事になります。これは列強が吹雪型駆逐艦の性能と数に危機感を持っていた表れでしょう。帝国海軍はこの後排水量を表面上1500t未満(実際は1500tを超えていたようです)に抑えた初春型の建造を行う事となります。
響は1933年に竣工し、同じ暁型の4艦と共に第6駆逐隊に属し太平洋戦争においても各地を転戦しました。しかしその経緯は損傷の修理により大きな作戦の不参加というもので、まず1942年キスカ島攻略直後に爆撃と波浪により艦首が折れ曲がる損傷を受け、修理のためガダルカナル島の戦いには不参加。次は1944年に輸送船団の護衛として台湾の高雄を出撃直後に触雷、また艦首が折れ曲がり修理のためレイテ沖海戦には不参加。3度目は1945年、戦艦大和等と共に沖縄特攻に向かう途中に触雷して船体がガタガタになり呉へ帰投。その後は新潟の岸壁沿いで防空砲台として過ごし終戦を迎えます。吹雪型駆逐艦で終戦まで生き残った艦は響の他は綾波型の潮だけでした。
戦後は復員船として従事し、その任を終えると1947年に賠償艦としてソビエト連邦へ引き渡され「ヴェールヌイ」と名を変えてソ連海軍太平洋艦隊に属しました。これは短期間であり、1948年には練習艦「デカブリスト」となり1953年に退役、1970年代に標的艦としてウラジオストク沖に沈みました。


箱は前回の朝潮と同じサイズ。


箱裏のカラー塗装指示。単装機銃の配置図にもなっています。


フルハル・ウォーターライン選択のキットなので水面下の船体のパーツが含まれ、その分ややボリュームが多めになっています。


説明書は2枚あり1枚目は両面印刷で最終仕様、2枚目は片側のみ印刷で竣工時の装備に組む説明。読む要素の中にヴェールヌイではなく「プリツキー」となっていますが、この名で認識されていた時期があったようです。ただしググってもいつ?どういう経緯でヴェールヌイに?なのかがよくわかりません・・・


2枚目。キットには特Ⅰ型のパーツも入っています。


パーツ全図。ランナー4枚とデカール。バラストは付属しません。Bのランナー(砲塔や機銃などの武装パーツが主)は朝潮や不知火にも入っていたものと同じかも。


モールドはいつものピットロードのクオリティですが船体は左右分割されており船体側面のモールドは深く入っています。といっても舷窓の穴が深くなっただけのようにも感じます・・・


デカールは暁のものも付属。といっても太平洋戦争中は側面の名前や戦隊番号は消されていたので、何も貼らず「これは暁だ!」って言えば暁になります。(暁は1942年11月没なので装備はやや異なります)



まずは船体から。船体は左右分割されていますが、艦底は側面と一体で真ん中で分割されており、洋上モデルに組むと底面が見苦しいかもしれません。甲板は船首の1段高くなっている部分と、それ以外で分割されています。1段高い方との間は筆が入りづらいので裏側や奥まる部分は先に軽く塗っておく方が良いかもしれません。


若干のバリや意味不明だダボが生えてて合わせはあまりよくありませんが、軽くヤスれば十分。


フルハル仕様にするなら更に艦底パーツを貼り合わせます。スクリュー周りは先に組んでしまいましたが、やや筆が入りづらい部分があるのでスクリューの足と舵だけを取り付けて艦底色で塗り、その後で塗装したスクリューを取り付けてレタッチした方がスマートかも。


リノリウム色として43ウッドブラウンを塗装。


軍艦色2と艦底色も塗りました。


艤装を取り付けてゆきます。左右合わせのパーツは合わせ目に不要なダボが片側に短く生えている傾向にあるので貼り合わせる前に一旦ヤスってやる必要があります。他、後部煙突右のトラス状のパーツがうまく取りつかなかったり、2番魚雷発射管の後ろに立つ機銃台の中央の足がその下に取りつくパーツと辻褄が合わなかったりするので仮組みをしながら必要に応じて切り詰めたり、合わせを調整しながら作業します。やや面倒。


説明書通り最終仕様として取り付けるパーツは取り付けました。


箱裏を見ながら単装機銃を置いてゆきます。キットに付属する14挺全て使用します。予備は無いので注意。




残りの塗装とレタッチをし、デカールを貼り、エナメルジャーマングレーで大雑把にウォッシングして完成。艦首の国旗は瞬着で強化したらパリッと割れちゃいました・・・



タミヤの吹雪と比べると甲板上にはよく盛り付けられていて密度感が高いです。



目線を下して観察。フルハルモデルは何かこう宇宙戦艦みたいな印象があります。まだ2つしか作ってないせいか見慣れていない感じ。


各部を観察。主砲は50口径三年式12.7cm連装砲。特Ⅰ型に搭載されていた形状が異なるA砲塔を特Ⅱ型から高角対応(40度→75度)としたB砲塔に替えて搭載していました。しかしこのB砲塔は重量が重く、また装填時に平射位置へ戻す必要があり連射速度が遅くあまり実用的ではありませんでした。友鶴事件の後の性能改善改修によりC砲塔に近い形状の砲塔に交換されました。キットでは朝潮型や陽炎型のC砲塔と同じパーツです。


艦中部。艦橋はこれよりも段が多い形状でしたが友鶴事件の後に軽量化のためやや小型化されました。戦中後期にマストの途中に台が取り付けられ、その上に22号電探が置かれています。特Ⅲ型からは機関を大出力にした代わりに数を減らしたため1番煙突が細くなりました。魚雷発射管は十二年式61cm三連装魚雷発射管で、特Ⅱ型から後付され始めた砲室が特Ⅲ型から標準装備となっています。


艦後半。後部マストにはこれも戦中後期に追加された13号電探が装備されています。その直後には2番砲塔がありましたがキットではタンデム配置で2基の九六式25mm3連装機銃が代わりに置かれています。


甲板上にモールドで表現されているためやや目立ちませんが3番砲塔の後方に三式爆雷投射機(K砲)と装填台があります。


再び艦中部。2・3番魚雷発射管の間に建てられている機銃台の上には2基の九六式25mm3連装機銃が置かれています。対空兵装はこのように山盛りになっていますが竣工時は13mm単装機銃がたった2挺しか装備されていませんでした。


艦前半右舷側。艦橋の前には機銃台が増設され、その上に九六式25mm連装機銃が置かれています。


タミヤの吹雪(特Ⅰ型)と。手前が吹雪。同じ特型でもかなり違って見えます。


艦中部のアップ。煙突の左右にある吸気口が特Ⅰ型では換気扇のダクトのような形状ですが、特Ⅱ型からは煙突付け根にサルノコシカケというか、キノコの傘のような形状に変わっています。前述のように特Ⅲ型では1番煙突が細くなっているので、ここが見分けるポイントでしょう。他、吹雪では魚雷発射管の砲室がまだ無く、剥き出しになっています。ここは太平洋戦争開戦時には特型だけで無く睦月型などにも砲室が追加されていました。


同じフルハルモデル、陽炎型駆逐艦の不知火と。この不知火はディテールアップパーツが付属する豪華版だったので砲塔などは違うパーツを使用しています。


駆逐艦一同勢揃い。夕雲型と島風がまだありませんが・・・


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ちょっと油断があったのか、今回は作業時間はスピーディだったもののやや手こずったかもしれません。初心者がいきなり組むには厳しいですが、2~3個組んで要領を得たなら十分何とかなるでしょう。恐れる事はありません。
昔に較べ高くなったとはいえクオリティの平均は確実に大幅アップしています。やはり駆逐艦はコレクションしてナンボではないでしょうか?




ピットロード1/700スカイウェーブシリーズの駆逐艦朝潮です。

朝潮は朝潮型駆逐艦の1番艦。軍縮条約によって十分なサイズを持っていた吹雪型の建造を止められてしまい仕方なく小型化した船体に重武装を施した初春型を建造しましたが重心の高さからくる転覆の危険性からやや武装を減らした改良型の白露型に至り、十分な武装を持つ駆逐艦を得るにはもっと大きな船体が必要という事で条約破棄を契機に船体を再び大型化、十分な武装を盛り込んで建造されたのが朝潮型です。しかし1番艦朝潮が建造に入った直後に第四艦隊事件(台風の中無理やり演習したら参加艦艇の艦橋が潰れたり艦首がもげたりして船体強度が足りてないのが露呈した事件)が発生し設計を変更、船体の強化などを行い重量や抵抗が増したため計画より速力と航続力が低下(ただし実際の性能は計画をむしろ上回っていたとされています)。やや不満の残る出来となったためこの点を改良した次型の陽炎型へと続きます。
朝潮型駆逐艦は太平洋戦争においては主力駆逐艦として改良型である陽炎型・夕雲型と共に前線へ赴き、朝潮もまた第8駆逐隊に属し姉妹艦の大潮・荒潮・満潮などと共に各地を転戦、最後はビスマルク海海戦において給炭艦野島の艦長と交わしていた「どちらかの艦の危機には必ず救助に向かう」約束を果たすため撤退命令を振り切って爆撃と荒潮との衝突により大破していた野島の救助に向かい、野島と荒潮の救助を行うものの、海域には動目標が朝潮のみであったため敵機の集中爆撃を受け沈没してしまいます。


箱はピットロードの駆逐艦キットのおなじみサイズ。ちょっと大きめ。


箱下面はカラーの塗装指示。艦首左右の番号は意味を理解していなかったのですが、戦隊番号だったのですね。そういや以前組んだ不知火は霰と同じ18(第18駆逐隊)だったわ・・・


内容は睦月型とかに較べたら箱の大きさなりにボリュームがあります。


説明書。説明書を見る限りでは難しいところはありません。説明書中にもありますが艦橋左から出ている細長い煙突をカッターの取り付け前に付ける点が見落とすとちょっと困るって点だけでしょう。
箱裏の塗装指示だとマストはただの線なのでマストをどう塗るかちょっと迷います。グレー一色でいいみたいですけども。


パーツ全図。ランナー2枚とデカール1枚。バラストは付属しません。デカールは大潮・荒潮・夏雲・峯雲・霰(あられ)の分も付属し、それらに組む事もできます。とはいっても違いはデカールだけです。


ディテールはピットロードらしいカッチリした緻密なもの。ただし船体側面は抜きの方向の問題でディテールが薄く、無いよりはマシという程度に留まります。


それでは製作開始。船体と艦底、甲板前端をとっとと接着してしまいます。合わせ面にややバリがあるので削っておき、流し込みタイプの接着剤を合わせ目に流して押さえながら貼り合わせます。さすがにタミヤほどピッタリキッチリしていませんが、十分十分。


まずリノリウム色として43ウッドブラウンを。成型色が白く透けやすいので気持ちしっかり目に塗ります。


32軍艦色2をそれ以外全部に。船体以外のランナー2枚ともスプレー塗装すると楽でしょうが、そもそもランナーにパーツが付いてる状態では塗らないって?俺は塗るの!


艦底色は前回の球磨同様にちゃんとマスキング。マスキングテープは生乾きの内に剥がした方がキレイになります。完全乾燥後だと塗装の境界がザクザクになりやすいのです。


パーツを取り付けてゆきます。特に難しいところはありませんし、単装機銃山盛りというのでも無いので細かさも程々。ただし小さなパーツの接着位置には印はあれど穴までは無いので完成後はあまりパーツの取り付けが強く無い事を留意しておきましょう。


デカールは濡らすとすぐ浮いてくれて作業性も良好。馴染みも良いですがあまり頑丈ではないので無理は禁物。旗もデカールですが紙シールと同じ要領だと千切れるので瞬着を全体に薄く塗って強化していますが、やはり脆いのでなるべく触らないように。




エナメルジャーマングレーでウォッシングをして完成。面倒臭がってウォッシングを平筆でやったのでちょっと濃いめになり名前がロービジっぽく見づらくなってしまいました。



ピットロードにしてはややあっさりして見えるかもしれません。キットには機銃や高角砲など大量に付属しますが使うのは一部で、良好なディテールの小パーツがかなり余ります。



目線を下して観察。ピットロードのキットは乾舷が低めで側面のディテールが薄いのでこの角度はあまり見栄えがしません。


各部を観察。主砲塔はおなじみ50口径三年式12.7cm連装砲(C砲塔)。高角対応だった初春型のB砲塔の仰角を75度から55度に戻し軽量化したもので、白露型から陽炎型に搭載されています。


艦中部。朝潮は竣工後数年で機関のタービン翼に共振による破損が見つかり、もしかして海軍の全部の艦に同じ症状があるんじゃね?と疑った事件(臨機調事件)がありました。結局は朝潮のみの不具合であったようです。


艦後半。2番砲塔は白露型では単装砲塔にして低い位置に置き重心を低くしていましたが朝潮型では晴れて連装砲塔を1段高い位置に置けるようになりました。


右舷から。艦尾の左右にある魚みたいなのはパラベーンと呼ばれるもので、これをワイヤーで曳航して機雷を破壊するためのもの。その前方、連装砲の後方には九四式爆雷投射機(Y砲)が見え、隣接した箱が爆雷装填台。


艦中部右舷側。2番煙突の前後に九二式四連装魚雷発射管が置かれ、煙突の左右と後部マストの下に次発装填装置があります。煙突左右の次発装填装置の上には九六式25mm連装機銃が2基あります。機銃の増備についてはあまりはっきりしておらず、戦中において連装が3連装に、2番砲塔を撤去して3連装、艦橋前に連装、その他単装をいくつか設置していたようです。


艦橋周辺を後方から。朝潮型では艦内の電源を当時の艦艇ではそれまで直流だったものから交流に変更しています。これにより港に停泊時など艦の外部から直接電源を引き込めるようになり、この変更は好評であったようです。何で直流だったの?と言われれば、直流/交流のメリットデメリットがあり一概にどうとも言えません。



朝潮型の前後の艦型と。手前から白露・朝潮・不知火(陽炎型)。艤装の配置など、白露型から継承されているもの、陽炎型へ継承しているもの、共通しているものなどが確認できます。


手前が朝潮、奥が不知火。艦橋やマストの形状はほぼ同じです。


2番煙突の左右にあった次発装填装置が1番煙突の左右に移動し、代わりにボートダビットが2番煙突の左右に来ています。


後部魚雷発射管から後ろは全く同じに見えます。スペック的には朝潮型から陽炎型では機関の強化により速力が若干、航続距離がかなり増強されています。


駆逐艦各型。手前から長月(睦月型)、吹雪(吹雪型(特Ⅰ))、子の日(初春型)、白露(白露型)、朝潮(朝潮型)、不知火(陽炎型)。この他に秋月型と松型を持っているのであとは夕雲型と島風か。吹雪型も大きく3種あるのでそこも・・・


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ピットロードにしてはあまり苦労しない、初心者でも何とかなるキットです。
大昔にハセガワの朝潮型である峯雲を作った事があるのですが、あちらも艦橋後方の形状などやや気になる点はあるもののダメってほどではないキットです。その峯雲の後に作った駆逐艦のキットが何かひっでぇキットだった記憶があるのですが、名前までは覚えていません・・・






タミヤ1/700ウォーターラインシリーズの軽巡洋艦球磨です。

球磨は球磨型軽巡洋艦の1番艦。やや小型に過ぎた天龍型を拡大して強力な機関を搭載する事で高速・重武装化に対応した正常進化型であり、後の長良型・川内型に続く基本形が出来上がった艦型です。球磨型・長良型・川内型はまとめて5500t型軽巡洋艦とも呼ばれます。
しかし竣工は1920年と古く、太平洋戦争開戦時にはすでに旧式化していましたが川内型の後は開戦直前に起工する阿賀野型まで長く建造期間が空いていたため代わりの艦は無く、近代化改装で凌いでかり出され専ら拠点攻撃の援護といった支援任務に就いていました。そしてニューギニア方面に於いて対潜演習に出たところを英潜水艦タリホーと遭遇、雷撃を受けマラッカ海峡付近にて沈没してしまいます。


球磨はウォーターラインシリーズのナンバリングはNo.316(旧No.80)とかなり古くから居る古参で以前作ったフジミの名取と同じくらい古いキットですが、そこは安心のタミヤ様。


パーツ数はそれほど多くなくシンプル。


説明書。塗装指示はリノリウム色がレッドブラウンで指示されていますがどこをどう塗るかまではよく分かりません。組み立て説明は必要十分で特に分かりにくいところもありません。


主要パーツ群。主に船体2パーツとランナー2枚で構成されています。


艦底パーツに1973の記述。昭和48年。私が生まれる前です。


古くてもさすがにタミヤだけあってモールドは最近のものと比べても見劣りしません。ただわずかにバリがあるのだけはご愛嬌。船体側面もちゃんとモールドが入っています。同じタミヤでも夕張や駆逐艦の船体側面はなにも無かったのでこのあたりはやる気の差なのでしょうか。


静模のディテールアップパーツ(大型艦用)が付属しますが、今回は特に使わなくても良さそう。タミヤのキットではあくまで基本パーツと置き換えで使うようになっており、ここに必須パーツは含まれていません。


連装機銃だけはちょっと貧相だったので前回の高雄で余っていたものを使う事にしました。


それでは製作開始。5500t型軽巡は魚雷発射管が艦内にあるのでまずここだけ作ってしまいます。さすがはタミヤ様というか、魚雷発射管の部屋の奥に仕切りがあり、向う側が見えないようにされていました。なのでこの仕切りの内側だけ塗装すれば十分。部屋内床面になるバラスト上面も見える範囲だけ塗装。バラストは艦底パーツの上に置くだけで船体パーツ側からも押さえられますが、クリアランスがありカタカタするので前後だけでもテープで留めておくと良いかもしれません。


魚雷周りを作ったら船体と艦底パーツを接着。パーツの合いはピッタリすぎて流し込みタイプの接着剤が滲みていかないレベル。


リノリウム色として43ウッドブラウンから塗装。船体中央やや前の一段下がっているウェルデッキや、別パーツになっているセルター甲板の上面にはリノリウム押さえのモールドが無いためちょっと迷いましたが、那珂・名取・天龍とここは全部塗ってきたのでやはり塗るところであろうと。(こういうところは各自「好み」で塗って頂きたい)


艦底色は毎回よれよれにしてしまうので今回はちゃんとマスキングしてみました。


うん、最初からやってれば良かったわ・・・


パーツを取り付けてゆきます。苦労するところは特にありません。ただ、若干パーツが細かく感じた気はします。


水上機は九五式水上偵察機が1機付属するので上面を濃緑色、下面をガルグレー、マークを赤で塗装。ディテールアップパーツにも九五式水偵がありますが基本パーツのものも若干ディテールが劣る程度で十分といえば十分といえるもの。


旗は紙シール。説明書通りに旗竿に巻くと数日で開いてしまうので、裏表貼り合わせて端を切ったものを旗竿に瞬着でくっつけています。これが一番きれいにできるように思います。




エナメルジャーマングレーとフラットブラックとフラットブラウンでウォッシングして完成。



コレクション派としてはこれくらいすんなりいってくれると助かります・・・



目線を下して観察。以前作った長良型と川内型はエッチングパーツ付きだったのでそれと比べるとあっさりして見えるものの、こちらはその分甲板上のディテール密度があるので貧相には見えません。


各部を観察。主砲は50口径三年式14cm速射砲を後方が開いた単装砲塔に収めて7基装備しています。艦橋は竣工時はオープントップの上に幌屋根を取り付けたものでしたが改装時に密閉化されています。


ウェルデッキ周辺。マストは三脚型で艦橋との間を構造物で埋められている上にマスト上にも部屋があるため一見すると伊勢型以前の戦艦のようなマストと一体化した艦橋のようにも見えます。その後方には一段下がったウェルデッキがあり、そこには六年式53cm連装魚雷発射管が2基置かれています。53cm?と思った人もいるかもしれません。次型の長良型から八年式61cm連装魚雷発射管に置き換わります。ウェルデッキの後方、一段高くなってすぐの所には開戦後に据え付けられた九六式25mm連装機銃があります。ここには竣工時には40口径三年式8cm単装高角砲が置かれていましたが、他の5500t型同様に8cm高角砲→13mm連装機銃→25mmと変遷しています。


煙突。球磨の煙突は3本全てにソロバンの珠のような形の雨水除去装置が装備され煙突上方がふくらんだ形をしています。球磨型の他の艦では木曽が1・2番煙突だけが膨らんでおり、それ以外の多摩・北上・大井は真っ直ぐな形でここが識別点になっています。


セルター甲板付近。セルター甲板直前の艦側面には魚雷発射管の出口があり、この中に前方ウェルデッキのものと同じ53cm連装魚雷発射管が設置されています。セルター甲板上には5~7番砲塔と呉式二号カタパルト、マストなどが設置されています。このキットは開戦時頃の状態ですが、最終状態では5番砲塔が撤去され25mm3連装機銃2基が増備されていました。


艦尾。セルター甲板左右から艦尾にかけて伸びているレールは機雷敷設軌条。装備表を見ると型式は不明ですが爆雷投射機なども一応装備されているようです。


右舷に。機雷敷設軌条の間にあるモールドが爆雷投射機と装填装置のモールドなのでしょうか。


カタパルトは後から設置されたもので、同じ球磨型では木曽の艦橋前から2番砲塔の上に航空機滑走台を設置していましたが陸上機の発艦のみで実用的ではなく、カタパルトが実用化されると代わって多くの5500t型に装備されました。


カタパルト上の九五式水上偵察機。複葉の小型偵察機であり、後継の零式水上観測機同様に九六式艦上戦闘機に匹敵する運動性能を持つとされています。


右舷側から煙突付近。機関は竣工当時の戦艦長門が80000馬力だったのに対し90000馬力と非常に高出力であり、最大速力36ノットの快速を誇っていました。しかし太平洋戦争の頃には近代化改装による重量増加により排水量は7000tほどに増加しており、速力は32ノットほどに落ちていたそうです。


艦前方を後方から。


手前から天龍、球磨、名取、那珂。


艦首形状はスプーンバウと呼ばれる丸みのある形状。これは一号機雷と呼ばれるワイヤーで繋げた機雷を用いた「機雷戦」を想定したもので、この丸い形状によりワイヤーを乗り越えるつもりであったとされています。しかしこのスプーンバウは凌波性が良くなく、また機雷戦も主流から外れていったため艦首の損傷修理のついでにダブルカーブドバウに変更された艦もあり(阿武隈・神通など)、5500t型最後発である上写真奥の那珂は竣工時からダブルカーブドバウとなっていました。


艦橋の差異。天龍や球磨は元々露天艦橋であり、名取も簡易な屋根が付けられていただけでした。球磨型の木曽以降は艦橋の中段に航空機格納庫を備える関係上艦橋が大型化していました。格納庫は後に用済みとなりましたが艦内容積が大きいに越したことは無いのか、艦橋サイズは大きくなったままでした。(厳密には、大きいだけ高い位置に重量物がある事になるので友鶴事件で問題になった艦の重心の高さの原因になります)


煙突の差異。天龍型~長良型は煙突の太さこそ違うものの生えている位置はほぼ同じで、魚雷発射管の位置も同様。川内型では機関を重油節約のために石炭混焼缶を長良型の2基から4基に比率を変更したため煙突本数が4本に増えており、ウェルデッキの位置も変更されています。


セルター甲板付近の差異。セルター甲板自体は天龍型ではオマケ程度だったものがどんどん広くなってゆきます。マストは他の艦型同様に新しいほど艦の中央に寄せられており、甲板上の艤装も効率的になってゆきます。


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古い製品ですが最近のものと比べても遜色無く、それでいて非常に組みやすい良キットです。
人によっては5500t型軽巡は「古臭い、貧相」と思うかもしれませんが(私も昔はそう思ってました…提督の決断(初代)なんかだとただの雑魚なんですよね)、こうして組んでみると非常に丁度良いサイズと手間加減。全部集めても駆逐艦ほど大変な事にはなりませんて。フフッ

アオシマ1/700ウォーターラインシリーズの重巡洋艦高雄1944です。

高雄は妙高型重巡洋艦の次級として、艦隊の主力を担うべく艦橋を大型化させ、高い艦隊指揮能力を与えられた高雄型重巡洋艦の1番艦。太平洋戦争開戦から各地で活躍しましたが戦争末期のレイテ湾において米潜水艦ダーターの雷撃を受け大破、シンガポールに退避しますがその後は戦況の悪化から本土へ帰還する事もできず修理もままならないまま置き去りにされ終戦を迎えます。戦後は賠償艦としてイギリスへ引き渡されますが大破状態なうえ艦の規格も合わないため不要とされ、マラッカ海峡にて爆沈処分されました。


ウォーターラインシリーズのナンバリングは337、元々高雄はウォーターラインシリーズNo.2(→No.325)と最初期からあるものでしたがこのキットは近年リニューアルされたもので、以前組んだハセガワの足柄(No.336)の次に位置します。


箱はコンパクトで前回の衣笠の箱より二回りほど小さいサイズ。他社の軽巡やピットロードの駆逐艦の箱と同じくらい。


比較的新しめのキットなのでパーツ点数は多いですが、近年のアオシマらしく程々の量にまとめられています。



説明書は横長な一枚で、3枚折にするとB5版になるサイズ。個人的にはこのくらいが取り回しが良くて好み。


読む要素もちゃんとあります。塗装指示は各項にも細かく書かれている親切設計です。ただし水性ホビーカラーの番号(H〇〇)なのでMr.カラーを使う場合には間違わないように注意。


主要パーツ展開。パーツ数はそれなりにあるものの、フジミの特に較べたら全然少ないです。ウンザリせず、貧相にも感じない程々の量。


ディテールはややエッジがダルい印象はありますがノッペラだったりはせず、貧相には感じないハズ。まあ近年のアオシマのクオリティです。


静模のディテールアップパーツ大型艦用が2枚付属。必須パーツを含みます。本体の方の説明書には水上機の組み立て説明や塗装例がありませんが、好みで組む人は塗装についてはググって参考にすると良いでしょう。


それでは製作開始。船体パーツは甲板にも側面にもモールドがちゃんと入っていて中々のものですが、艦底パーツの外周は船体側面に露出せず下面のフタの役割。甲板前側は別パーツになっています。


それぞれを貼り合わせる前に、砲塔可動のためのポリキャップを先に配置してから貼り合わせる必要があります。バラストは貼り合わせると上下で押さえられるので置いとくだけでOK。ポリキャップの入る窪みはポリキャップより大分広いので砲塔パーツを挿して仮止めしておくと良いでしょう。また、説明書にもありますが甲板パーツが艦首部分で噛み合いが悪く削る指示があるので甲板パーツの貼り合わせ面の隅を棒ヤスリなどで薄く削ってフィッティングを確認してから接着します。ここ以外にも、砲塔に差し込む砲身の白く塗る部分の左右も合わせがキツいので削って仮組みして確かめてから接着しましょう。


船体が反り返っていたので艦底と甲板を接着後重しをして矯正しているところ。艦首と艦尾の下に爪楊枝を置いて、船体中央に重しをして1時間ほど放置したらピッタリ接地できました。熱を加えて曲げ直そうとすると酷い曲がり方をしたり割れたりなどの事故が起きがちだし、冷えると反り戻ったりするので可能な限り熱による修正は避けた方が安全。


リノリウム色を塗装。いつも通り43ウッドブラウンです。フライングデッキの両舷にある窓枠みたいな部分の内側が狭くて塗りにくい・・・この窓枠みたいなの別パーツでもよくね?


軍艦色2と艦底色。艦底色は側面に塗る部分はマスキングをした方が楽。フリーハンドで塗り分けるとパーツ合わせの段差が無く、浅い凸モールドだけなのでガタガタになりやすいです(なりました)。


パーツを取り付けてゆきます。やや甲板面とピッタリ合わない傾向にあるのですり合わせは入念に。煙突周囲に取りつく機銃の架台は説明書だと煙突の後に取り付けていますが、煙突を取り付ける前にやった方が確実に簡単。


艦橋から後ろにかけてのパーツは大まかなパーツを先に取り付けてから細かいパーツを付けた方が安全でしょう。穴も突起も無いところへ付けるパーツがいくつかあり、先に付けたら位置が悪くて隣のパーツが取りつかないと思しき箇所が何か所かあります。


ただ、パーツはあまり細かくされていないので案外ピンセットを使わなくても素手でいける部分が多く、作業中のストレスは少なかった印象。


もうちょっとで完成。艦橋左右のボートダビットや艦尾の旗竿は穴も何も開いてない位置に取り付ける事になるのであらかじめピンバイスで浅く掘っておくと安定しやすいでしょう。




エナメルジャーマングレーとフラットブラックでウォッシングとスミ入れをして完成。



仕上がりの大きさの割にはストレス少な目でサクッと組めました。凝る人は出来た余力でディテールアップに勤しむも良し。



目線を下して観察。旗は紙シールですが以前組んだ艦の同様のシール旗が開いたりしてるのでどうしたものかと考えたところ、旗竿に巻かずに貼り合わせた端を旗竿に瞬着でくっつけました。これで開かないハズ。


恒例の各部観察タイム。ググって出るレベルの事ですが間違ってても許して!
主砲塔は50口径三年式20.3cm連装砲。高雄のものは仰角が70度まで向けられるようになったE型ですが、対空射撃管制が不十分なうえ装填時は5度に戻さなければならないので対空射撃は不得意。キットではポリキャップによって砲塔が回転させられますが保持が緩い砲塔があり、3番砲塔は砲身が艦橋前面に干渉して真後ろを向けられません・・・


高雄型の最大の特徴でもある艦橋。集合煙突の根元の真上を覆うように建っているため余計になりが大きくなっています。一段高くなっている甲板の側面に開いている穴は前と後ろが4連装魚雷発射管の可動域の分だけ開いており、キットでは発射管を外に向けた状態にも組むことができます。間にある穴は掃海具が内側にあります。


煙突~フライングデッキ。煙突の左右舷には合計4基の40口径八九式12.7cm連装高角砲、架台に載せた九六式25mm機銃が連装・3連装共に多数置かれています。内火艇類が内側にまとめられていますが、外に出す時は後方のマストから出ているデリック(クレーン)で吊るすのでしょうか?このあたりのレイアウトは青葉型から利根型までバラバラでどのレイアウトが最善なのか試行錯誤していたのでしょう。


艦尾方向。青葉型や妙高型ではスカスカ感が強かった艦尾ですが高雄型では近代化改装時に2基の三連装機銃が置かれています。


近代化改装では40mmのポンポン砲や7.7mmなどの旧弊な機銃が13mmや25mmに置き換えられ、青葉型ではそのままにされていた45口径十年式12cm単装高角砲も前述の40口径八九式12.7cm連装高角砲に置き換えられました。


カタパルトは呉式二号五型射出機。カタパルト上に待機する水上機が4番砲塔の射撃の爆風で損傷する事例があり、この点については利根型のように砲と航空艤装を完全に分けるまでは問題として残りました。


艦橋直後のマストには頂上に21号電探、マスト後面に13号電探、そして艦橋の上方後面左右角に22号電探が確認できます。


艦橋。竣工当時は大きすぎると批判された大きな艦橋も、現代ではイージス艦などで当たり前に見られる大きさになりました。


艦橋から艦首方向へ。高雄型は書類上では最後の重巡洋艦とされ、次型である最上型からは搭載砲が小口径多連装化されて軽巡洋艦として建造が始まります。最上型は後に砲が大口径化、利根型は最初から20.3cm砲を持つ実質的な重巡洋艦でしたが、あくまでも書類上では軽巡洋艦とされていました。




妙高型重巡洋艦の足柄と。甲板2段目もリノリウム色になっている方が足柄。似ているようで結構違いがあります。


重巡4種。上から衣笠、足柄、高雄、利根。下3艦はほぼ同じ全長です。最上型もいずれ・・・


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説明書順に組むとちょっと「ん?」という箇所もありますが概ねストレス無く組みやすいキットです。フジミの特シリーズにも高雄はあるのでどちらを選ぶかはお好みで。あちらは多分ハイディテールで労の多いキットでしょうから・・・


ハセガワ1/700ウォーターラインシリーズの重巡洋艦衣笠です。

衣笠は青葉型重巡洋艦の2番艦。青葉型重巡洋艦は日本海軍の重巡洋艦という艦種として初であった古鷹型重巡洋艦の改良型であり、艦の規模やレイアウト的には古鷹型からは大きく変化はしていないものの武装は20cm単装砲6基が20cm連装砲3基に置き換わり、後部マストの位置が前方へ移動しているのがパッと見での大きな変化。また衣笠は日本海軍では実用初となるカタパルトを装備する艦でした。


箱は全長が39cmあり、戦艦か正規空母でも入ってそうな大きさ。


ナンバリングが348と割と新しい部類になります。307(旧64)にも衣笠がありますが、それとは別のもののようです。


衣笠概要。起工が大正、竣工が昭和の初めと川内型軽巡洋艦よりちょっと新しく、睦月型駆逐艦と同じくらいの竣工時期の艦。


箱同様に説明書も異様に大きく、1枚紙なので製作中は説明書の置き所にやや苦慮するかもしれません。折ってコンパクトにすると見えない部分が多く、もうちょっと何とかならないかな・・・ただ大きい分内容も大きめに書かれているので遠視や老眼の人にも見やすくはあります。


パーツ全部。新しめのキットですがパーツ点数は少な目に抑えられており、フジミの特みたいにウンザリ感は少ないでしょう。


十分だとは個人的に思うのですが、フジミの特やピットロードに慣れてしまっているとモールドはあっさりして見えるかもしれません。アオシマの新しめのものほど大仰なモールドでもないのでやや地味な印象。


おなじみ静模の大型艦用ディテールアップパーツが付属します。古いキットとは違いここにも必須パーツが含まれているので無駄にはなりません(結局かなり余りますが・・・)。


それでは製作開始。説明書の順序では砲塔や煙突・艦橋などから組みますが、いつも通り船体から組んでしまいます。構成は艦底と甲板・艦舷左右とバラスト、補助用の梁が3本。


艦舷左右を前端と後端で接着後バラストを貼りつけた艦底に載せ、梁3本を取り付けました。甲板パーツは穴を開け足したりなどの指示は無いのでそのまま載せて接着してしまって良いでしょう。


流し込みタイプの接着剤だと作業性が非常に良好です。普通のタミヤセメント(フタが白いやつ)最近使ってないな・・・
パーツ合わせは良好ですがランナーから切り離した時のゲート跡はきれいにしておくとよりスムーズに作業が進められるでしょう。


艦首部分は合わせが上写真のように左舷側に回っているためちょっと目立つのでヤスって目立たなくしておきたいところ。


船体の塗装はまずリノリウム色(近似色として43ウッドブラウン)を大まかに塗りました。


暇が無くて数日放置後、軍艦色2を塗り、艦底色も塗りました。


構造物や艤装を載せてゆきます。集合煙突の根元前側が艦橋にめり込んでいる形なので煙突を先に載せてから艦橋を載せます。パーツ合わせはまずまずで苦労はありませんが前後煙突間に取り付ける機銃が載ったデッキがやや取り付けにくいくらい。


水上機も組みます。説明書では上写真の左、九四式水上偵察機と中、零式三座水上偵察機のみ書かれていますが、右の零式水上観測機も折角なので組んでみました。ディテールアップパーツ内には他に九五式水上偵察機があります。




完成。ちょっとウォッシングをやりすぎた感。



斜め上方から。艦尾周りがややスカスカな印象ですが、ここは資料写真を見てもあまり物が載って無いのでこんなもんかもしれません。



目線を下して観察。デカールは艦尾の旗しか使いませんでしたが大きめでしっかりしているので中々良いです。デカールは水につけてもなかなか台紙から動いてくれず若干の辛抱を要します。短気を起こしてビリッとやっちゃうと元も子もありません。


艦首から観察してゆきます。主砲は50口径三年式20cm連装砲。キットは機銃などを見るに近代化改装後なので2号20.3cm砲でしょうか。


艦橋・煙突周辺。マストは十字型の簡素なもので、まだマストを軸に艦橋を積み重ねていた時代の残り香があります。煙突は1・2番目をつなげ斜め後方へ傾けた集合煙突で、軽巡夕張から古鷹型を経て継承されて来ています。


後部マスト周辺。煙突左右の舷側には45口径十年式12cm単装高角砲があります。これは睦月型駆逐艦などに搭載されている45口径三年式12cm砲を高角砲化したもの。マストの根元艦尾方向にはフライングデッキが載っており、その下には九二式61cm4連装魚雷発射管が左右に1つずつ計2基あり、その前方には自発装填装置が置かれています。


艦尾。フライングデッキと砲塔の間に配置されたカタパルトは1928年にまず初期型である空気式の呉式一号一型射出機が装備され、後に火薬式の二号一型に換装、そして近代化改装時には二号五型に換装されました。二号五型の射出重量は4tで、3650kgの零式三座水上偵察機を射出するのに必要な装備。


右舷へ。水上機の搭載数はフライングデッキとカタパルト上にそれぞれ1機ずつ計2機。次型の妙高型重巡洋艦では艦自体が大型化しカタパルトも2基装備され搭載数は3機に増えています。


煙突周辺。前後煙突間にあるデッキには九六式25mm連装機銃が4基置かれています。この他に艦橋の前に13mm連装機銃が2基あったようです(キットでは再現されていません)。衣笠はこの装備状態で最後となりますが終戦間際まで生き残った青葉の方は3連装機銃が9・連装が6と増備、単装も大量に置かれていたようです。


艦橋から前を後方から。マストの形状は資料写真では横棒がキットのものの上に短いもの、下に長いものが伸びており、ここまで簡素な形ではありません。気になる人は手を加えると良いでしょう。電探装備は調べてもよく分かりませんでした。青葉の方は21号、22号、13号など色々装備していたようです。


九四式水上偵察機。複葉の大型機で運用重量は3t。茶色と緑の迷彩塗装の指示がされていますが、下面の明灰緑色も含め(中島系)の塗料で指示がされていて零式三座水上偵察機とは使用塗料が違うので注意。といっても私は適当なので緑だけ15暗緑色(中島系)で下面は11ガルグレー(現用米海軍機用)で塗ってしまいました。


おなじみ零式三座水上偵察機。九四式水上偵察機の後継として十二試三座水上偵察機を経て制式採用され、開戦時には多くの艦艇に搭載されていました。塗色は上面緑・下面明灰白色で共に(三菱系)の塗料指示がされています。が、上の九四式と同じ緑とガルグレーで塗ってしまいます。キャノピーを322フタロシアニンブルー、敵味方識別用の主翼前端内側の黄色は58黄橙色、日の丸とフロート上面の帯は158スーパーイタリアンレッド、機首は33つや消し黒、プロペラ軸は104ガンクローム。あり合わせの色。


零式水上観測機。戦艦の着弾観測を主任務とする機体ですが主に近距離偵察機として使用されました。制空権の無い場で着弾観測を行うため敵戦闘機との遭遇も鑑み、高い運動性を持たされており、大まかに戦闘機並みの運動性を持つと言われています。具体的には九六式艦上戦闘機に匹敵かやや劣る程度であったとされています。



次型である妙高型重巡洋艦の足柄と。でかい方が足柄。艦尾付近の雰囲気は似ていますが並べてみると思ったほど似てない印象。


阿賀野型軽巡洋艦矢矧(奥側)と。艦のサイズやフライングデッキなど、似た部分が多いです。


写真上から利根・足柄・千代田・衣笠・矢矧。170~200mのクラス。幅も近い印象。


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ディテールもそこそこに手頃に作られたあまり気負わずに済むキットで、初心者~中級者向けでしょうか。大きめの艦が欲しいけど面倒なのはヤダ、という人に。ただし青葉の方は多少これよりは面倒かもしれません。


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