~趣味の世界~
タミヤ1/700ウォーターラインシリーズの軽巡洋艦球磨です。

球磨は球磨型軽巡洋艦の1番艦。やや小型に過ぎた天龍型を拡大して強力な機関を搭載する事で高速・重武装化に対応した正常進化型であり、後の長良型・川内型に続く基本形が出来上がった艦型です。球磨型・長良型・川内型はまとめて5500t型軽巡洋艦とも呼ばれます。
しかし竣工は1920年と古く、太平洋戦争開戦時にはすでに旧式化していましたが川内型の後は開戦直前に起工する阿賀野型まで長く建造期間が空いていたため代わりの艦は無く、近代化改装で凌いでかり出され専ら拠点攻撃の援護といった支援任務に就いていました。そしてニューギニア方面に於いて対潜演習に出たところを英潜水艦タリホーと遭遇、雷撃を受けマラッカ海峡付近にて沈没してしまいます。


球磨はウォーターラインシリーズのナンバリングはNo.316(旧No.80)とかなり古くから居る古参で以前作ったフジミの名取と同じくらい古いキットですが、そこは安心のタミヤ様。


パーツ数はそれほど多くなくシンプル。


説明書。塗装指示はリノリウム色がレッドブラウンで指示されていますがどこをどう塗るかまではよく分かりません。組み立て説明は必要十分で特に分かりにくいところもありません。


主要パーツ群。主に船体2パーツとランナー2枚で構成されています。


艦底パーツに1973の記述。昭和48年。私が生まれる前です。


古くてもさすがにタミヤだけあってモールドは最近のものと比べても見劣りしません。ただわずかにバリがあるのだけはご愛嬌。船体側面もちゃんとモールドが入っています。同じタミヤでも夕張や駆逐艦の船体側面はなにも無かったのでこのあたりはやる気の差なのでしょうか。


静模のディテールアップパーツ(大型艦用)が付属しますが、今回は特に使わなくても良さそう。タミヤのキットではあくまで基本パーツと置き換えで使うようになっており、ここに必須パーツは含まれていません。


連装機銃だけはちょっと貧相だったので前回の高雄で余っていたものを使う事にしました。


それでは製作開始。5500t型軽巡は魚雷発射管が艦内にあるのでまずここだけ作ってしまいます。さすがはタミヤ様というか、魚雷発射管の部屋の奥に仕切りがあり、向う側が見えないようにされていました。なのでこの仕切りの内側だけ塗装すれば十分。部屋内床面になるバラスト上面も見える範囲だけ塗装。バラストは艦底パーツの上に置くだけで船体パーツ側からも押さえられますが、クリアランスがありカタカタするので前後だけでもテープで留めておくと良いかもしれません。


魚雷周りを作ったら船体と艦底パーツを接着。パーツの合いはピッタリすぎて流し込みタイプの接着剤が滲みていかないレベル。


リノリウム色として43ウッドブラウンから塗装。船体中央やや前の一段下がっているウェルデッキや、別パーツになっているセルター甲板の上面にはリノリウム押さえのモールドが無いためちょっと迷いましたが、那珂・名取・天龍とここは全部塗ってきたのでやはり塗るところであろうと。(こういうところは各自「好み」で塗って頂きたい)


艦底色は毎回よれよれにしてしまうので今回はちゃんとマスキングしてみました。


うん、最初からやってれば良かったわ・・・


パーツを取り付けてゆきます。苦労するところは特にありません。ただ、若干パーツが細かく感じた気はします。


水上機は九五式水上偵察機が1機付属するので上面を濃緑色、下面をガルグレー、マークを赤で塗装。ディテールアップパーツにも九五式水偵がありますが基本パーツのものも若干ディテールが劣る程度で十分といえば十分といえるもの。


旗は紙シール。説明書通りに旗竿に巻くと数日で開いてしまうので、裏表貼り合わせて端を切ったものを旗竿に瞬着でくっつけています。これが一番きれいにできるように思います。




エナメルジャーマングレーとフラットブラックとフラットブラウンでウォッシングして完成。



コレクション派としてはこれくらいすんなりいってくれると助かります・・・



目線を下して観察。以前作った長良型と川内型はエッチングパーツ付きだったのでそれと比べるとあっさりして見えるものの、こちらはその分甲板上のディテール密度があるので貧相には見えません。


各部を観察。主砲は50口径三年式14cm速射砲を後方が開いた単装砲塔に収めて7基装備しています。艦橋は竣工時はオープントップの上に幌屋根を取り付けたものでしたが改装時に密閉化されています。


ウェルデッキ周辺。マストは三脚型で艦橋との間を構造物で埋められている上にマスト上にも部屋があるため一見すると伊勢型以前の戦艦のようなマストと一体化した艦橋のようにも見えます。その後方には一段下がったウェルデッキがあり、そこには六年式53cm連装魚雷発射管が2基置かれています。53cm?と思った人もいるかもしれません。次型の長良型から八年式61cm連装魚雷発射管に置き換わります。ウェルデッキの後方、一段高くなってすぐの所には開戦後に据え付けられた九六式25mm連装機銃があります。ここには竣工時には40口径三年式8cm単装高角砲が置かれていましたが、他の5500t型同様に8cm高角砲→13mm連装機銃→25mmと変遷しています。


煙突。球磨の煙突は3本全てにソロバンの珠のような形の雨水除去装置が装備され煙突上方がふくらんだ形をしています。球磨型の他の艦では木曽が1・2番煙突だけが膨らんでおり、それ以外の多摩・北上・大井は真っ直ぐな形でここが識別点になっています。


セルター甲板付近。セルター甲板直前の艦側面には魚雷発射管の出口があり、この中に前方ウェルデッキのものと同じ53cm連装魚雷発射管が設置されています。セルター甲板上には5~7番砲塔と呉式二号カタパルト、マストなどが設置されています。このキットは開戦時頃の状態ですが、最終状態では5番砲塔が撤去され25mm3連装機銃2基が増備されていました。


艦尾。セルター甲板左右から艦尾にかけて伸びているレールは機雷敷設軌条。装備表を見ると型式は不明ですが爆雷投射機なども一応装備されているようです。


右舷に。機雷敷設軌条の間にあるモールドが爆雷投射機と装填装置のモールドなのでしょうか。


カタパルトは後から設置されたもので、同じ球磨型では木曽の艦橋前から2番砲塔の上に航空機滑走台を設置していましたが陸上機の発艦のみで実用的ではなく、カタパルトが実用化されると代わって多くの5500t型に装備されました。


カタパルト上の九五式水上偵察機。複葉の小型偵察機であり、後継の零式水上観測機同様に九六式艦上戦闘機に匹敵する運動性能を持つとされています。


右舷側から煙突付近。機関は竣工当時の戦艦長門が80000馬力だったのに対し90000馬力と非常に高出力であり、最大速力36ノットの快速を誇っていました。しかし太平洋戦争の頃には近代化改装による重量増加により排水量は7000tほどに増加しており、速力は32ノットほどに落ちていたそうです。


艦前方を後方から。


手前から天龍、球磨、名取、那珂。


艦首形状はスプーンバウと呼ばれる丸みのある形状。これは一号機雷と呼ばれるワイヤーで繋げた機雷を用いた「機雷戦」を想定したもので、この丸い形状によりワイヤーを乗り越えるつもりであったとされています。しかしこのスプーンバウは凌波性が良くなく、また機雷戦も主流から外れていったため艦首の損傷修理のついでにダブルカーブドバウに変更された艦もあり(阿武隈・神通など)、5500t型最後発である上写真奥の那珂は竣工時からダブルカーブドバウとなっていました。


艦橋の差異。天龍や球磨は元々露天艦橋であり、名取も簡易な屋根が付けられていただけでした。球磨型の木曽以降は艦橋の中段に航空機格納庫を備える関係上艦橋が大型化していました。格納庫は後に用済みとなりましたが艦内容積が大きいに越したことは無いのか、艦橋サイズは大きくなったままでした。(厳密には、大きいだけ高い位置に重量物がある事になるので友鶴事件で問題になった艦の重心の高さの原因になります)


煙突の差異。天龍型~長良型は煙突の太さこそ違うものの生えている位置はほぼ同じで、魚雷発射管の位置も同様。川内型では機関を重油節約のために石炭混焼缶を長良型の2基から4基に比率を変更したため煙突本数が4本に増えており、ウェルデッキの位置も変更されています。


セルター甲板付近の差異。セルター甲板自体は天龍型ではオマケ程度だったものがどんどん広くなってゆきます。マストは他の艦型同様に新しいほど艦の中央に寄せられており、甲板上の艤装も効率的になってゆきます。


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古い製品ですが最近のものと比べても遜色無く、それでいて非常に組みやすい良キットです。
人によっては5500t型軽巡は「古臭い、貧相」と思うかもしれませんが(私も昔はそう思ってました…提督の決断(初代)なんかだとただの雑魚なんですよね)、こうして組んでみると非常に丁度良いサイズと手間加減。全部集めても駆逐艦ほど大変な事にはなりませんて。フフッ

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