~趣味の世界~
ハセガワ1/700ウォーターラインシリーズの駆逐艦若竹です。
同じハセガワの樅(もみ)のバリエーションキットと言ったら良いでしょうか。
若竹は若竹型駆逐艦の1番艦。イギリスの駆逐艦の模倣から脱却し日本独自設計となった峯風型駆逐艦、その小型版であった二等駆逐艦・樅型の改良型が若竹型です。設計上やや重心が高めであった峯風型の短所が小型化により顕著となってしまったため若竹型では船体を15cmほど拡幅しています。もっともその程度では不十分だったのか、4番艦「早蕨(さわらび)」は1932年、荒天の台湾海峡にて転覆事故を起こし沈没しています。若竹型駆逐艦は八八艦隊計画により23隻の建造が計画されましたが1922年に締結されたワシントン海軍軍縮条約により八八艦隊計画は破棄され、すでに起工していた8隻のみが建造されました。これ以後は大型の一等駆逐艦で統一され、若竹型が最後の二等駆逐艦となりました。(小型の駆逐艦としては戦中期に建造された松型駆逐艦がありますが、実質的には同等の存在であるものの「二等」とは分類されていません)
若竹は1921年12月に起工、1922年9月に「第二駆逐艦」として就役。1924年に名称が「第二号駆逐艦」に改められ、1928年に「若竹」の名が与えられます。太平洋戦争の頃には旧式化していたものの輸送船団護衛任務に従事し、最後は1944年3月30日のパラオ大空襲の際、第31号哨戒艇(元・樅型駆逐艦「菊」)などと共にパタ07船団を護衛して台湾の高雄に向かおうとしたところを攻撃され、船団もろとも全滅してしまいます。
箱下面は塗装指示。
開封。樅(もみ)と同様にちんまりしています。
説明書。組み立て説明の方の図に所々おかしい点(樅とごっちゃになってる?)があり注意が必要です。③で2番煙突の後ろの台に探照灯を取り付けているのに④の図ではT字型のパーツ(A7)が取りついていたり、④の1番砲塔の後ろに取り付け指示の無いT字型のパーツが取りついていたり。
パーツ全図。第1号型哨戒特務艇のランナーもそうですが、キット自体は説明書、箱、デカール以外のランナー4枚は樅と全く同じもの。
準同型艦で船体幅がわずかに違うだけ、とWikipediaにもありますがさすがに全く同じキットなのはどうなんだろう・・・
樅の時にググって調べた際、見つけたサイトではハセガワの若竹はかなり樅よりのディテールであり、かといって樅なら正しいかといえばそうでもない。ハセガワ樅を樅として作るならまあ許容範囲ですが、若竹として作ると間違いだらけなのでせめてパッと見でおかしい点だけでも修正してみます。まずは1番砲塔基部。一段下がって放射状のディテールが入っていますが、ここは1段下がらないのが正解のよう。プラ版をワッシャーのような形に切り出し・・・
1段下がった部分にはめ込みました。放射状のディテールなのはここは木板を放射状に並べているらしいので、色もタンかウッドブラウンに。
舷窓も窓枠だけがぼんやり凸モールドで再現されているだけなのでピンバイスでハッキリさせます。細いバイスを見つけて使ってみたら何個か掘ったところで折れてしまい、途中から少し大きめになってしまいました。
リノリウム色として43ウッドブラウンを塗装。
2番煙突の後ろにある探照灯の台は横長の長方形の左舷側が丸くなっている形が正しく、プラ板で自作しました。
とりあえず一旦32軍艦色2で塗装。キットは喫水が高すぎるので艦底パーツは取り付けていません。
艦橋頂部の台はキットでは丸ですが若竹型では前に延長されて長円型を成しています。また艦橋2階の左右の張り出しも前縁が後方に少し斜めカットされた形に。
パーツを次々と取り付けてゆきます。砲塔の防盾はキットでは樅準拠で上が開いていますが若竹では閉じているのでプラ板で塞ぎ、マストの途中にある見張所は十字の上にあるのを下側に移設、マスト自体の取り付け位置も1番煙突寄りに直しました。機銃は艦橋左右の張り出しに付属の6.5mm機銃を置きますが、そのままだと背が高すぎるので銃架を半分くらいに切ってとりつけました。
細かい塗装が済んだところ。艦橋屋根も若竹ではもう少し形状が違うのですがパテが要りそうなので割愛。少ない手間でパッと見で若竹に見えれば十分かな・・・
デカールを貼ります。
エナメル塗料のフラットブラウン・フラットブラック・ジャーマングレーを使ってスミ入れやウォッシングをして完成。
やっぱり多少なりとも手を加えると満足感が高いですね。
艦のサイズに比してバカにならない分厚さの艦底パーツが無いだけで結構印象が違うように思えます。
各部を観察。主砲塔は45口径三年式12cm単装砲。樅型では当初防盾が前と左右のみの防御でしたが後に天蓋が追加され、若竹型も天蓋付きとなっています。主砲塔の後方に置かれていた三年式6.5mm機銃は艦橋左右に移設され、ウェルデッキ側に張り出していた台も撤去されています。
一段下がったウェルデッキには六年式53cm連装水上発射管が樅型から引き続き装備されています。
艦橋頂部にあった探照灯は2番煙突後方の機銃台に代えて移設され、艦橋頂部には測距儀が前後に並んで2基置かれています。マストの途中にある見張所は十字の下に移設していますが、よく調べたら若竹型の後半4艦(朝顔・夕顔・芙蓉(ふよう)・刈萱(かるかや))のみの特徴で、若竹は元のままで良かったようです。
艦後方。連装魚雷発射管、マスト、12cm単装砲塔の順に並んでいます。
艦尾には爆雷投下軌条が2条あります。
再現していませんが、単装砲の台や艦橋にベランダの壁みたいになっている部分は実際には手摺に白い幌をかけているので極々薄く、色は白いのが正しい様子。でもあんまり白い部分が多いのは好みが出そう。
艦橋も屋根だけを白にしていますが、その上の測距儀のある部分も本来は白、艦橋の窓があるメイン部分、ここを羅針艦橋といいますが、ここも窓のある前面と側面前半くらいが鉄製で、そこより後ろは白い幌張りなのだそうです。樅型では更に幌張りの部分が多いので、正しく塗ると艦橋上半分くらいは真っ白になります。
樅と。元々全く同じキット。
やはり工作不足であまり見分けが付きませんが、配置物や所々の形状などの差異が確認できます。できて欲しい。
12cm単装砲の防盾天面、1番砲塔後方の機銃とその設置場所の形状、艦橋左右の張り出しの形状とそこに設置される機銃の有無、艦橋頂部の形状と配置物、前マストの設置位置、2番煙突後方の台の形状と配置物。といったところでしょうか。
まだ細かく所々再現しきれなかった差異があります。
参考にしたサイトを提示しておきます。
http://www.enjaku.jp/2012/05/momi-class-3.html
睦月型駆逐艦「三日月」と。睦月型もそう大きな艦ではありませんが、樅型・若竹型をずっと見た後では
「でかっ」
そりゃハイローミックスのハイがでかくてローが小さいのは当たり前ですが、ううむ・・・
@@@
ハセガワの樅はまあいいのですが、それと全く同じキットを若竹として組むにはちょっと乱暴なように思えます。マイナー艦だし、艦娘にもなりそうにないし、ググっても有効な資料の少ない艦だし、仕方無いのかな・・・
同じハセガワの樅(もみ)のバリエーションキットと言ったら良いでしょうか。
若竹は若竹型駆逐艦の1番艦。イギリスの駆逐艦の模倣から脱却し日本独自設計となった峯風型駆逐艦、その小型版であった二等駆逐艦・樅型の改良型が若竹型です。設計上やや重心が高めであった峯風型の短所が小型化により顕著となってしまったため若竹型では船体を15cmほど拡幅しています。もっともその程度では不十分だったのか、4番艦「早蕨(さわらび)」は1932年、荒天の台湾海峡にて転覆事故を起こし沈没しています。若竹型駆逐艦は八八艦隊計画により23隻の建造が計画されましたが1922年に締結されたワシントン海軍軍縮条約により八八艦隊計画は破棄され、すでに起工していた8隻のみが建造されました。これ以後は大型の一等駆逐艦で統一され、若竹型が最後の二等駆逐艦となりました。(小型の駆逐艦としては戦中期に建造された松型駆逐艦がありますが、実質的には同等の存在であるものの「二等」とは分類されていません)
若竹は1921年12月に起工、1922年9月に「第二駆逐艦」として就役。1924年に名称が「第二号駆逐艦」に改められ、1928年に「若竹」の名が与えられます。太平洋戦争の頃には旧式化していたものの輸送船団護衛任務に従事し、最後は1944年3月30日のパラオ大空襲の際、第31号哨戒艇(元・樅型駆逐艦「菊」)などと共にパタ07船団を護衛して台湾の高雄に向かおうとしたところを攻撃され、船団もろとも全滅してしまいます。
箱下面は塗装指示。
開封。樅(もみ)と同様にちんまりしています。
説明書。組み立て説明の方の図に所々おかしい点(樅とごっちゃになってる?)があり注意が必要です。③で2番煙突の後ろの台に探照灯を取り付けているのに④の図ではT字型のパーツ(A7)が取りついていたり、④の1番砲塔の後ろに取り付け指示の無いT字型のパーツが取りついていたり。
パーツ全図。第1号型哨戒特務艇のランナーもそうですが、キット自体は説明書、箱、デカール以外のランナー4枚は樅と全く同じもの。
準同型艦で船体幅がわずかに違うだけ、とWikipediaにもありますがさすがに全く同じキットなのはどうなんだろう・・・
樅の時にググって調べた際、見つけたサイトではハセガワの若竹はかなり樅よりのディテールであり、かといって樅なら正しいかといえばそうでもない。ハセガワ樅を樅として作るならまあ許容範囲ですが、若竹として作ると間違いだらけなのでせめてパッと見でおかしい点だけでも修正してみます。まずは1番砲塔基部。一段下がって放射状のディテールが入っていますが、ここは1段下がらないのが正解のよう。プラ版をワッシャーのような形に切り出し・・・
1段下がった部分にはめ込みました。放射状のディテールなのはここは木板を放射状に並べているらしいので、色もタンかウッドブラウンに。
舷窓も窓枠だけがぼんやり凸モールドで再現されているだけなのでピンバイスでハッキリさせます。細いバイスを見つけて使ってみたら何個か掘ったところで折れてしまい、途中から少し大きめになってしまいました。
リノリウム色として43ウッドブラウンを塗装。
2番煙突の後ろにある探照灯の台は横長の長方形の左舷側が丸くなっている形が正しく、プラ板で自作しました。
とりあえず一旦32軍艦色2で塗装。キットは喫水が高すぎるので艦底パーツは取り付けていません。
艦橋頂部の台はキットでは丸ですが若竹型では前に延長されて長円型を成しています。また艦橋2階の左右の張り出しも前縁が後方に少し斜めカットされた形に。
パーツを次々と取り付けてゆきます。砲塔の防盾はキットでは樅準拠で上が開いていますが若竹では閉じているのでプラ板で塞ぎ、マストの途中にある見張所は十字の上にあるのを下側に移設、マスト自体の取り付け位置も1番煙突寄りに直しました。機銃は艦橋左右の張り出しに付属の6.5mm機銃を置きますが、そのままだと背が高すぎるので銃架を半分くらいに切ってとりつけました。
細かい塗装が済んだところ。艦橋屋根も若竹ではもう少し形状が違うのですがパテが要りそうなので割愛。少ない手間でパッと見で若竹に見えれば十分かな・・・
デカールを貼ります。
エナメル塗料のフラットブラウン・フラットブラック・ジャーマングレーを使ってスミ入れやウォッシングをして完成。
やっぱり多少なりとも手を加えると満足感が高いですね。
艦のサイズに比してバカにならない分厚さの艦底パーツが無いだけで結構印象が違うように思えます。
各部を観察。主砲塔は45口径三年式12cm単装砲。樅型では当初防盾が前と左右のみの防御でしたが後に天蓋が追加され、若竹型も天蓋付きとなっています。主砲塔の後方に置かれていた三年式6.5mm機銃は艦橋左右に移設され、ウェルデッキ側に張り出していた台も撤去されています。
一段下がったウェルデッキには六年式53cm連装水上発射管が樅型から引き続き装備されています。
艦橋頂部にあった探照灯は2番煙突後方の機銃台に代えて移設され、艦橋頂部には測距儀が前後に並んで2基置かれています。マストの途中にある見張所は十字の下に移設していますが、よく調べたら若竹型の後半4艦(朝顔・夕顔・芙蓉(ふよう)・刈萱(かるかや))のみの特徴で、若竹は元のままで良かったようです。
艦後方。連装魚雷発射管、マスト、12cm単装砲塔の順に並んでいます。
艦尾には爆雷投下軌条が2条あります。
再現していませんが、単装砲の台や艦橋にベランダの壁みたいになっている部分は実際には手摺に白い幌をかけているので極々薄く、色は白いのが正しい様子。でもあんまり白い部分が多いのは好みが出そう。
艦橋も屋根だけを白にしていますが、その上の測距儀のある部分も本来は白、艦橋の窓があるメイン部分、ここを羅針艦橋といいますが、ここも窓のある前面と側面前半くらいが鉄製で、そこより後ろは白い幌張りなのだそうです。樅型では更に幌張りの部分が多いので、正しく塗ると艦橋上半分くらいは真っ白になります。
樅と。元々全く同じキット。
やはり工作不足であまり見分けが付きませんが、配置物や所々の形状などの差異が確認できます。できて欲しい。
12cm単装砲の防盾天面、1番砲塔後方の機銃とその設置場所の形状、艦橋左右の張り出しの形状とそこに設置される機銃の有無、艦橋頂部の形状と配置物、前マストの設置位置、2番煙突後方の台の形状と配置物。といったところでしょうか。
まだ細かく所々再現しきれなかった差異があります。
参考にしたサイトを提示しておきます。
http://www.enjaku.jp/2012/05/momi-class-3.html
睦月型駆逐艦「三日月」と。睦月型もそう大きな艦ではありませんが、樅型・若竹型をずっと見た後では
「でかっ」
そりゃハイローミックスのハイがでかくてローが小さいのは当たり前ですが、ううむ・・・
@@@
ハセガワの樅はまあいいのですが、それと全く同じキットを若竹として組むにはちょっと乱暴なように思えます。マイナー艦だし、艦娘にもなりそうにないし、ググっても有効な資料の少ない艦だし、仕方無いのかな・・・