~趣味の世界~
アオシマ1/700ウォーターラインシリーズの軽巡洋艦川内1933です。

川内は5500t型軽巡洋艦の最終型である川内型軽巡洋艦の1番艦。1924年に竣工し戦間期にあたる太平洋戦争の前の時期にあっても上海事変や日中戦争でも重要な働きをしています。
太平洋戦争においては第3水雷戦隊の旗艦として駆逐隊を率いて各地で活躍し、最後は1943年11月、ブーゲンビル島沖海戦において駆逐艦時雨と衝突しそうになったところを敵艦隊の集中砲火を浴びて航行不能となり、その後に沈没します。


ウォーターラインシリーズの川内型軽巡洋艦のキットはフジミの担当でしたがフジミ脱退後にアオシマが補完したのが当キットのシリーズ。といってもフジミ脱退後10年以上経ってから作られたキットなので5500t型のキットの中ではかなり新しいものです。フジミの川内型は神通と那珂だけで川内は今でも無いので川内のキットはアオシマ一択ですが、年代の違いにより2種類(戦中仕様である1943と戦間期仕様の1933)あり、今回のものは艦橋が艦載機格納庫を兼ね、艦橋前に2番砲塔を跨ぐようにして航空機滑走台が設置されている時代の姿を再現したものとなっています。那珂にも1933がありますが那珂は艦首形状が川内とは違うため差別化されており、神通は滑走台の代わりに呉式2号2型カタパルトを艦橋前に装備したものになっています。
川内1933 航空機滑走台装備
川内1943 最終時
神通1933 艦橋前カタパルト装備
神通1942 最終時
那珂1933 航空機滑走台装備(アオシマのサイトのラインナップからは消えています)
那珂1943 クリスマス島での損傷修理後?


ボリュームはそこそこあります。



説明書はB4版を二つ折りにしたもの。長文が1943仕様寄りで、塗装指示の文中「この時代」がこのキットだと噛み合わないため各自で解釈しましょう。


主要パーツ群。1943仕様のパーツも多く含まれていますが、船体パーツは別物なのでこちらから1943仕様に組む事はできません。


静模のディテールアップパーツ大型艦用が2枚付属。錨や探照灯、内火艇&カッターにボートダビットなどをこちらから使用しますが、砲や機銃は一切使用しないのでかなり余る印象。


前述の通り拡大されたセルター甲板やウェルデッキを埋めるパーツなどが目立ちます。


モールドの具合はアオシマらしい角のダレたオーバーディテール気味のもの。ただし船体側面は浅い舷窓が申し訳程度にあるだけで若干寂しく感じるかもしれません。


船体はウェルデッキより前の甲板のみ別パーツ。後部魚雷発射管は艦内にあるので艦底パーツを貼る前にこの周辺のみ先に塗装して組んでおきます。



バラストは置いておくだででも上下パーツに挟まれて固定されますが、僅かな寸法差で船体パーツと艦底パーツとの間に隙間が開きがち。前甲板を接着してから艦底と貼り合わせ、かなり重めに重しをして乾燥待ちをするとよいでしょう。その後にリノリウム色として43ウッドブラウンを塗装。


32軍艦色2と29艦底色を塗装。今回は全部筆塗りです。


甲板上にパーツを配置してゆきます。艦橋と滑走台は一体化しているので滑走台の下になる2番砲塔は艦橋より先に。砲塔は差し込むだけでもそこそこ保持力があるので可動を見込んで接着せずにおきます。


特にこれといった障害も無く、すんなりと組み進められます。ボートダビットの取り付け位置は例によって印も穴も何も無いので説明書や資料を見ながら。3番煙突左右のボートダビットだけは甲板の上ではなく側面に接着するのが正解だったかも?
小パーツはそう多くありませんが組みやすくするため省略気味で、特に旗があるのに旗竿が無いのが気になります。伸ばしランナーで旗竿だけ自作しました。



エナメルフラットブラックとジャーマングレーでウォッシングして完成。素組みならせいぜい1日で完成させられる程度の労力。



時代が古いので機銃が全然無く、甲板上も後半がややスカスカですが貧相、というほどでもありません。



エッチングパーツでデコレーションするにも専用品は無いでしょうから汎用品で、となります。使いまわすならともかくこれのために汎用品のエッチングパーツを揃えると高くつきそう。


各部を観察。川内型の艦首形状は川内だけは最初から最後までスプーン型を成していました。神通は事故で艦首がえぐれたのを直すついでに、那珂は震災で竣工がもたついてるうちに設計変更し、共にダブルカーブ型に改められています。


当キットの見どころである、艦載機格納庫を兼ねた艦橋と、その前に伸びる航空機滑走台。水雷戦隊の旗艦を担う軽巡洋艦に偵察用の航空機を搭載する事の有用性は古くからあり、球磨型軽巡洋艦の頃から実行に移されました。球磨型では後部セルター甲板に格納庫を設置し、クレーンでセルター甲板上へ艦載機を出してそこで組み立て、またクレーンで水上に降ろす、という運用をしていました。しかしこれは非常に手間と時間が掛かるため球磨型の末艦である木曽からは艦橋内に格納庫を内蔵させ、その前に可動式の滑走台(前だけでなく横へも向けられるようになっていました)を設置して発進だけを速やかに行えるようにしました。搭載機もフロートの付いた水上機ではなく、空母艦載機のような車輪式のものが搭載されていました。長良型からは固定式の滑走台が設置され、川内型まで装備され続けました。


キットには正しい艦載機が付属しないのでフジミ龍驤の艦載機で代用して置いてみたところ。実際に搭載していた航空機はイマイチ資料に乏しいですが一四式水上偵察機や九〇式一号または二号偵察機だったようです。これらは複葉の小型機であり、こんな短い滑走台でも発艦出来ました(当然空母と同様に艦自体も全速で航行し発艦を手助けする必要があったでしょう)。しかしこの方式では発艦した偵察機を再び着艦収容する事が出来ないため、発艦した偵察機は陸上基地へ、偵察機を発艦させた艦は寄港するまで偵察機を再び使う事が出来ません。結局実用的では無いとしてカタパルトが実用化されるとこれと水上偵察機の組み合わせへと移行、長良型の由良や鬼怒で試験をした後、鬼怒に装備されていたカタパルトが神通に移されました。最終的にはセルター甲板上にカタパルトを移し、格納庫からの出し入れを省略して水上機はカタパルト上に露天係止される方式に落ち着きました。


艦橋と寄り添う形で建つマスト。航空機滑走台は後に撤去され、艦橋前の付け根の位置を少し残し機銃台として利用しました。艦橋も時代に合わせて密閉化されたり層が増やされたりして近代化されてゆきます。


川内型の特徴である、真っ直ぐそそり立つ4本の煙突。長良型までは3本でしたが、川内型の設計にあたり燃料事情の悪化を見越して主機関のうち重油専焼缶を減らし石炭混焼缶を増やしたため煙突が1本増えています。
1・2番煙突の間にあるウェルデッキには連装魚雷発射管が左右1基ずつ置かれていますが、太平洋戦争中の改装により神通と那珂はここが兵員室に置き換えられて埋められたのに対し、川内は最後までウェルデッキと連装魚雷発射管がのこされていました。


セルター甲板。ここはまだ貧相なマストと単装砲塔が並んでいるだけです。後にここはセルター甲板の面積が拡がられ、カタパルトが置かれてマストにはクレーン等が取り付けられ凝縮感が出てきます。


艦尾。機雷投下軌条が2条設置されています。


艦尾周辺の兵装の変遷についてはググってもイマイチよくわかりません。那珂はすぐ出てくるのですが・・・


数少ない対空兵装として、2番煙突の左右(ウェルデッキの直後)に40口径三年式8cm単装高角砲があります。見ての通り砲塔はおろか防盾も無い剥き出しの砲で、連射速度は毎分13発。普通の人力装填式の大砲を空に向けて撃てるようにしたという程度のもので、対空兵装としてはあまりにも不足なのは明らかです。1933年仕様だとまだ残っていますが、1936年頃までには九三式13mm連装機銃に置き換えられています。この他、竣工時に毘式6.5mm、1927年頃に留式7.7mmに換装された単装機銃が2挺装備されていたとされますが、位置はあまりはっきりしていません。


艦橋を後方から。


砲塔の可動を残しているので6門を左舷方向に向けたところ。主砲塔は50口径三年式14cm単装砲塔。5500t型軽巡洋艦の標準兵装であり、後方の開いた防盾を装備した人力装填砲です。基本的に横へ向けて撃つ配置となっており、川内型では7基の砲塔のうち、艦橋の左右にある片方以外の6門を同時に左右どちらかに斉射できるようになっています。ただし単横陣(艦隊が横1列に並び全艦が正面を向く)において正面へは1番と艦橋左右の3・4番の3門のみ、後方へは7番のみと前後への発射は不得意。



フジミ那珂と。この那珂は魚雷が連装でウェルデッキが残っている以外は最終時と中途半端な姿。エッチングパーツ付きだったので派手ですが、現在売られている特-105とエッチングパーツ以外は同じものです。


艦首から艦橋まで全然別の艦に見えます。フジミの那珂は40年以上前からあるもので成型不良やバリが強烈で結構な難物。それでも長良型よりはマシなのですが・・・


艦中央部。煙突はフジミの方が太く、ディテールが浅くてポテッとしている印象。ただ船体側面の舷窓などはフジミの方がハッキリしています。


年代が違うので後半は全然違いますが、配置物が多くエッチングパーツが多用されている那珂に較べるとアオシマ川内1933はこの辺りかなり寂しい。


奥からタミヤ球磨、フジミ名取、アオシマ川内1933、フジミ那珂。素組みでの作りはまだタミヤが強いでしょうか。川内1933と近い年代のものはタミヤの木曽が同時代(昭和7年頃・1932年)の再現なのでそちらと並べるのには良いかもしれません。



@@@



駆逐艦キット並みに組みやすくてサッと出来上がりますが5500t型軽巡洋艦のキットで括るとフジミよりは大幅に作りやすいもののタミヤと較べたら平凡なキットです。でもこんな変な時代の仕様のキットはアオシマくらいしか出さないでしょうから、存在価値は十分にあります。同時代の同社の初春型と並べるとやや貧相なので並べたい場合は少し手を加えてやりたいところです。ちょっと物足りないですが、存在には意義を感じるキットです。


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