~趣味の世界~
フジミ1/700特シリーズの航空巡洋艦最上です。
外箱は特シリーズの重巡や戦艦と同サイズ。最上のキットは92年頃にタミヤのものを組んだ事があるのですが、年代的にあれは今売られているものではなくリニューアル前のものでしょうか。当時は「重巡の後ろ半分が空母になってるやつ」くらいの認識しかなかったのであまりキットの特徴を覚えていないのですが、淡々と普通に組めてしまって印象に残らない程度には難易度の高くないキットだったのだと思います。そしてこの特-73最上はタミヤのものが2002年頃に現在のキットにリニューアルされた更に10年後の2012年のキット。さてどんなものか。
最上は最上型重巡洋艦の1番艦。前型の高雄型でワシントン軍縮条約・ロンドン軍縮条約で決められた重巡洋艦の保有枠を使い切ってしまった日本海軍は、ロンドン軍縮条約による重巡洋艦・軽巡洋艦の区分によるとまだ軽巡洋艦の保有枠が残っていたのでこれを利用する事にし、後に重巡洋艦に改装できるよう保有枠いっぱいの大きめの船体サイズに軽巡洋艦の規定いっぱいの砲サイズ(155mm砲)を山盛り搭載する艦として計画されました。このため軽巡洋艦として建造され、条約失効後に203mm砲に換装して重巡洋艦となっていますが、対外的には軽巡洋艦のままという事にされており、太平洋戦争中のミッドウェー海戦の直前頃までは察知されていなかったようです。
軽巡洋艦最上として2番艦である三隈とともに1931年に起工しますが、1934年の友鶴事件の影響で設計変更と改装が行われますが、まだ起工するかしないかの時期であった3・4番艦の鈴谷と熊野は設計変更後の線図を用いて建造されたために構造に若干の差異があり「鈴谷型」と別に区分される事もあります。最上はまだ発展途上であった電気溶接など技術的な問題から完成直前までに船体の歪みが生じたために修正を要し、1935年にようやく竣工します。予定では排水量8500tという事になっていましたが、結局大幅に超過して11200tに達していたものの対外的には8636tという事にされていました。しかし竣工してすぐ第四艦隊事件に遭い、波浪で船体が損傷してまた修正を余儀なくされる事となります。1939年には条約失効により予定通り主砲を203mm砲に換装し、事実上の重巡洋艦となりました。
太平洋戦争開戦後はまず南方作戦に従事し、マレー半島東岸周辺で活動。バタビア沖海戦では2番艦三隈と共に重巡洋艦ヒューストンと軽巡洋艦パースを撃破するものの、目標を外れた魚雷により日本陸軍の神州丸他数隻も撃破してしまいます。その後セイロン沖海戦でも戦果を挙げました。
1942年6月のミッドウェー海戦では最上型4艦による第七戦隊に属しミッドウェー島の夜間砲撃に向かいますが撤退指示の遅れから深入りしすぎ、また旗艦熊野の指示ミスから急旋回中に三隈と衝突して艦首を大きく損傷してしまい、そうこうしているうちに敵機の襲撃を受けて三隈は沈没、最上も更に大破に追い込まれます。命からがらトラック島に辿り着くと工作艦明石によって応急修理が行われ、明石と共に佐世保へ入港し本格的な修理が行われます。
ミッドウェー海戦で主力空母を失った補完として、最上は佐世保で艦の後半を航空甲板とする改装が行われ、1943年4月には水上機11機を搭載する航空巡洋艦として改装が完了し、ラバウルへ向かいますがラバウル空襲で損傷し、呉に戻って修理が行われます。1944年の6月にはマリアナ沖海戦にも主力艦隊に属して参加しています。
1944年10月の捷号作戦では西村艦隊に属し、戦艦扶桑・山城などと共にスリガオ海峡海戦においてレイテ湾への突入時に待ち受ける敵艦隊の猛攻により壊滅し、大破炎上しながら退避中だった最上は続いて突入してきた志摩艦隊の重巡洋艦那智と衝突した後も攻撃を受け続けて遂に航行不能となり、駆逐艦曙により雷撃処分されました。
キットは航空巡洋艦への改装後からラバウル空襲で損傷して呉に戻るまでの仕様のようで、最終時として描かれている箱絵では航空甲板上に多数の単装機銃が見えますがキットには単装機銃は付属しません。じゃあ付いてる方買うわ、と思ったらフジミの特の最上はこのキットのみのようですね。
開封。フジミ特らしくたっぷりボリューム。
説明書。デジカメ撮影のが読みづらくて加工も面倒だったので仕舞ってあったスキャナでスキャンしてみました。読み取り設定を覚えてくれず一枚一枚設定しなきゃいけなくて面倒臭いのは変わらなかったもののいくらか読みやすくなっただろうか?5ページ目の中段、J21のパーツ形状が実際と違うのでJ21の下の足を切り飛ばしてダボ穴にそのまま乗せる取り付けにすると良いでしょう。
パーツ上からA、B、C。
パーツ上からD、E、H。
パーツ左上から
G、F、I、
J。
パーツ
K、
L、N。
透明パーツ
P、P、Q、
M、M、M、M。
Pは零式水上観測機(ZEROKAN)、Mは零式三座水上偵察機で、ランナー1枚に2機ずつあります。
デカール。搭載機用のマークが主で艦本体用は旗くらい。
それでは製作開始。船体はまず側面と艦底パーツの結合から入りますが艦底パーツは側面に露出せず、艦底色を塗らないフジミ特に多いパターン。細いパーツはバルジの上端にあたるパーツで、向きが分かりづらいですがパーツ番号とダボとダボ穴の位置を読み間違えなければ問題ありません。
前後の甲板と、艦橋の載る甲板の一層下のパーツを乗せます。一層下のパーツはこれだけ造形してあるのに魚雷の出る穴からしか見えなくなるので少し勿体ない感じがします。
艦橋の載る甲板パーツを仮組みしてみるとどうも合わない・・・
バラスト押さえのパーツを置いてたのがダメなのかと思って引っぺがしてみたけれどやっぱり合わないので甲板の裏を見ると前後方向に走るリブが下のパーツと干渉しているようす。
リブを削ります。フジミ特はたまにこうした干渉するリブが生えてる事がよくあります。
リブを削るとピッタリ取りつきます。ただし前の部分に若干隙間が出来るので接着する時にプラ板などで埋めても良いでしょう。
リノリウム色として43ウッドブラウンに混ぜ物をしたもので塗装。(混ぜ物はレッドブラウンや艦底色などで少し赤みを足して暗くしています。お好みで)
それ以外の部分を32軍艦色2で塗装。
魚雷発射管を取り付けます。ゲート跡は見えない側になるのでレタッチしなくても十分。魚雷室は艦橋の載る甲板パーツの下というよりはそれより後ろの航空甲板の下になります。
航空甲板の舷側の支柱は単純な形状ではないためか1本1本植える必要があります。しかも向きも割と厳密で間違っていると上の航空甲板と合わなくなります。説明書とにらめっこして一つ一つ丁寧に植えてゆきましょう。大丈夫必ず終わりは来ますから・・・
艦橋が載る甲板と、航空甲板を乗せます。航空甲板下の中央付近は流し込み接着剤の筆が届きにくいのでここだけは普通の接着剤を盛ってから合わせた方が作業性が良いでしょう。
上部構造物を載せてゆきます。単装機銃を先に載せたりとかは今回はないので説明書通りで問題ありません。ただし仮組みは入念に。結構すんなり合わない部分があります。
次々と載せてゆきます。ボートダビットが船体の外側に張り出すので段々持ちづらくもなってきます・・・
あらかた載せ終えたところ。マストは最初からひん曲がってたり端の刺さる部分が見えないところにあったりと結構大変。特に後マストの右側の支柱が通るパーツL2の穴が元々開いていないので先に開けておく必要があります。
搭載する水上機を組みます。透明パーツを透明なまま切り離すと行方不明率が高まるのでランナー上で塗装してしまった方が安全。まずは15暗緑色(中島系)で。繊細なモールドをつぶさないように塗料は少し薄めにして塗り重ね、必要以上に塗膜を厚くしないようにした方が結果が良いでしょう。
次に下面を35明灰白色(三菱系)で。中島?三菱?ゼロ観は三菱だけどゼロ偵は愛知だし・・・別にどっちでも。
ゼロ観は細かいパーツが多く注意して組む必要があります。機体本体を中心にランナー上で組むのも手。
ゼロ偵は本体の他はフロート2つとプロペラだけなので較べたら天国のように簡単。ただしプロペラはランナーから切り離す時に砕いてしまいやすいので、よく切れる先の細いニッパーは必須。タミヤの薄刃ニッパーで十分ですが・・・
デカールで他の細かい色は用意されていますが、デカール貼りが苦手な人は塗ってしまった方が楽かもしれません。私はデカール貼り苦手なので塗ってしまいました。赤と黄で大体十分ですが更に細かくできる自信のある人は白も使うでしょうか。赤は好みで良いですが黄は上画像のような58黄橙色よりは4イエローか113RLM04イエローの方が良いかと思います。
機体を運搬台車に載せ、航空甲板上に置きます。ゼロ観のフロート下にはダボ穴が無いので運搬台車の上側のダボを切り飛ばして上面に前後方向の溝をヤスリで軽く掘ってやると取り付けやすいでしょう。説明書通りに配置しようと後ろ側から並べてゆくと前から2番目のゼロ観がレール上に収まらなくなるので並びをアレンジする必要があります。また最上の水上機の搭載数11機は定数であって実際にはゼロ観3・ゼロ偵4の計7機だったそうなので、その数にしておいた方がスマートかもしれません。
もうちょっとでできます!
エナメルフラットブラックを主体に、ジャーマングレー、フラットブラウンでスミ入れとウォッシングをして完成。
やはりフジミ特らしいみつしり感。
目線を下した視点からも非常に見栄えが良いです。とにかく情報量が多い。
各部を観察。主砲塔は竣工時には60口径三年式15.5cm3連装砲塔が搭載されていましたが、後の改装により50口径三年式2号20.3cm連装砲に換装されています。ただし砲身が少し長くなって2番砲塔の砲身が1番砲塔の後面に干渉するので2番砲塔を前に向ける時は少し仰角をつけて上に逃がすようにされており、キットでも2番砲塔用の砲身は他の砲とは違うパーツになっています。砲塔の配置は他の重巡洋艦と違い1~3番砲塔を全て前に向けて斉射できるためこの配置のがメリットが多そうなのに次型の利根型ではまた2番が高い位置になっているのは、航行中に進行方向に向けて撃つ事を日本海軍ではあまり重要視していなかったからかもしれません。(英海軍では正面に撃てる事を重視していたフシがあります)
艦中央部。前型の高雄型では巨大だった艦橋を計画時には踏襲する予定でしたが、友鶴事件の影響による重心の高さの改善と、建造中に予定よりみるみる超過する排水量を少しでも減らすため艦橋は一気に小型化されました。少し小型化しすぎたのか艦橋の居住性はあまり良くなかったといわれますが、一方で最上型からはそれまで乗員がハンモックで寝ていたのが鉄製の3段ベッドになるなど、艦橋以外の居住性では大きく改善されています。
副砲となる高角砲は高雄型までは12cm単装高角砲が後に12.7cm連装高角砲に換装されていますが、最上型では最初から40口径八九式12.7cm連装高角砲が防盾付きで4基装備されています。
艦後部。最上はミッドウェー海戦時に三隈との衝突により艦首を大きく大破した他に爆撃で艦後部も大破していたのでその修理のついでに艦後半の4・5番砲塔を撤去し、元々あった航空甲板を艦尾まで段差なく拡げる改装が行われました。これは空母のように甲板上へ直接発着艦を行えるようなものではなく単なる水上機置き場にすぎませんでしたが、艦への収容は多少手間なものの発艦は迅速に行える水上機を大量に搭載できるという事は、まだ軍事衛星も高性能レーダーも無い時代では艦隊の周辺状況を知るには飛行機を飛ばして見てくる以外には自分で行って見てくるしかなく、艦隊の視野の確保にとって非常に重要な事でした。また巡洋艦の役割的にも元々偵察を請け負っていたので偵察能力が高まったのは言うまでもありません。
右舷に回り艦尾。甲板は上げ底されていますが航空戦艦改装後の伊勢型のような格納庫は持っておらず、同じく艦後半を航空艤装に特化させている利根型と用途をほぼ同じくする偵察機能重視の巡洋艦といえます。この運用思想は水上機がヘリコプターに置き換えられて現代でも巡洋艦・駆逐艦のポピュラーな形態となっています。
再び艦中央部。航空甲板前半の下層には魚雷室があり、横穴から発射管を突き出して魚雷を発射します。発射管は九〇式61cm三連装魚雷発射管で、九三式酸素魚雷も発射可能となっています。バタビア沖海戦で第16軍司令官今村均中将座乗の陸軍特殊船「神州丸」他数隻の輸送艦などが唐突に雷撃で撃沈されたのは、近くで交戦中だった最上等護衛艦隊の魚雷の流れ弾だったといわれています。
再び艦前方。前マスト上には特徴的な21号電探が装備されています。機銃装備は竣工時に25mm連装4基と13mm連装2基だったものが全て25mm三連装に交換され、後マスト後ろと航空甲板両舷に4基追加して合計10基となりました。1944年の呉での修理後は更に単装機銃が多数置かれていたようです。
同型である熊野(竣工時)と。
パッと見でわかる違いはまず主砲塔。竣工時の熊野は軽巡洋艦でありまだ15.5cm三連装砲塔を装備しています。軽巡洋艦の艦級のまま大型の船体に中口径の砲を大量に積むという構成は奇しくも諸外国にも興味を持たせ、米国は同様に大型の船体に15.2cm砲を15門持つブルックリン級軽巡洋艦(フォークランド紛争で撃沈されたアルゼンチン海軍旗艦ヘネラル・ベルグラーノが有名)を建造していますが、こちらは重巡洋艦への改装はされていません。
艦中央部同士。機関が最上型では大型8基小型2基だったものが鈴谷型では大型8基のみ(合計出力は同じ)に変更され、艦橋前の吸気ダクトが鈴谷型では無くなり、煙突も集合されていて解りにくいですが前半分の出口が鈴谷型では小さくなり前後とも似た大きさになっています。
艦後半は全然違いますが、タミヤのキットでは鈴谷型に最上のパーツで航空巡洋艦にif改造しようとしても微妙に合わなくて小加工が必要らしいので船体にも違いがあるようです。
次型である利根型重巡洋艦・利根と。利根型も計画時には15.5cm砲を積む軽巡洋艦だったため命名規則が最上型と同じく河川名からとられています。(高雄型までの重巡洋艦は山岳名)
利根型は最初から主砲塔を艦橋より前に集中させ、艦後半に航空艤装を分けていたので砲塔が1基多い分配置はゴチャっとしていますが、前述のように砲は基本的に横に向かって撃つので最上型のように前に全砲門を向けられる事はあまり重要ではなかったのだと思います。利根型も重心を下げる事と排水量の減少には腐心していたので艦橋はよく似た小型のものが踏襲されています。
航空艤装同士では利根型ではまだ乾舷の低い後甲板をそのまま利用しているためフライングデッキとの間に段差があり、スロープをつけてそこへ軌条を敷いて後甲板とフライングデッキとを行き来させるようになっていました。最上ではフライングデッキと同じ高さまでかさ上げして艦後半の甲板を全て同じ高さに揃えています。重心は高まるでしょうが利便性は向上していたハズです。こんな大きな板きれを載せた割には、最上は竣工時と比して1000t増に留めたものの最終的に排水量は12200tに達していました。
前型の高雄型と。艦橋の大きさの差が特に目立ちます。
同様に航空甲板が増設された伊勢型戦艦・伊勢。伊勢型航空戦艦は偵察重視の最上とは違い、搭載機が瑞雲や彗星など爆撃機が主体の攻撃用途であったためか本格運用の機会に恵まれず、また搭載予定であった航空隊の転出もあり航空機を搭載しての実戦すら無く、大きな容積の格納庫を利用した輸送船的な利用が目立ちました。それでもやはり同様に航空機を格納するハズだった格納庫を荷物庫にされた軽巡洋艦大淀と共に北号作戦では無傷で資源を本土に持ち帰るなどの活躍を見せました。
@@@
フジミ特シリーズらしい緻密さとボリュームと難易度を持つ満足度の高いキットです。でも初心者には持て余すからといって忌避したりせず、これが欲しい艦なのなら恐れずに立ち向かう事の方を薦めます。オッサンモデラーは全然情報の無い時代にもっと悪い意味でキツいキットを子供の頃から組まされてきたのですから、情報あふれる今の若い初心者モデラーなら出来ないハズが無いのです。キットの値段が昔と違うし高価いキットでおいそれと失敗はできないって?昔の子供とて鼻血の出る思いでプラモ買うお金を工面していましたとも・・・ええ
外箱は特シリーズの重巡や戦艦と同サイズ。最上のキットは92年頃にタミヤのものを組んだ事があるのですが、年代的にあれは今売られているものではなくリニューアル前のものでしょうか。当時は「重巡の後ろ半分が空母になってるやつ」くらいの認識しかなかったのであまりキットの特徴を覚えていないのですが、淡々と普通に組めてしまって印象に残らない程度には難易度の高くないキットだったのだと思います。そしてこの特-73最上はタミヤのものが2002年頃に現在のキットにリニューアルされた更に10年後の2012年のキット。さてどんなものか。
最上は最上型重巡洋艦の1番艦。前型の高雄型でワシントン軍縮条約・ロンドン軍縮条約で決められた重巡洋艦の保有枠を使い切ってしまった日本海軍は、ロンドン軍縮条約による重巡洋艦・軽巡洋艦の区分によるとまだ軽巡洋艦の保有枠が残っていたのでこれを利用する事にし、後に重巡洋艦に改装できるよう保有枠いっぱいの大きめの船体サイズに軽巡洋艦の規定いっぱいの砲サイズ(155mm砲)を山盛り搭載する艦として計画されました。このため軽巡洋艦として建造され、条約失効後に203mm砲に換装して重巡洋艦となっていますが、対外的には軽巡洋艦のままという事にされており、太平洋戦争中のミッドウェー海戦の直前頃までは察知されていなかったようです。
軽巡洋艦最上として2番艦である三隈とともに1931年に起工しますが、1934年の友鶴事件の影響で設計変更と改装が行われますが、まだ起工するかしないかの時期であった3・4番艦の鈴谷と熊野は設計変更後の線図を用いて建造されたために構造に若干の差異があり「鈴谷型」と別に区分される事もあります。最上はまだ発展途上であった電気溶接など技術的な問題から完成直前までに船体の歪みが生じたために修正を要し、1935年にようやく竣工します。予定では排水量8500tという事になっていましたが、結局大幅に超過して11200tに達していたものの対外的には8636tという事にされていました。しかし竣工してすぐ第四艦隊事件に遭い、波浪で船体が損傷してまた修正を余儀なくされる事となります。1939年には条約失効により予定通り主砲を203mm砲に換装し、事実上の重巡洋艦となりました。
太平洋戦争開戦後はまず南方作戦に従事し、マレー半島東岸周辺で活動。バタビア沖海戦では2番艦三隈と共に重巡洋艦ヒューストンと軽巡洋艦パースを撃破するものの、目標を外れた魚雷により日本陸軍の神州丸他数隻も撃破してしまいます。その後セイロン沖海戦でも戦果を挙げました。
1942年6月のミッドウェー海戦では最上型4艦による第七戦隊に属しミッドウェー島の夜間砲撃に向かいますが撤退指示の遅れから深入りしすぎ、また旗艦熊野の指示ミスから急旋回中に三隈と衝突して艦首を大きく損傷してしまい、そうこうしているうちに敵機の襲撃を受けて三隈は沈没、最上も更に大破に追い込まれます。命からがらトラック島に辿り着くと工作艦明石によって応急修理が行われ、明石と共に佐世保へ入港し本格的な修理が行われます。
ミッドウェー海戦で主力空母を失った補完として、最上は佐世保で艦の後半を航空甲板とする改装が行われ、1943年4月には水上機11機を搭載する航空巡洋艦として改装が完了し、ラバウルへ向かいますがラバウル空襲で損傷し、呉に戻って修理が行われます。1944年の6月にはマリアナ沖海戦にも主力艦隊に属して参加しています。
1944年10月の捷号作戦では西村艦隊に属し、戦艦扶桑・山城などと共にスリガオ海峡海戦においてレイテ湾への突入時に待ち受ける敵艦隊の猛攻により壊滅し、大破炎上しながら退避中だった最上は続いて突入してきた志摩艦隊の重巡洋艦那智と衝突した後も攻撃を受け続けて遂に航行不能となり、駆逐艦曙により雷撃処分されました。
キットは航空巡洋艦への改装後からラバウル空襲で損傷して呉に戻るまでの仕様のようで、最終時として描かれている箱絵では航空甲板上に多数の単装機銃が見えますがキットには単装機銃は付属しません。じゃあ付いてる方買うわ、と思ったらフジミの特の最上はこのキットのみのようですね。
開封。フジミ特らしくたっぷりボリューム。
説明書。デジカメ撮影のが読みづらくて加工も面倒だったので仕舞ってあったスキャナでスキャンしてみました。読み取り設定を覚えてくれず一枚一枚設定しなきゃいけなくて面倒臭いのは変わらなかったもののいくらか読みやすくなっただろうか?5ページ目の中段、J21のパーツ形状が実際と違うのでJ21の下の足を切り飛ばしてダボ穴にそのまま乗せる取り付けにすると良いでしょう。
パーツ上からA、B、C。
パーツ上からD、E、H。
パーツ左上から
G、F、I、
J。
パーツ
K、
L、N。
透明パーツ
P、P、Q、
M、M、M、M。
Pは零式水上観測機(ZEROKAN)、Mは零式三座水上偵察機で、ランナー1枚に2機ずつあります。
デカール。搭載機用のマークが主で艦本体用は旗くらい。
それでは製作開始。船体はまず側面と艦底パーツの結合から入りますが艦底パーツは側面に露出せず、艦底色を塗らないフジミ特に多いパターン。細いパーツはバルジの上端にあたるパーツで、向きが分かりづらいですがパーツ番号とダボとダボ穴の位置を読み間違えなければ問題ありません。
前後の甲板と、艦橋の載る甲板の一層下のパーツを乗せます。一層下のパーツはこれだけ造形してあるのに魚雷の出る穴からしか見えなくなるので少し勿体ない感じがします。
艦橋の載る甲板パーツを仮組みしてみるとどうも合わない・・・
バラスト押さえのパーツを置いてたのがダメなのかと思って引っぺがしてみたけれどやっぱり合わないので甲板の裏を見ると前後方向に走るリブが下のパーツと干渉しているようす。
リブを削ります。フジミ特はたまにこうした干渉するリブが生えてる事がよくあります。
リブを削るとピッタリ取りつきます。ただし前の部分に若干隙間が出来るので接着する時にプラ板などで埋めても良いでしょう。
リノリウム色として43ウッドブラウンに混ぜ物をしたもので塗装。(混ぜ物はレッドブラウンや艦底色などで少し赤みを足して暗くしています。お好みで)
それ以外の部分を32軍艦色2で塗装。
魚雷発射管を取り付けます。ゲート跡は見えない側になるのでレタッチしなくても十分。魚雷室は艦橋の載る甲板パーツの下というよりはそれより後ろの航空甲板の下になります。
航空甲板の舷側の支柱は単純な形状ではないためか1本1本植える必要があります。しかも向きも割と厳密で間違っていると上の航空甲板と合わなくなります。説明書とにらめっこして一つ一つ丁寧に植えてゆきましょう。大丈夫必ず終わりは来ますから・・・
艦橋が載る甲板と、航空甲板を乗せます。航空甲板下の中央付近は流し込み接着剤の筆が届きにくいのでここだけは普通の接着剤を盛ってから合わせた方が作業性が良いでしょう。
上部構造物を載せてゆきます。単装機銃を先に載せたりとかは今回はないので説明書通りで問題ありません。ただし仮組みは入念に。結構すんなり合わない部分があります。
次々と載せてゆきます。ボートダビットが船体の外側に張り出すので段々持ちづらくもなってきます・・・
あらかた載せ終えたところ。マストは最初からひん曲がってたり端の刺さる部分が見えないところにあったりと結構大変。特に後マストの右側の支柱が通るパーツL2の穴が元々開いていないので先に開けておく必要があります。
搭載する水上機を組みます。透明パーツを透明なまま切り離すと行方不明率が高まるのでランナー上で塗装してしまった方が安全。まずは15暗緑色(中島系)で。繊細なモールドをつぶさないように塗料は少し薄めにして塗り重ね、必要以上に塗膜を厚くしないようにした方が結果が良いでしょう。
次に下面を35明灰白色(三菱系)で。中島?三菱?ゼロ観は三菱だけどゼロ偵は愛知だし・・・別にどっちでも。
ゼロ観は細かいパーツが多く注意して組む必要があります。機体本体を中心にランナー上で組むのも手。
ゼロ偵は本体の他はフロート2つとプロペラだけなので較べたら天国のように簡単。ただしプロペラはランナーから切り離す時に砕いてしまいやすいので、よく切れる先の細いニッパーは必須。タミヤの薄刃ニッパーで十分ですが・・・
デカールで他の細かい色は用意されていますが、デカール貼りが苦手な人は塗ってしまった方が楽かもしれません。私はデカール貼り苦手なので塗ってしまいました。赤と黄で大体十分ですが更に細かくできる自信のある人は白も使うでしょうか。赤は好みで良いですが黄は上画像のような58黄橙色よりは4イエローか113RLM04イエローの方が良いかと思います。
機体を運搬台車に載せ、航空甲板上に置きます。ゼロ観のフロート下にはダボ穴が無いので運搬台車の上側のダボを切り飛ばして上面に前後方向の溝をヤスリで軽く掘ってやると取り付けやすいでしょう。説明書通りに配置しようと後ろ側から並べてゆくと前から2番目のゼロ観がレール上に収まらなくなるので並びをアレンジする必要があります。また最上の水上機の搭載数11機は定数であって実際にはゼロ観3・ゼロ偵4の計7機だったそうなので、その数にしておいた方がスマートかもしれません。
もうちょっとでできます!
エナメルフラットブラックを主体に、ジャーマングレー、フラットブラウンでスミ入れとウォッシングをして完成。
やはりフジミ特らしいみつしり感。
目線を下した視点からも非常に見栄えが良いです。とにかく情報量が多い。
各部を観察。主砲塔は竣工時には60口径三年式15.5cm3連装砲塔が搭載されていましたが、後の改装により50口径三年式2号20.3cm連装砲に換装されています。ただし砲身が少し長くなって2番砲塔の砲身が1番砲塔の後面に干渉するので2番砲塔を前に向ける時は少し仰角をつけて上に逃がすようにされており、キットでも2番砲塔用の砲身は他の砲とは違うパーツになっています。砲塔の配置は他の重巡洋艦と違い1~3番砲塔を全て前に向けて斉射できるためこの配置のがメリットが多そうなのに次型の利根型ではまた2番が高い位置になっているのは、航行中に進行方向に向けて撃つ事を日本海軍ではあまり重要視していなかったからかもしれません。(英海軍では正面に撃てる事を重視していたフシがあります)
艦中央部。前型の高雄型では巨大だった艦橋を計画時には踏襲する予定でしたが、友鶴事件の影響による重心の高さの改善と、建造中に予定よりみるみる超過する排水量を少しでも減らすため艦橋は一気に小型化されました。少し小型化しすぎたのか艦橋の居住性はあまり良くなかったといわれますが、一方で最上型からはそれまで乗員がハンモックで寝ていたのが鉄製の3段ベッドになるなど、艦橋以外の居住性では大きく改善されています。
副砲となる高角砲は高雄型までは12cm単装高角砲が後に12.7cm連装高角砲に換装されていますが、最上型では最初から40口径八九式12.7cm連装高角砲が防盾付きで4基装備されています。
艦後部。最上はミッドウェー海戦時に三隈との衝突により艦首を大きく大破した他に爆撃で艦後部も大破していたのでその修理のついでに艦後半の4・5番砲塔を撤去し、元々あった航空甲板を艦尾まで段差なく拡げる改装が行われました。これは空母のように甲板上へ直接発着艦を行えるようなものではなく単なる水上機置き場にすぎませんでしたが、艦への収容は多少手間なものの発艦は迅速に行える水上機を大量に搭載できるという事は、まだ軍事衛星も高性能レーダーも無い時代では艦隊の周辺状況を知るには飛行機を飛ばして見てくる以外には自分で行って見てくるしかなく、艦隊の視野の確保にとって非常に重要な事でした。また巡洋艦の役割的にも元々偵察を請け負っていたので偵察能力が高まったのは言うまでもありません。
右舷に回り艦尾。甲板は上げ底されていますが航空戦艦改装後の伊勢型のような格納庫は持っておらず、同じく艦後半を航空艤装に特化させている利根型と用途をほぼ同じくする偵察機能重視の巡洋艦といえます。この運用思想は水上機がヘリコプターに置き換えられて現代でも巡洋艦・駆逐艦のポピュラーな形態となっています。
再び艦中央部。航空甲板前半の下層には魚雷室があり、横穴から発射管を突き出して魚雷を発射します。発射管は九〇式61cm三連装魚雷発射管で、九三式酸素魚雷も発射可能となっています。バタビア沖海戦で第16軍司令官今村均中将座乗の陸軍特殊船「神州丸」他数隻の輸送艦などが唐突に雷撃で撃沈されたのは、近くで交戦中だった最上等護衛艦隊の魚雷の流れ弾だったといわれています。
再び艦前方。前マスト上には特徴的な21号電探が装備されています。機銃装備は竣工時に25mm連装4基と13mm連装2基だったものが全て25mm三連装に交換され、後マスト後ろと航空甲板両舷に4基追加して合計10基となりました。1944年の呉での修理後は更に単装機銃が多数置かれていたようです。
同型である熊野(竣工時)と。
パッと見でわかる違いはまず主砲塔。竣工時の熊野は軽巡洋艦でありまだ15.5cm三連装砲塔を装備しています。軽巡洋艦の艦級のまま大型の船体に中口径の砲を大量に積むという構成は奇しくも諸外国にも興味を持たせ、米国は同様に大型の船体に15.2cm砲を15門持つブルックリン級軽巡洋艦(フォークランド紛争で撃沈されたアルゼンチン海軍旗艦ヘネラル・ベルグラーノが有名)を建造していますが、こちらは重巡洋艦への改装はされていません。
艦中央部同士。機関が最上型では大型8基小型2基だったものが鈴谷型では大型8基のみ(合計出力は同じ)に変更され、艦橋前の吸気ダクトが鈴谷型では無くなり、煙突も集合されていて解りにくいですが前半分の出口が鈴谷型では小さくなり前後とも似た大きさになっています。
艦後半は全然違いますが、タミヤのキットでは鈴谷型に最上のパーツで航空巡洋艦にif改造しようとしても微妙に合わなくて小加工が必要らしいので船体にも違いがあるようです。
次型である利根型重巡洋艦・利根と。利根型も計画時には15.5cm砲を積む軽巡洋艦だったため命名規則が最上型と同じく河川名からとられています。(高雄型までの重巡洋艦は山岳名)
利根型は最初から主砲塔を艦橋より前に集中させ、艦後半に航空艤装を分けていたので砲塔が1基多い分配置はゴチャっとしていますが、前述のように砲は基本的に横に向かって撃つので最上型のように前に全砲門を向けられる事はあまり重要ではなかったのだと思います。利根型も重心を下げる事と排水量の減少には腐心していたので艦橋はよく似た小型のものが踏襲されています。
航空艤装同士では利根型ではまだ乾舷の低い後甲板をそのまま利用しているためフライングデッキとの間に段差があり、スロープをつけてそこへ軌条を敷いて後甲板とフライングデッキとを行き来させるようになっていました。最上ではフライングデッキと同じ高さまでかさ上げして艦後半の甲板を全て同じ高さに揃えています。重心は高まるでしょうが利便性は向上していたハズです。こんな大きな板きれを載せた割には、最上は竣工時と比して1000t増に留めたものの最終的に排水量は12200tに達していました。
前型の高雄型と。艦橋の大きさの差が特に目立ちます。
同様に航空甲板が増設された伊勢型戦艦・伊勢。伊勢型航空戦艦は偵察重視の最上とは違い、搭載機が瑞雲や彗星など爆撃機が主体の攻撃用途であったためか本格運用の機会に恵まれず、また搭載予定であった航空隊の転出もあり航空機を搭載しての実戦すら無く、大きな容積の格納庫を利用した輸送船的な利用が目立ちました。それでもやはり同様に航空機を格納するハズだった格納庫を荷物庫にされた軽巡洋艦大淀と共に北号作戦では無傷で資源を本土に持ち帰るなどの活躍を見せました。
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フジミ特シリーズらしい緻密さとボリュームと難易度を持つ満足度の高いキットです。でも初心者には持て余すからといって忌避したりせず、これが欲しい艦なのなら恐れずに立ち向かう事の方を薦めます。オッサンモデラーは全然情報の無い時代にもっと悪い意味でキツいキットを子供の頃から組まされてきたのですから、情報あふれる今の若い初心者モデラーなら出来ないハズが無いのです。キットの値段が昔と違うし高価いキットでおいそれと失敗はできないって?昔の子供とて鼻血の出る思いでプラモ買うお金を工面していましたとも・・・ええ