~趣味の世界~
ハセガワ1/700ウォーターラインシリーズの空母祥鳳です。
祥鳳は祥鳳型航空母艦に属し、姉妹艦に瑞鳳があります。軍縮条約により空母の保有数を制限されていたため回避策として平時は条約の制限を受けないタイプの艦として存在し、戦時には速やかに空母に改装するという手段を考案し、まず建造されたのが剣埼型給油艦でした。
剣埼(つるぎざき)型給油艦は1934年に剣埼と高崎が起工し、のち剣埼は潜水母艦(潜水艦に補給や乗員の慰労などを行う艦)に設計変更され、1939年に竣工しました。日本海軍の潜水母艦は当時前型である大鯨以外は小型であったため潜水艦隊には喜ばれたものの、国際情勢の悪化により早期に空母への改装が行われる事になります。折角の大型潜水母艦だった大鯨も空母龍鳳へと改装されてしまい、高崎は建造中のうちに空母瑞鳳へと改装されます。そして剣埼は空母祥鳳として1942年1月に就役し、いざ南洋へと出航します。
そして5月の珊瑚海海戦において米空母レキシントンとヨークタウンの航空隊の爆撃により沈没、太平洋戦争における最初の日本空母の喪失となってしまいました。
箱は前回の熊野と同サイズ。大きいですが厚みがありません。
箱横、祥鳳について。祥鳳を沈めたレキシントンはその翌日に翔鶴を大破に追い込みますが自らも大損害を被り雷撃処分、ヨークタウンも損傷を受け真珠湾に帰投後突貫修理を行いミッドウェー海戦へ参加するも空母飛龍の航空隊の爆撃により大破し転進、途上で潜水艦伊168によってとどめを刺されます。
こう重ねるとそこそこのボリュームに見えますが空母だけあって完成後が大きいのでパーツが大きいだけであり、どちらかといえば簡易な構成のキット。
説明書は1枚が4つ折りになっており、やや縦に大きめ。
キット自体がシンプルな構成であまり細かいパーツが無いため理解の難しいようなところはありません。ただ飛行甲板の下になる船体側の甲板に塗色が不明なところがあり、多少解釈を要する部分はあります。そういう部分は別途資料を用意するか、好き好きに塗ると良いでしょう。
主要パーツ群。パーツは細かいものが少なく、初心者向けに組みやすさ重視で作られているように感じます。バラストは付属しません。
静模の大型艦用ディテールアップパーツが1枚付属。ここにも必須パーツが含まれます。
デカール。瑞鳳と共通で半分しか使いません。
いざ組み始めますが、構成は水上戦闘艦の砲塔も艦橋も無いような感じ。
パーツ合わせも悪くなく、保持力まであるおかげで仮組みで持ち上げても崩れないしおおよその形が出来上がってしまいます。
ただ残念なのはキット自体が瑞鳳をベースに作られているのか、余計な穴が最初から開いているため説明書にもところどころ「埋めてください」と指示のある穴があります。その他、甲板の下の支持桁(飛行甲板の前後の下に立つ柱)も突起を切り取れと指示のある部分も多く、ちょっとスマートさに欠けます。穴埋めにはスピード一番な光硬化パテを使用しました。飛行甲板のモールドを埋めろという所は木甲板の凸モールドも細かく走っている所なのである程度潰れるのを覚悟する必要があるでしょう。
光硬化パテはこのチューブ1本で千円くらいとちょっとお高いですが、このように電球型蛍光灯の光を間近で当ててやれば1~2分ほどでカッチリ固まる速度がウリ。硬化しても表面にヌルッとしたものが付着しているのでふき取ってやれば、即座にサクサクと削りに入れます。
穴を埋めたら船体側はサッサと組んでしまいます。高角砲の台などのパーツもいくつか付けてしまっても可。
モールドは必要十分には付いているキットなのですが、艦橋の前の1段は何のモールドも無く真っ平でちょっと寂しい。箱絵なんかだと手すりに囲まれて色々配置されているように見えるので資料をくるなり独自判断なりで何かしら置いても良いかもしれませんね。
他の人の作例を見ると艦尾の乾舷部分には横方向に走るリノリウム押さえモールドと思しきものがあるのでここをリノリウム色に塗りました。格納庫後端の面には蜀の桟道のような通路がボンヤリとあるだけなので腕に自信のある人はエッチング手すりなどでデコレーションしてやると見栄えが良くなるかも。
飛行甲板は44タンで塗装。後でウォッシングするので多少ムラがあっても気にしない。
軍艦色2を一気に塗装。高角砲の台の下はやや筆が入りづらかったのでこの辺りは自己判断で。飛行甲板の裏側は指示がありませんが軍艦色2で全部塗ります。陰になる部分なので暗い色にするのも良し。
あらかたつけられるパーツは全部付けてしまっても良いでしょうが、飛行甲板を船体に接着するのは最後にとっておきましょうか。マストは邪魔になりやすいしウッカリ折る危険もあるので自己判断で。マストは航行時は立て、戦闘時は外側へ倒すそうです。飾る時の高さや幅などに影響するので好みでどちらかを選択します。
飛行甲板を接着すると筆が入らなくなるので船体側を一気にウォッシング。特に陰になる部分は濃いめに。
飛行甲板のデカールを貼ります。クリヤー部分がほとんど無くただ貼るだけで十分。フジミの特シリーズの空母に付くデカールのように一枚にまとまっておらず白線を一本一本貼る必要はあるものの、デカールが素直でモールドに良く馴染むのであまり苦にはなりません。良いデカールです。ただし馴染みが良い分マークソフターを付けた後でモタモタ修正しているとシワが寄りやすいので注意。
さて空母といったら艦載機を忘れてはなりませんが、このキットに付属の艦載機はちょっと懐かしい感じのブツで、脚とか。
ランナーに付いている艦載機は零式艦戦21型x5、彗星12型x3、99式艦爆11型x4、97式3号艦攻x4ですが説明書によるとこのうち零戦と97式艦攻だけ使用なのでそれらに絞ってちょっと手を加えてみることにしました。まずは端のランナーを切り取ってライターで炙り伸ばしランナーを作ります。
程よい太さにしたら切り出して削り、艦攻が腹に抱える魚雷と、輪切りにし切り詰めた脚先に車輪として取り付けました。
零戦の方は面倒臭くなったので2機だけ。増槽を腹に抱えています。尾輪は小っちゃすぎるのでそれっぽい形にしただけ。
塗装すればそれなりに見えるかな?
飛行甲板や艦載機をウォッシングして完成。
飛行甲板の先に艦首が突き出しているスタイルは龍驤が特徴的ですが、ちょっと引っ込んだ位置に艦橋があるこの形も軽空母によくあるスタイルのように思えます。このせいで艦橋からは水平方向にしか視界が無く、対空警戒が出来ないと不評だったのでほとんど同じ形をしている龍鳳では船体の横に艦橋を突き出させているとか。
目線を下して観察。この角度は空母の場合飛行甲板が見えませんが、その下にある各艦の個性を見やすい角度でもあります。ハリケーンバウ(艦首が飛行甲板と一体型となる形)だと壁しかなくてつまらないかもしれませんけど。
各部を観察。艦首は飛行甲板の先に突き出ており、これは凌波性を求めた形かと思われます。最終型の鳳翔は艦首よりも飛行甲板が前に突き出ていますが、波を飛行甲板の裏側にぶち当ててしまうせいか外洋航行に難があったと言われます。太平洋戦争までは空母の形状の最適解を探るべく色々な形が試されたためこの辺りの形状は数々のパターンがあります。戦後の空母の形を見るに艦首形状については艦首と飛行甲板の間を埋めて一体化してしまうハリケーンバウが一般的となりましたが、日本海軍の空母でハリケーンバウを採るのは装甲空母である大鳳のみです。
艦前半、1番エレベーター付近。エレベーターの左右舷には40口径八九式12.7cm連装高角砲が配置されています。マストの旗は他キットの紙シール旗を流用していますが、いつもの垂れ下がってるものではなく真っ直ぐになってる形のものは何かこう、お子様ランチのような・・・
艦後半、2番エレベーター付近。エレベーターの前方左右舷には九六式25mm3連装機銃が2基ずつ、後方左右舷には八九式12.7cm連装高角砲が置かれていますが、左舷は見慣れた剥き出しのタイプが、右舷側は防盾付きのタイプとなっています。
艦尾。乾舷(下の段の甲板)には内火艇が置かれています。
右舷側から。
同俯瞰。飛行甲板の左右に突き出している構造物は両舷着艦標識というもので、役割は・・・よくわかりません。高角砲の後ろにある上に突き出たものは煙突のようです。
艦後半2番エレベーター付近右舷側。こちら側の高角砲1基と機銃2基は防盾付きのものになっています。何故右舷側後半のものだけが?何ででしょうね。
艦前半右舷側。煙突と剥き出しタイプの連装高角砲があり、その間の壁面に吸気口とタラップが確認できます。機関は剣埼時代はディーゼル機関でしたがこれがどうにも調子が良くなくトラブル続きであったため空母改装時に陽炎型駆逐艦のものと同じ蒸気タービン機関(52000馬力)に換装しています。
艦前方をやや後方から。艦首形状同様に艦橋も試行錯誤が行われていた時期であり、大型の空母であれば多少重心が高くなっても飛行甲板上にアイランド型の艦橋を設置している例が多いですが、比較的小型の軽空母の場合は復元力に余裕が無いので飛行甲板先端直下やその後方など飛行甲板より下の位置にあるパターンがよくありました。また飛行甲板上にアイランド型艦橋を置くにしても右舷側だと煙突があるので前方に寄っていたり、煙突と一体化した巨大な艦橋を持っていたりしました。煙突を避けて左舷側に艦橋を置いたのは日本の空母赤城と飛龍のみです。
飛行甲板上の零式艦上戦闘機21型。誰でも知っている通称ゼロセンです。高い運動性により格闘戦を重視した艦上戦闘機であり、他国の戦闘機に比して非常に長い航続距離も持っていました。
飛行甲板上の九七式3号艦上攻撃機。1号と3号は中島飛行機製で後にそれぞれ十一型と十二型に改称されました。2号(六一型)は三菱製で脚が引き込みではなく固定脚となっているのが識別点。主に短魚雷を胴体下に搭載して海面スレスレを飛行し魚雷を投下、敵艦に雷撃を行う機体です。
空母龍驤と。祥鳳の飛行甲板長は龍驤の全長とほぼ同じ180m。祥鳳の全長は205mあり、これは妙高型重巡洋艦と大体同じくらい。
祥鳳がまだ剣埼として設計中はまず前型の大鯨とほぼ同型の予定だったものの友鶴事件により設計変更を行い構造を強化して起工に入り、更に建造中に第4艦隊事件の影響で設計変更を行っています。そのため工期が伸び伸びになり竣工時には軍縮条約が無効になっているとして、空母改装の準備を先にしておくべくエレベーターなどの装備をした結果給油艦としての能力が不十分となったため艦種を高速給油艦から潜水母艦へ変更したいきさつがあります。
空母鳳翔と。鳳翔は全長165m。
水上機母艦千代田と。千代田の全長は190mほどですが、空母への改装後は飛行甲板が180m、排水量も11190tと、祥鳳の11200tと同等の規模の空母となります。
@@@
それほど古くないハズですがどこか古さを感じ、簡易にまとめられ組みやすいですがもうちょっと詳細でも良かったなぁ・・・という感じでイマイチぱっとしない印象のキットです。決して悪くは無いのですが、どうもこう褒めにくいというか・・・
姿のよく似ている龍鳳はフジミの特とピットロードがしのぎを削る詳細指向のキットなので対比としてそちらも興味のある人はチェックしてみるのも良いでしょう。
祥鳳は祥鳳型航空母艦に属し、姉妹艦に瑞鳳があります。軍縮条約により空母の保有数を制限されていたため回避策として平時は条約の制限を受けないタイプの艦として存在し、戦時には速やかに空母に改装するという手段を考案し、まず建造されたのが剣埼型給油艦でした。
剣埼(つるぎざき)型給油艦は1934年に剣埼と高崎が起工し、のち剣埼は潜水母艦(潜水艦に補給や乗員の慰労などを行う艦)に設計変更され、1939年に竣工しました。日本海軍の潜水母艦は当時前型である大鯨以外は小型であったため潜水艦隊には喜ばれたものの、国際情勢の悪化により早期に空母への改装が行われる事になります。折角の大型潜水母艦だった大鯨も空母龍鳳へと改装されてしまい、高崎は建造中のうちに空母瑞鳳へと改装されます。そして剣埼は空母祥鳳として1942年1月に就役し、いざ南洋へと出航します。
そして5月の珊瑚海海戦において米空母レキシントンとヨークタウンの航空隊の爆撃により沈没、太平洋戦争における最初の日本空母の喪失となってしまいました。
箱は前回の熊野と同サイズ。大きいですが厚みがありません。
箱横、祥鳳について。祥鳳を沈めたレキシントンはその翌日に翔鶴を大破に追い込みますが自らも大損害を被り雷撃処分、ヨークタウンも損傷を受け真珠湾に帰投後突貫修理を行いミッドウェー海戦へ参加するも空母飛龍の航空隊の爆撃により大破し転進、途上で潜水艦伊168によってとどめを刺されます。
こう重ねるとそこそこのボリュームに見えますが空母だけあって完成後が大きいのでパーツが大きいだけであり、どちらかといえば簡易な構成のキット。
説明書は1枚が4つ折りになっており、やや縦に大きめ。
キット自体がシンプルな構成であまり細かいパーツが無いため理解の難しいようなところはありません。ただ飛行甲板の下になる船体側の甲板に塗色が不明なところがあり、多少解釈を要する部分はあります。そういう部分は別途資料を用意するか、好き好きに塗ると良いでしょう。
主要パーツ群。パーツは細かいものが少なく、初心者向けに組みやすさ重視で作られているように感じます。バラストは付属しません。
静模の大型艦用ディテールアップパーツが1枚付属。ここにも必須パーツが含まれます。
デカール。瑞鳳と共通で半分しか使いません。
いざ組み始めますが、構成は水上戦闘艦の砲塔も艦橋も無いような感じ。
パーツ合わせも悪くなく、保持力まであるおかげで仮組みで持ち上げても崩れないしおおよその形が出来上がってしまいます。
ただ残念なのはキット自体が瑞鳳をベースに作られているのか、余計な穴が最初から開いているため説明書にもところどころ「埋めてください」と指示のある穴があります。その他、甲板の下の支持桁(飛行甲板の前後の下に立つ柱)も突起を切り取れと指示のある部分も多く、ちょっとスマートさに欠けます。穴埋めにはスピード一番な光硬化パテを使用しました。飛行甲板のモールドを埋めろという所は木甲板の凸モールドも細かく走っている所なのである程度潰れるのを覚悟する必要があるでしょう。
光硬化パテはこのチューブ1本で千円くらいとちょっとお高いですが、このように電球型蛍光灯の光を間近で当ててやれば1~2分ほどでカッチリ固まる速度がウリ。硬化しても表面にヌルッとしたものが付着しているのでふき取ってやれば、即座にサクサクと削りに入れます。
穴を埋めたら船体側はサッサと組んでしまいます。高角砲の台などのパーツもいくつか付けてしまっても可。
モールドは必要十分には付いているキットなのですが、艦橋の前の1段は何のモールドも無く真っ平でちょっと寂しい。箱絵なんかだと手すりに囲まれて色々配置されているように見えるので資料をくるなり独自判断なりで何かしら置いても良いかもしれませんね。
他の人の作例を見ると艦尾の乾舷部分には横方向に走るリノリウム押さえモールドと思しきものがあるのでここをリノリウム色に塗りました。格納庫後端の面には蜀の桟道のような通路がボンヤリとあるだけなので腕に自信のある人はエッチング手すりなどでデコレーションしてやると見栄えが良くなるかも。
飛行甲板は44タンで塗装。後でウォッシングするので多少ムラがあっても気にしない。
軍艦色2を一気に塗装。高角砲の台の下はやや筆が入りづらかったのでこの辺りは自己判断で。飛行甲板の裏側は指示がありませんが軍艦色2で全部塗ります。陰になる部分なので暗い色にするのも良し。
あらかたつけられるパーツは全部付けてしまっても良いでしょうが、飛行甲板を船体に接着するのは最後にとっておきましょうか。マストは邪魔になりやすいしウッカリ折る危険もあるので自己判断で。マストは航行時は立て、戦闘時は外側へ倒すそうです。飾る時の高さや幅などに影響するので好みでどちらかを選択します。
飛行甲板を接着すると筆が入らなくなるので船体側を一気にウォッシング。特に陰になる部分は濃いめに。
飛行甲板のデカールを貼ります。クリヤー部分がほとんど無くただ貼るだけで十分。フジミの特シリーズの空母に付くデカールのように一枚にまとまっておらず白線を一本一本貼る必要はあるものの、デカールが素直でモールドに良く馴染むのであまり苦にはなりません。良いデカールです。ただし馴染みが良い分マークソフターを付けた後でモタモタ修正しているとシワが寄りやすいので注意。
さて空母といったら艦載機を忘れてはなりませんが、このキットに付属の艦載機はちょっと懐かしい感じのブツで、脚とか。
ランナーに付いている艦載機は零式艦戦21型x5、彗星12型x3、99式艦爆11型x4、97式3号艦攻x4ですが説明書によるとこのうち零戦と97式艦攻だけ使用なのでそれらに絞ってちょっと手を加えてみることにしました。まずは端のランナーを切り取ってライターで炙り伸ばしランナーを作ります。
程よい太さにしたら切り出して削り、艦攻が腹に抱える魚雷と、輪切りにし切り詰めた脚先に車輪として取り付けました。
零戦の方は面倒臭くなったので2機だけ。増槽を腹に抱えています。尾輪は小っちゃすぎるのでそれっぽい形にしただけ。
塗装すればそれなりに見えるかな?
飛行甲板や艦載機をウォッシングして完成。
飛行甲板の先に艦首が突き出しているスタイルは龍驤が特徴的ですが、ちょっと引っ込んだ位置に艦橋があるこの形も軽空母によくあるスタイルのように思えます。このせいで艦橋からは水平方向にしか視界が無く、対空警戒が出来ないと不評だったのでほとんど同じ形をしている龍鳳では船体の横に艦橋を突き出させているとか。
目線を下して観察。この角度は空母の場合飛行甲板が見えませんが、その下にある各艦の個性を見やすい角度でもあります。ハリケーンバウ(艦首が飛行甲板と一体型となる形)だと壁しかなくてつまらないかもしれませんけど。
各部を観察。艦首は飛行甲板の先に突き出ており、これは凌波性を求めた形かと思われます。最終型の鳳翔は艦首よりも飛行甲板が前に突き出ていますが、波を飛行甲板の裏側にぶち当ててしまうせいか外洋航行に難があったと言われます。太平洋戦争までは空母の形状の最適解を探るべく色々な形が試されたためこの辺りの形状は数々のパターンがあります。戦後の空母の形を見るに艦首形状については艦首と飛行甲板の間を埋めて一体化してしまうハリケーンバウが一般的となりましたが、日本海軍の空母でハリケーンバウを採るのは装甲空母である大鳳のみです。
艦前半、1番エレベーター付近。エレベーターの左右舷には40口径八九式12.7cm連装高角砲が配置されています。マストの旗は他キットの紙シール旗を流用していますが、いつもの垂れ下がってるものではなく真っ直ぐになってる形のものは何かこう、お子様ランチのような・・・
艦後半、2番エレベーター付近。エレベーターの前方左右舷には九六式25mm3連装機銃が2基ずつ、後方左右舷には八九式12.7cm連装高角砲が置かれていますが、左舷は見慣れた剥き出しのタイプが、右舷側は防盾付きのタイプとなっています。
艦尾。乾舷(下の段の甲板)には内火艇が置かれています。
右舷側から。
同俯瞰。飛行甲板の左右に突き出している構造物は両舷着艦標識というもので、役割は・・・よくわかりません。高角砲の後ろにある上に突き出たものは煙突のようです。
艦後半2番エレベーター付近右舷側。こちら側の高角砲1基と機銃2基は防盾付きのものになっています。何故右舷側後半のものだけが?何ででしょうね。
艦前半右舷側。煙突と剥き出しタイプの連装高角砲があり、その間の壁面に吸気口とタラップが確認できます。機関は剣埼時代はディーゼル機関でしたがこれがどうにも調子が良くなくトラブル続きであったため空母改装時に陽炎型駆逐艦のものと同じ蒸気タービン機関(52000馬力)に換装しています。
艦前方をやや後方から。艦首形状同様に艦橋も試行錯誤が行われていた時期であり、大型の空母であれば多少重心が高くなっても飛行甲板上にアイランド型の艦橋を設置している例が多いですが、比較的小型の軽空母の場合は復元力に余裕が無いので飛行甲板先端直下やその後方など飛行甲板より下の位置にあるパターンがよくありました。また飛行甲板上にアイランド型艦橋を置くにしても右舷側だと煙突があるので前方に寄っていたり、煙突と一体化した巨大な艦橋を持っていたりしました。煙突を避けて左舷側に艦橋を置いたのは日本の空母赤城と飛龍のみです。
飛行甲板上の零式艦上戦闘機21型。誰でも知っている通称ゼロセンです。高い運動性により格闘戦を重視した艦上戦闘機であり、他国の戦闘機に比して非常に長い航続距離も持っていました。
飛行甲板上の九七式3号艦上攻撃機。1号と3号は中島飛行機製で後にそれぞれ十一型と十二型に改称されました。2号(六一型)は三菱製で脚が引き込みではなく固定脚となっているのが識別点。主に短魚雷を胴体下に搭載して海面スレスレを飛行し魚雷を投下、敵艦に雷撃を行う機体です。
空母龍驤と。祥鳳の飛行甲板長は龍驤の全長とほぼ同じ180m。祥鳳の全長は205mあり、これは妙高型重巡洋艦と大体同じくらい。
祥鳳がまだ剣埼として設計中はまず前型の大鯨とほぼ同型の予定だったものの友鶴事件により設計変更を行い構造を強化して起工に入り、更に建造中に第4艦隊事件の影響で設計変更を行っています。そのため工期が伸び伸びになり竣工時には軍縮条約が無効になっているとして、空母改装の準備を先にしておくべくエレベーターなどの装備をした結果給油艦としての能力が不十分となったため艦種を高速給油艦から潜水母艦へ変更したいきさつがあります。
空母鳳翔と。鳳翔は全長165m。
水上機母艦千代田と。千代田の全長は190mほどですが、空母への改装後は飛行甲板が180m、排水量も11190tと、祥鳳の11200tと同等の規模の空母となります。
@@@
それほど古くないハズですがどこか古さを感じ、簡易にまとめられ組みやすいですがもうちょっと詳細でも良かったなぁ・・・という感じでイマイチぱっとしない印象のキットです。決して悪くは無いのですが、どうもこう褒めにくいというか・・・
姿のよく似ている龍鳳はフジミの特とピットロードがしのぎを削る詳細指向のキットなので対比としてそちらも興味のある人はチェックしてみるのも良いでしょう。
タミヤ1/700ウォーターラインシリーズの軽巡洋艦熊野です。
軽巡洋艦?軽巡洋艦です。
熊野は最上型重巡洋艦の4番艦。最上型は元々老朽化していた天龍型や球磨型軽巡洋艦の代わりとして計画され、軍縮条約の失効後を見据えて大柄な船体に新型の15.5cm砲を搭載する軽巡洋艦として竣工しました。先に竣工していた最上・三隈が第4艦隊事件により船体強度が不足しているという事でまだ建造中であった鈴谷・熊野は設計を変更され、最上・三隈とは船体構造の他機関などにも違いがあり、鈴谷・熊野は別に「改最上型」又は「鈴谷型」と分類される場合もあります。
熊野は1937年に竣工し、1939年には早くも主砲が20.3cmに換装され事実上の重巡洋艦となりますが、対外的にはこの主砲換装は伏せられており太平洋戦争開戦後も書類上では軽巡洋艦のままでした。(米軍が最上型の搭載砲が変化していた事に気付いたのは1942年のミッドウェー海戦だと言われています。)開戦後はマレー上陸作戦・バタビア沖海戦・ミッドウェー海戦などに参加後は鈴谷と共に各地を転戦し1944年10月のサマール沖海戦で米駆逐艦ジョンストンの雷撃を受け損傷後は修理しながら何とか本土帰還を目指すも、1か月の間に潜水艦の雷撃や爆撃、台風などに見舞われ最後はフィリピンはルソン島のサンタクルーズにて空母タイコンデロガ艦載機の雷撃により沈没してしまいます。
箱はサイズが大きいですが厚みが駆逐艦キットの箱程度。
箱横には熊野の要目や作例写真があります。反対側にはキットバリエーションである最上型の他の3隻が描かれています。タミヤの最上型は最上が航空巡洋艦状態、三隈(最上型)と鈴谷(改最上型)が重巡状態、そしてこの熊野が軽巡状態とそれぞれに違いがあります。
実質的な前型である妙高型や高雄型と同等のサイズの艦なのでボリュームはそれなりにありますが、フジミの特シリーズなどのように細分化せず、比較的組みやすいようにパーツ数を抑えたキットとなっています。
説明書は縦に長い1枚ですが折れば作業の邪魔にならないようにコンパクトにできます。読みやすいように折る位置を調整してやる必要はありますが・・・
裏面。組む順序は船体→各艤装→船体へ艤装を配置の順で、クセの無い組み順。
主要パーツ群。上写真の他にバラストと静模のディテールアップパーツが付属します。旗はデカールでも紙シールでも無い薄い紙で、ちょっと見慣れないタイプ。奥に立て掛けられているパーツがおそらく熊野独自のパーツなのでしょう、3連装砲塔が1パーツでまとめられているのに驚きます。
ディテールはタミヤらしいシャープなハイディテール。タミヤの最上型は2000年代に入ってからリニューアルされたもので比較的新しいキットですが、90年代前半頃に組んだ最上(旧キット?)もかなり満足な出来だったように記憶しています。
ランナーに2003 TAMIYAの文字。
静模の大型艦用ディテールアップパーツが付属しますが、説明書は省かれています。年代が新しいせいかここにも必須パーツが含まれます。
早速組み始めます。船体側面は左右分割ですがハセガワのように継ぎ目を横へ回らせたりはしていません。バラストは前後をプラパーツに差し込み、それを艦底パーツに接着するようになっています。構造上バラストがカタカタする事はありません。
魚雷発射管が載る台は一部反り返っていたので折らないように手曲げで修正してやる必要がありました。甲板パーツは先にポリキャップを仕込んでおきます。アオシマ高雄と違いポリキャップのはめ込み位置に無駄な空間が無いので砲塔を挿しておく必要はありません。あちら同様、ポリキャップは自動車キットのものと同じもので、非常に見慣れたパーツ。必要個数の倍ほど入っているので残りは何かに流用すると良いでしょう。
甲板パーツ前後を接着。船体側面左右パーツ同士を支え合う梁が無いので開く傾向にあり、甲板パーツを接着する時は側面から押さえながら。甲板との艦首の合わせ面も側面にあり凝っていますが後処理を要します。
甲板中央部は中にある魚雷発射管周辺を塗装してからになります。覗き込んでも見えないような位置に予備の魚雷がモールドされていたり、キッチリと隔壁があったりと凝っています。
仮組みしてみると3・4番砲塔の台座の後ろの隙間に筆が入りそうにないのでリノリウム色として43ウッドブラウンを塗り、砲塔台座と甲板中央部パーツの砲塔台座と対面になる位置を軍艦色2で先に塗装しておきます。
甲板中央部を接着。船体左右を抑えるようにテープを貼って乾燥待ち。
軍艦色2と艦底色を塗ります。
艤装を組み立てて配置してゆきます。難しいところは特に無いのですが煙突はグリルが抜けていて中が見えるので煙突内側もつや消し黒で塗っておくと良いでしょう。砲塔は1パーツなので塗装するだけ。20.3cm砲だと最上型は2番砲塔が干渉のため俯角をつけなければならないのですが、他の最上型はどうなのでしょう?
どんどん組みあがってゆきます。マストなども合わせが良く、細いのにしっかりと組めます。カタパルトは保持力がそこそこあるので差し込むだけでOK。
キットの砲塔と同じランナーには零式三座水上偵察機と零式水上観測機がありますが、この熊野は時代が1937~39なので静模のディテールアップパーツから九四式水上偵察機と九五式水上偵察機を使用します。塗色も戦中の緑/明灰緑色ではなく戦間期の銀/赤。小スケールキットではあまり銀色は使いたくないところなのですが、Mr.カラーの8シルバーなら粒子が細かくてギラギラせず雰囲気を損なわずに済むでしょうか。ガイアカラーの009ブライトシルバーでも可。
旗は切り抜いて左右を接着し、マストに瞬着を塗ってそこへ旗の端を当てて接着。紙シール旗の粘着が無く紙が薄くなったものと思えば良いでしょうか。旗はこの方式が一番好きかな・・・
エナメルジャーマングレーでウォッシングして完成。
甲板上の配置物が少な目でちょっと物足りないかな?でも時代が古い艦は大抵スカスカ気味だしこんなもんかな・・・
目線を下して観察。艦様は奇異な所がなくオーソドックス。
各部を観察。特徴でもある主砲は新開発の60口径三年式15.5cm砲を三連装にし砲塔に収めています。妙高型以降の重巡洋艦では20.3cm砲の配置を詰めるために2番砲塔を高い位置にしていますが最上型では搭載砲の全長が短く1・2番を並べても間隔が広がらないため3番砲塔を高い位置にしています。この配置だと俯角をつければ正面方向へ砲を9門向ける事ができますが、次型の利根型では20.3cm砲搭載前提のため再び2番を高い位置に戻しています。この15.5cm砲は性能的には好評だったため20.3cm砲へ換装するのを惜しまれたとも言われます。最上型から降ろされた15.5cm砲は改良型の3連装砲塔へ砲身のみ再利用され、軽巡洋艦大淀の主砲・大和型戦艦の副砲として搭載されました。
巨大な艦橋を持つ高雄型の次型としてはコンパクトな艦橋。これは元々船体は重巡クラスなれど艦種はあくまで軽巡であったからでしょうか。
煙突は最上・三隈とは機関が違う(大型缶10+小型缶2→大型缶10のみ)ため鈴谷・熊野では煙突が細くなっていますが、イマイチ見分けにくいので艦橋の前の吸気ダクトの有無の方が見分けやすいでしょう(最上・三隈には艦橋の前に吹雪型駆逐艦の吸気口のようなダクトがあります。)
後部マストの後ろの甲板にはフライングデッキがあり、その両舷にカタパルトが設置されています。その甲板の下には3連装魚雷発射管が4基内蔵されています。
艦尾には4・5番砲塔が高低に置かれている他はサッパリしています。
ミッドウェー海戦で三隈と衝突するなどして大破した最上は帰還後修理するついでにこの艦尾部分をフライングデッキと同じ高さにかさ上げして砲を撤去し艦後半を全てフライングデッキにする改装が施されました。大破した熊野が本土へ帰還出来ていた場合同様の改装が施されたかも?と妄想を巡らせるところですが、1944年末だし、無いだろうなあ・・・
フライングデッキ上には搭載数一杯な3機の水上機を置いています。キットでは水上機を載せる台車がパーツで用意されており、カタパルト上へ載せる際の滑走車も用意されているのでフライングデッキ上にただ置くだけとか、カタパルト上に直接接着だの無粋な配置にせずに済みます。ただし台車に載せる場合はフライングデッキ上のレールに沿わせるのが筋でしょうが、これが意外と上手く置けなかったりします・・・九四水偵は大きいのでレール上にどう置いても翼がどこかに干渉しがち。
煙突の左右舷には見慣れない砲塔がありますが、これはおなじみの40口径八九式12.7cm連装高角砲に防盾を装備したもの。重巡キットのこの位置の12.7cm連装高角砲は防盾無しだったり有りだったり付け根の白い幌がなかったりとマチマチです。
機銃は時代が古いためまだ竣工時の数のままで、艦橋前に13mm連装機銃2基、煙突の後ろ左右に九六式25mm連装機銃が4基という状態。最終的には更に25mm3連装機銃8基、単装18基(推定)が増備されます。
艦橋以前を後方から。前後マストには最終的に21号・22号・13号の電探が装備されますが、この段階ではまだどれも搭載されていません。
前型である高雄と。奥側が高雄、手前が熊野。艦後半の甲板の雰囲気は似ています。
前半はあまり似ていません。
艦中央部。高角砲の位置はフライングデッキの雰囲気は似ていますが、煙突の本数やその直後の構造物などはかなり違います。魚雷発射管の位置も高雄型よりも後方にあります。
甲板上にあまり物が載っていないスカスカな艦尾は似ています。
更に、次型である利根も。手前が利根。全然違います。
艦前半。艦首の形状が高雄型と比べ鋭角になっている点は利根型も共通していますが、その後ろは砲の配置から全く違います。小型化されたままの艦橋は多少似ているかな?
艦中央部。艦橋から煙突、機銃台までは雰囲気が似ているかも。
艦後半。さすがに利根の艦尾と似ている艦型は無いでしょう。ただし最上(改装後)だけは飛行機が載ってるって点では似てきます。
更に更に前型2つ。奥から衣笠(青葉型)、足柄(妙高型)、高雄、熊野、利根。
こう並べるともう似てるとか似てないとか・・・
でも利根以外はみんなスカスカな艦尾。
@@@
タミヤの比較的新しいキットだけのことはあり組みやすくハイディテールですが、苦労が無さすぎて物足りないと感じる向きも多いかもしれません。ただしタミヤは古いものでもそうなので、むしろ新しい割にはあまり進化していない感じがしてしまいます。近年の他社の追随は激しいですが、作りやすさの点ではまだタミヤがトップだと感じます。
また上写真のように各型をコレクション的に集めるにはこれくらい楽な方が良いですが、恐ろしいのはそのバリエーション展開。各型どころか同型各艦も全て集めてしまいそうになる誘惑。これは恐ろしい事ですよ・・・
軽巡洋艦?軽巡洋艦です。
熊野は最上型重巡洋艦の4番艦。最上型は元々老朽化していた天龍型や球磨型軽巡洋艦の代わりとして計画され、軍縮条約の失効後を見据えて大柄な船体に新型の15.5cm砲を搭載する軽巡洋艦として竣工しました。先に竣工していた最上・三隈が第4艦隊事件により船体強度が不足しているという事でまだ建造中であった鈴谷・熊野は設計を変更され、最上・三隈とは船体構造の他機関などにも違いがあり、鈴谷・熊野は別に「改最上型」又は「鈴谷型」と分類される場合もあります。
熊野は1937年に竣工し、1939年には早くも主砲が20.3cmに換装され事実上の重巡洋艦となりますが、対外的にはこの主砲換装は伏せられており太平洋戦争開戦後も書類上では軽巡洋艦のままでした。(米軍が最上型の搭載砲が変化していた事に気付いたのは1942年のミッドウェー海戦だと言われています。)開戦後はマレー上陸作戦・バタビア沖海戦・ミッドウェー海戦などに参加後は鈴谷と共に各地を転戦し1944年10月のサマール沖海戦で米駆逐艦ジョンストンの雷撃を受け損傷後は修理しながら何とか本土帰還を目指すも、1か月の間に潜水艦の雷撃や爆撃、台風などに見舞われ最後はフィリピンはルソン島のサンタクルーズにて空母タイコンデロガ艦載機の雷撃により沈没してしまいます。
箱はサイズが大きいですが厚みが駆逐艦キットの箱程度。
箱横には熊野の要目や作例写真があります。反対側にはキットバリエーションである最上型の他の3隻が描かれています。タミヤの最上型は最上が航空巡洋艦状態、三隈(最上型)と鈴谷(改最上型)が重巡状態、そしてこの熊野が軽巡状態とそれぞれに違いがあります。
実質的な前型である妙高型や高雄型と同等のサイズの艦なのでボリュームはそれなりにありますが、フジミの特シリーズなどのように細分化せず、比較的組みやすいようにパーツ数を抑えたキットとなっています。
説明書は縦に長い1枚ですが折れば作業の邪魔にならないようにコンパクトにできます。読みやすいように折る位置を調整してやる必要はありますが・・・
裏面。組む順序は船体→各艤装→船体へ艤装を配置の順で、クセの無い組み順。
主要パーツ群。上写真の他にバラストと静模のディテールアップパーツが付属します。旗はデカールでも紙シールでも無い薄い紙で、ちょっと見慣れないタイプ。奥に立て掛けられているパーツがおそらく熊野独自のパーツなのでしょう、3連装砲塔が1パーツでまとめられているのに驚きます。
ディテールはタミヤらしいシャープなハイディテール。タミヤの最上型は2000年代に入ってからリニューアルされたもので比較的新しいキットですが、90年代前半頃に組んだ最上(旧キット?)もかなり満足な出来だったように記憶しています。
ランナーに2003 TAMIYAの文字。
静模の大型艦用ディテールアップパーツが付属しますが、説明書は省かれています。年代が新しいせいかここにも必須パーツが含まれます。
早速組み始めます。船体側面は左右分割ですがハセガワのように継ぎ目を横へ回らせたりはしていません。バラストは前後をプラパーツに差し込み、それを艦底パーツに接着するようになっています。構造上バラストがカタカタする事はありません。
魚雷発射管が載る台は一部反り返っていたので折らないように手曲げで修正してやる必要がありました。甲板パーツは先にポリキャップを仕込んでおきます。アオシマ高雄と違いポリキャップのはめ込み位置に無駄な空間が無いので砲塔を挿しておく必要はありません。あちら同様、ポリキャップは自動車キットのものと同じもので、非常に見慣れたパーツ。必要個数の倍ほど入っているので残りは何かに流用すると良いでしょう。
甲板パーツ前後を接着。船体側面左右パーツ同士を支え合う梁が無いので開く傾向にあり、甲板パーツを接着する時は側面から押さえながら。甲板との艦首の合わせ面も側面にあり凝っていますが後処理を要します。
甲板中央部は中にある魚雷発射管周辺を塗装してからになります。覗き込んでも見えないような位置に予備の魚雷がモールドされていたり、キッチリと隔壁があったりと凝っています。
仮組みしてみると3・4番砲塔の台座の後ろの隙間に筆が入りそうにないのでリノリウム色として43ウッドブラウンを塗り、砲塔台座と甲板中央部パーツの砲塔台座と対面になる位置を軍艦色2で先に塗装しておきます。
甲板中央部を接着。船体左右を抑えるようにテープを貼って乾燥待ち。
軍艦色2と艦底色を塗ります。
艤装を組み立てて配置してゆきます。難しいところは特に無いのですが煙突はグリルが抜けていて中が見えるので煙突内側もつや消し黒で塗っておくと良いでしょう。砲塔は1パーツなので塗装するだけ。20.3cm砲だと最上型は2番砲塔が干渉のため俯角をつけなければならないのですが、他の最上型はどうなのでしょう?
どんどん組みあがってゆきます。マストなども合わせが良く、細いのにしっかりと組めます。カタパルトは保持力がそこそこあるので差し込むだけでOK。
キットの砲塔と同じランナーには零式三座水上偵察機と零式水上観測機がありますが、この熊野は時代が1937~39なので静模のディテールアップパーツから九四式水上偵察機と九五式水上偵察機を使用します。塗色も戦中の緑/明灰緑色ではなく戦間期の銀/赤。小スケールキットではあまり銀色は使いたくないところなのですが、Mr.カラーの8シルバーなら粒子が細かくてギラギラせず雰囲気を損なわずに済むでしょうか。ガイアカラーの009ブライトシルバーでも可。
旗は切り抜いて左右を接着し、マストに瞬着を塗ってそこへ旗の端を当てて接着。紙シール旗の粘着が無く紙が薄くなったものと思えば良いでしょうか。旗はこの方式が一番好きかな・・・
エナメルジャーマングレーでウォッシングして完成。
甲板上の配置物が少な目でちょっと物足りないかな?でも時代が古い艦は大抵スカスカ気味だしこんなもんかな・・・
目線を下して観察。艦様は奇異な所がなくオーソドックス。
各部を観察。特徴でもある主砲は新開発の60口径三年式15.5cm砲を三連装にし砲塔に収めています。妙高型以降の重巡洋艦では20.3cm砲の配置を詰めるために2番砲塔を高い位置にしていますが最上型では搭載砲の全長が短く1・2番を並べても間隔が広がらないため3番砲塔を高い位置にしています。この配置だと俯角をつければ正面方向へ砲を9門向ける事ができますが、次型の利根型では20.3cm砲搭載前提のため再び2番を高い位置に戻しています。この15.5cm砲は性能的には好評だったため20.3cm砲へ換装するのを惜しまれたとも言われます。最上型から降ろされた15.5cm砲は改良型の3連装砲塔へ砲身のみ再利用され、軽巡洋艦大淀の主砲・大和型戦艦の副砲として搭載されました。
巨大な艦橋を持つ高雄型の次型としてはコンパクトな艦橋。これは元々船体は重巡クラスなれど艦種はあくまで軽巡であったからでしょうか。
煙突は最上・三隈とは機関が違う(大型缶10+小型缶2→大型缶10のみ)ため鈴谷・熊野では煙突が細くなっていますが、イマイチ見分けにくいので艦橋の前の吸気ダクトの有無の方が見分けやすいでしょう(最上・三隈には艦橋の前に吹雪型駆逐艦の吸気口のようなダクトがあります。)
後部マストの後ろの甲板にはフライングデッキがあり、その両舷にカタパルトが設置されています。その甲板の下には3連装魚雷発射管が4基内蔵されています。
艦尾には4・5番砲塔が高低に置かれている他はサッパリしています。
ミッドウェー海戦で三隈と衝突するなどして大破した最上は帰還後修理するついでにこの艦尾部分をフライングデッキと同じ高さにかさ上げして砲を撤去し艦後半を全てフライングデッキにする改装が施されました。大破した熊野が本土へ帰還出来ていた場合同様の改装が施されたかも?と妄想を巡らせるところですが、1944年末だし、無いだろうなあ・・・
フライングデッキ上には搭載数一杯な3機の水上機を置いています。キットでは水上機を載せる台車がパーツで用意されており、カタパルト上へ載せる際の滑走車も用意されているのでフライングデッキ上にただ置くだけとか、カタパルト上に直接接着だの無粋な配置にせずに済みます。ただし台車に載せる場合はフライングデッキ上のレールに沿わせるのが筋でしょうが、これが意外と上手く置けなかったりします・・・九四水偵は大きいのでレール上にどう置いても翼がどこかに干渉しがち。
煙突の左右舷には見慣れない砲塔がありますが、これはおなじみの40口径八九式12.7cm連装高角砲に防盾を装備したもの。重巡キットのこの位置の12.7cm連装高角砲は防盾無しだったり有りだったり付け根の白い幌がなかったりとマチマチです。
機銃は時代が古いためまだ竣工時の数のままで、艦橋前に13mm連装機銃2基、煙突の後ろ左右に九六式25mm連装機銃が4基という状態。最終的には更に25mm3連装機銃8基、単装18基(推定)が増備されます。
艦橋以前を後方から。前後マストには最終的に21号・22号・13号の電探が装備されますが、この段階ではまだどれも搭載されていません。
前型である高雄と。奥側が高雄、手前が熊野。艦後半の甲板の雰囲気は似ています。
前半はあまり似ていません。
艦中央部。高角砲の位置はフライングデッキの雰囲気は似ていますが、煙突の本数やその直後の構造物などはかなり違います。魚雷発射管の位置も高雄型よりも後方にあります。
甲板上にあまり物が載っていないスカスカな艦尾は似ています。
更に、次型である利根も。手前が利根。全然違います。
艦前半。艦首の形状が高雄型と比べ鋭角になっている点は利根型も共通していますが、その後ろは砲の配置から全く違います。小型化されたままの艦橋は多少似ているかな?
艦中央部。艦橋から煙突、機銃台までは雰囲気が似ているかも。
艦後半。さすがに利根の艦尾と似ている艦型は無いでしょう。ただし最上(改装後)だけは飛行機が載ってるって点では似てきます。
更に更に前型2つ。奥から衣笠(青葉型)、足柄(妙高型)、高雄、熊野、利根。
こう並べるともう似てるとか似てないとか・・・
でも利根以外はみんなスカスカな艦尾。
@@@
タミヤの比較的新しいキットだけのことはあり組みやすくハイディテールですが、苦労が無さすぎて物足りないと感じる向きも多いかもしれません。ただしタミヤは古いものでもそうなので、むしろ新しい割にはあまり進化していない感じがしてしまいます。近年の他社の追随は激しいですが、作りやすさの点ではまだタミヤがトップだと感じます。
また上写真のように各型をコレクション的に集めるにはこれくらい楽な方が良いですが、恐ろしいのはそのバリエーション展開。各型どころか同型各艦も全て集めてしまいそうになる誘惑。これは恐ろしい事ですよ・・・
ピットロード1/700スカイウェーブシリーズの駆逐艦響1945です。
響は吹雪型(特型)22番艦、又は暁型(特Ⅲ型)の2番艦。ワシントン条約で大型艦の建造を止められた帝国海軍が条約の制約を受けない小型艦艇の拡充を図るべく、まずは睦月型駆逐艦の建造を開始しますが更なる性能向上を目指し、当時先進的な艦であった軽巡洋艦・夕張の手法を盛り込んで建造されたのが吹雪型駆逐艦でした。
吹雪型はまず10隻が建造され(特Ⅰ)、10番艦の浦波で改良が施され(改Ⅰ)、次の綾波から本格的に改良型として10隻が建造(綾波型・特Ⅱ)、更に最終型として暁から4隻の改良型(暁型・特Ⅲ型)が建造されました。しかしロンドン海軍軍縮会議によって吹雪型が属する排水量1500t以上の駆逐艦は合計排水量の16%とされ、事実上建造を止められてしまう事になります。これは列強が吹雪型駆逐艦の性能と数に危機感を持っていた表れでしょう。帝国海軍はこの後排水量を表面上1500t未満(実際は1500tを超えていたようです)に抑えた初春型の建造を行う事となります。
響は1933年に竣工し、同じ暁型の4艦と共に第6駆逐隊に属し太平洋戦争においても各地を転戦しました。しかしその経緯は損傷の修理により大きな作戦の不参加というもので、まず1942年キスカ島攻略直後に爆撃と波浪により艦首が折れ曲がる損傷を受け、修理のためガダルカナル島の戦いには不参加。次は1944年に輸送船団の護衛として台湾の高雄を出撃直後に触雷、また艦首が折れ曲がり修理のためレイテ沖海戦には不参加。3度目は1945年、戦艦大和等と共に沖縄特攻に向かう途中に触雷して船体がガタガタになり呉へ帰投。その後は新潟の岸壁沿いで防空砲台として過ごし終戦を迎えます。吹雪型駆逐艦で終戦まで生き残った艦は響の他は綾波型の潮だけでした。
戦後は復員船として従事し、その任を終えると1947年に賠償艦としてソビエト連邦へ引き渡され「ヴェールヌイ」と名を変えてソ連海軍太平洋艦隊に属しました。これは短期間であり、1948年には練習艦「デカブリスト」となり1953年に退役、1970年代に標的艦としてウラジオストク沖に沈みました。
箱は前回の朝潮と同じサイズ。
箱裏のカラー塗装指示。単装機銃の配置図にもなっています。
フルハル・ウォーターライン選択のキットなので水面下の船体のパーツが含まれ、その分ややボリュームが多めになっています。
説明書は2枚あり1枚目は両面印刷で最終仕様、2枚目は片側のみ印刷で竣工時の装備に組む説明。読む要素の中にヴェールヌイではなく「プリツキー」となっていますが、この名で認識されていた時期があったようです。ただしググってもいつ?どういう経緯でヴェールヌイに?なのかがよくわかりません・・・
2枚目。キットには特Ⅰ型のパーツも入っています。
パーツ全図。ランナー4枚とデカール。バラストは付属しません。Bのランナー(砲塔や機銃などの武装パーツが主)は朝潮や不知火にも入っていたものと同じかも。
モールドはいつものピットロードのクオリティですが船体は左右分割されており船体側面のモールドは深く入っています。といっても舷窓の穴が深くなっただけのようにも感じます・・・
デカールは暁のものも付属。といっても太平洋戦争中は側面の名前や戦隊番号は消されていたので、何も貼らず「これは暁だ!」って言えば暁になります。(暁は1942年11月没なので装備はやや異なります)
まずは船体から。船体は左右分割されていますが、艦底は側面と一体で真ん中で分割されており、洋上モデルに組むと底面が見苦しいかもしれません。甲板は船首の1段高くなっている部分と、それ以外で分割されています。1段高い方との間は筆が入りづらいので裏側や奥まる部分は先に軽く塗っておく方が良いかもしれません。
若干のバリや意味不明だダボが生えてて合わせはあまりよくありませんが、軽くヤスれば十分。
フルハル仕様にするなら更に艦底パーツを貼り合わせます。スクリュー周りは先に組んでしまいましたが、やや筆が入りづらい部分があるのでスクリューの足と舵だけを取り付けて艦底色で塗り、その後で塗装したスクリューを取り付けてレタッチした方がスマートかも。
リノリウム色として43ウッドブラウンを塗装。
軍艦色2と艦底色も塗りました。
艤装を取り付けてゆきます。左右合わせのパーツは合わせ目に不要なダボが片側に短く生えている傾向にあるので貼り合わせる前に一旦ヤスってやる必要があります。他、後部煙突右のトラス状のパーツがうまく取りつかなかったり、2番魚雷発射管の後ろに立つ機銃台の中央の足がその下に取りつくパーツと辻褄が合わなかったりするので仮組みをしながら必要に応じて切り詰めたり、合わせを調整しながら作業します。やや面倒。
説明書通り最終仕様として取り付けるパーツは取り付けました。
箱裏を見ながら単装機銃を置いてゆきます。キットに付属する14挺全て使用します。予備は無いので注意。
残りの塗装とレタッチをし、デカールを貼り、エナメルジャーマングレーで大雑把にウォッシングして完成。艦首の国旗は瞬着で強化したらパリッと割れちゃいました・・・
タミヤの吹雪と比べると甲板上にはよく盛り付けられていて密度感が高いです。
目線を下して観察。フルハルモデルは何かこう宇宙戦艦みたいな印象があります。まだ2つしか作ってないせいか見慣れていない感じ。
各部を観察。主砲は50口径三年式12.7cm連装砲。特Ⅰ型に搭載されていた形状が異なるA砲塔を特Ⅱ型から高角対応(40度→75度)としたB砲塔に替えて搭載していました。しかしこのB砲塔は重量が重く、また装填時に平射位置へ戻す必要があり連射速度が遅くあまり実用的ではありませんでした。友鶴事件の後の性能改善改修によりC砲塔に近い形状の砲塔に交換されました。キットでは朝潮型や陽炎型のC砲塔と同じパーツです。
艦中部。艦橋はこれよりも段が多い形状でしたが友鶴事件の後に軽量化のためやや小型化されました。戦中後期にマストの途中に台が取り付けられ、その上に22号電探が置かれています。特Ⅲ型からは機関を大出力にした代わりに数を減らしたため1番煙突が細くなりました。魚雷発射管は十二年式61cm三連装魚雷発射管で、特Ⅱ型から後付され始めた砲室が特Ⅲ型から標準装備となっています。
艦後半。後部マストにはこれも戦中後期に追加された13号電探が装備されています。その直後には2番砲塔がありましたがキットではタンデム配置で2基の九六式25mm3連装機銃が代わりに置かれています。
甲板上にモールドで表現されているためやや目立ちませんが3番砲塔の後方に三式爆雷投射機(K砲)と装填台があります。
再び艦中部。2・3番魚雷発射管の間に建てられている機銃台の上には2基の九六式25mm3連装機銃が置かれています。対空兵装はこのように山盛りになっていますが竣工時は13mm単装機銃がたった2挺しか装備されていませんでした。
艦前半右舷側。艦橋の前には機銃台が増設され、その上に九六式25mm連装機銃が置かれています。
タミヤの吹雪(特Ⅰ型)と。手前が吹雪。同じ特型でもかなり違って見えます。
艦中部のアップ。煙突の左右にある吸気口が特Ⅰ型では換気扇のダクトのような形状ですが、特Ⅱ型からは煙突付け根にサルノコシカケというか、キノコの傘のような形状に変わっています。前述のように特Ⅲ型では1番煙突が細くなっているので、ここが見分けるポイントでしょう。他、吹雪では魚雷発射管の砲室がまだ無く、剥き出しになっています。ここは太平洋戦争開戦時には特型だけで無く睦月型などにも砲室が追加されていました。
同じフルハルモデル、陽炎型駆逐艦の不知火と。この不知火はディテールアップパーツが付属する豪華版だったので砲塔などは違うパーツを使用しています。
駆逐艦一同勢揃い。夕雲型と島風がまだありませんが・・・
@@@
ちょっと油断があったのか、今回は作業時間はスピーディだったもののやや手こずったかもしれません。初心者がいきなり組むには厳しいですが、2~3個組んで要領を得たなら十分何とかなるでしょう。恐れる事はありません。
昔に較べ高くなったとはいえクオリティの平均は確実に大幅アップしています。やはり駆逐艦はコレクションしてナンボではないでしょうか?
響は吹雪型(特型)22番艦、又は暁型(特Ⅲ型)の2番艦。ワシントン条約で大型艦の建造を止められた帝国海軍が条約の制約を受けない小型艦艇の拡充を図るべく、まずは睦月型駆逐艦の建造を開始しますが更なる性能向上を目指し、当時先進的な艦であった軽巡洋艦・夕張の手法を盛り込んで建造されたのが吹雪型駆逐艦でした。
吹雪型はまず10隻が建造され(特Ⅰ)、10番艦の浦波で改良が施され(改Ⅰ)、次の綾波から本格的に改良型として10隻が建造(綾波型・特Ⅱ)、更に最終型として暁から4隻の改良型(暁型・特Ⅲ型)が建造されました。しかしロンドン海軍軍縮会議によって吹雪型が属する排水量1500t以上の駆逐艦は合計排水量の16%とされ、事実上建造を止められてしまう事になります。これは列強が吹雪型駆逐艦の性能と数に危機感を持っていた表れでしょう。帝国海軍はこの後排水量を表面上1500t未満(実際は1500tを超えていたようです)に抑えた初春型の建造を行う事となります。
響は1933年に竣工し、同じ暁型の4艦と共に第6駆逐隊に属し太平洋戦争においても各地を転戦しました。しかしその経緯は損傷の修理により大きな作戦の不参加というもので、まず1942年キスカ島攻略直後に爆撃と波浪により艦首が折れ曲がる損傷を受け、修理のためガダルカナル島の戦いには不参加。次は1944年に輸送船団の護衛として台湾の高雄を出撃直後に触雷、また艦首が折れ曲がり修理のためレイテ沖海戦には不参加。3度目は1945年、戦艦大和等と共に沖縄特攻に向かう途中に触雷して船体がガタガタになり呉へ帰投。その後は新潟の岸壁沿いで防空砲台として過ごし終戦を迎えます。吹雪型駆逐艦で終戦まで生き残った艦は響の他は綾波型の潮だけでした。
戦後は復員船として従事し、その任を終えると1947年に賠償艦としてソビエト連邦へ引き渡され「ヴェールヌイ」と名を変えてソ連海軍太平洋艦隊に属しました。これは短期間であり、1948年には練習艦「デカブリスト」となり1953年に退役、1970年代に標的艦としてウラジオストク沖に沈みました。
箱は前回の朝潮と同じサイズ。
箱裏のカラー塗装指示。単装機銃の配置図にもなっています。
フルハル・ウォーターライン選択のキットなので水面下の船体のパーツが含まれ、その分ややボリュームが多めになっています。
説明書は2枚あり1枚目は両面印刷で最終仕様、2枚目は片側のみ印刷で竣工時の装備に組む説明。読む要素の中にヴェールヌイではなく「プリツキー」となっていますが、この名で認識されていた時期があったようです。ただしググってもいつ?どういう経緯でヴェールヌイに?なのかがよくわかりません・・・
2枚目。キットには特Ⅰ型のパーツも入っています。
パーツ全図。ランナー4枚とデカール。バラストは付属しません。Bのランナー(砲塔や機銃などの武装パーツが主)は朝潮や不知火にも入っていたものと同じかも。
モールドはいつものピットロードのクオリティですが船体は左右分割されており船体側面のモールドは深く入っています。といっても舷窓の穴が深くなっただけのようにも感じます・・・
デカールは暁のものも付属。といっても太平洋戦争中は側面の名前や戦隊番号は消されていたので、何も貼らず「これは暁だ!」って言えば暁になります。(暁は1942年11月没なので装備はやや異なります)
まずは船体から。船体は左右分割されていますが、艦底は側面と一体で真ん中で分割されており、洋上モデルに組むと底面が見苦しいかもしれません。甲板は船首の1段高くなっている部分と、それ以外で分割されています。1段高い方との間は筆が入りづらいので裏側や奥まる部分は先に軽く塗っておく方が良いかもしれません。
若干のバリや意味不明だダボが生えてて合わせはあまりよくありませんが、軽くヤスれば十分。
フルハル仕様にするなら更に艦底パーツを貼り合わせます。スクリュー周りは先に組んでしまいましたが、やや筆が入りづらい部分があるのでスクリューの足と舵だけを取り付けて艦底色で塗り、その後で塗装したスクリューを取り付けてレタッチした方がスマートかも。
リノリウム色として43ウッドブラウンを塗装。
軍艦色2と艦底色も塗りました。
艤装を取り付けてゆきます。左右合わせのパーツは合わせ目に不要なダボが片側に短く生えている傾向にあるので貼り合わせる前に一旦ヤスってやる必要があります。他、後部煙突右のトラス状のパーツがうまく取りつかなかったり、2番魚雷発射管の後ろに立つ機銃台の中央の足がその下に取りつくパーツと辻褄が合わなかったりするので仮組みをしながら必要に応じて切り詰めたり、合わせを調整しながら作業します。やや面倒。
説明書通り最終仕様として取り付けるパーツは取り付けました。
箱裏を見ながら単装機銃を置いてゆきます。キットに付属する14挺全て使用します。予備は無いので注意。
残りの塗装とレタッチをし、デカールを貼り、エナメルジャーマングレーで大雑把にウォッシングして完成。艦首の国旗は瞬着で強化したらパリッと割れちゃいました・・・
タミヤの吹雪と比べると甲板上にはよく盛り付けられていて密度感が高いです。
目線を下して観察。フルハルモデルは何かこう宇宙戦艦みたいな印象があります。まだ2つしか作ってないせいか見慣れていない感じ。
各部を観察。主砲は50口径三年式12.7cm連装砲。特Ⅰ型に搭載されていた形状が異なるA砲塔を特Ⅱ型から高角対応(40度→75度)としたB砲塔に替えて搭載していました。しかしこのB砲塔は重量が重く、また装填時に平射位置へ戻す必要があり連射速度が遅くあまり実用的ではありませんでした。友鶴事件の後の性能改善改修によりC砲塔に近い形状の砲塔に交換されました。キットでは朝潮型や陽炎型のC砲塔と同じパーツです。
艦中部。艦橋はこれよりも段が多い形状でしたが友鶴事件の後に軽量化のためやや小型化されました。戦中後期にマストの途中に台が取り付けられ、その上に22号電探が置かれています。特Ⅲ型からは機関を大出力にした代わりに数を減らしたため1番煙突が細くなりました。魚雷発射管は十二年式61cm三連装魚雷発射管で、特Ⅱ型から後付され始めた砲室が特Ⅲ型から標準装備となっています。
艦後半。後部マストにはこれも戦中後期に追加された13号電探が装備されています。その直後には2番砲塔がありましたがキットではタンデム配置で2基の九六式25mm3連装機銃が代わりに置かれています。
甲板上にモールドで表現されているためやや目立ちませんが3番砲塔の後方に三式爆雷投射機(K砲)と装填台があります。
再び艦中部。2・3番魚雷発射管の間に建てられている機銃台の上には2基の九六式25mm3連装機銃が置かれています。対空兵装はこのように山盛りになっていますが竣工時は13mm単装機銃がたった2挺しか装備されていませんでした。
艦前半右舷側。艦橋の前には機銃台が増設され、その上に九六式25mm連装機銃が置かれています。
タミヤの吹雪(特Ⅰ型)と。手前が吹雪。同じ特型でもかなり違って見えます。
艦中部のアップ。煙突の左右にある吸気口が特Ⅰ型では換気扇のダクトのような形状ですが、特Ⅱ型からは煙突付け根にサルノコシカケというか、キノコの傘のような形状に変わっています。前述のように特Ⅲ型では1番煙突が細くなっているので、ここが見分けるポイントでしょう。他、吹雪では魚雷発射管の砲室がまだ無く、剥き出しになっています。ここは太平洋戦争開戦時には特型だけで無く睦月型などにも砲室が追加されていました。
同じフルハルモデル、陽炎型駆逐艦の不知火と。この不知火はディテールアップパーツが付属する豪華版だったので砲塔などは違うパーツを使用しています。
駆逐艦一同勢揃い。夕雲型と島風がまだありませんが・・・
@@@
ちょっと油断があったのか、今回は作業時間はスピーディだったもののやや手こずったかもしれません。初心者がいきなり組むには厳しいですが、2~3個組んで要領を得たなら十分何とかなるでしょう。恐れる事はありません。
昔に較べ高くなったとはいえクオリティの平均は確実に大幅アップしています。やはり駆逐艦はコレクションしてナンボではないでしょうか?
ピットロード1/700スカイウェーブシリーズの駆逐艦朝潮です。
朝潮は朝潮型駆逐艦の1番艦。軍縮条約によって十分なサイズを持っていた吹雪型の建造を止められてしまい仕方なく小型化した船体に重武装を施した初春型を建造しましたが重心の高さからくる転覆の危険性からやや武装を減らした改良型の白露型に至り、十分な武装を持つ駆逐艦を得るにはもっと大きな船体が必要という事で条約破棄を契機に船体を再び大型化、十分な武装を盛り込んで建造されたのが朝潮型です。しかし1番艦朝潮が建造に入った直後に第四艦隊事件(台風の中無理やり演習したら参加艦艇の艦橋が潰れたり艦首がもげたりして船体強度が足りてないのが露呈した事件)が発生し設計を変更、船体の強化などを行い重量や抵抗が増したため計画より速力と航続力が低下(ただし実際の性能は計画をむしろ上回っていたとされています)。やや不満の残る出来となったためこの点を改良した次型の陽炎型へと続きます。
朝潮型駆逐艦は太平洋戦争においては主力駆逐艦として改良型である陽炎型・夕雲型と共に前線へ赴き、朝潮もまた第8駆逐隊に属し姉妹艦の大潮・荒潮・満潮などと共に各地を転戦、最後はビスマルク海海戦において給炭艦野島の艦長と交わしていた「どちらかの艦の危機には必ず救助に向かう」約束を果たすため撤退命令を振り切って爆撃と荒潮との衝突により大破していた野島の救助に向かい、野島と荒潮の救助を行うものの、海域には動目標が朝潮のみであったため敵機の集中爆撃を受け沈没してしまいます。
箱はピットロードの駆逐艦キットのおなじみサイズ。ちょっと大きめ。
箱下面はカラーの塗装指示。艦首左右の番号は意味を理解していなかったのですが、戦隊番号だったのですね。そういや以前組んだ不知火は霰と同じ18(第18駆逐隊)だったわ・・・
内容は睦月型とかに較べたら箱の大きさなりにボリュームがあります。
説明書。説明書を見る限りでは難しいところはありません。説明書中にもありますが艦橋左から出ている細長い煙突をカッターの取り付け前に付ける点が見落とすとちょっと困るって点だけでしょう。
箱裏の塗装指示だとマストはただの線なのでマストをどう塗るかちょっと迷います。グレー一色でいいみたいですけども。
パーツ全図。ランナー2枚とデカール1枚。バラストは付属しません。デカールは大潮・荒潮・夏雲・峯雲・霰(あられ)の分も付属し、それらに組む事もできます。とはいっても違いはデカールだけです。
ディテールはピットロードらしいカッチリした緻密なもの。ただし船体側面は抜きの方向の問題でディテールが薄く、無いよりはマシという程度に留まります。
それでは製作開始。船体と艦底、甲板前端をとっとと接着してしまいます。合わせ面にややバリがあるので削っておき、流し込みタイプの接着剤を合わせ目に流して押さえながら貼り合わせます。さすがにタミヤほどピッタリキッチリしていませんが、十分十分。
まずリノリウム色として43ウッドブラウンを。成型色が白く透けやすいので気持ちしっかり目に塗ります。
32軍艦色2をそれ以外全部に。船体以外のランナー2枚ともスプレー塗装すると楽でしょうが、そもそもランナーにパーツが付いてる状態では塗らないって?俺は塗るの!
艦底色は前回の球磨同様にちゃんとマスキング。マスキングテープは生乾きの内に剥がした方がキレイになります。完全乾燥後だと塗装の境界がザクザクになりやすいのです。
パーツを取り付けてゆきます。特に難しいところはありませんし、単装機銃山盛りというのでも無いので細かさも程々。ただし小さなパーツの接着位置には印はあれど穴までは無いので完成後はあまりパーツの取り付けが強く無い事を留意しておきましょう。
デカールは濡らすとすぐ浮いてくれて作業性も良好。馴染みも良いですがあまり頑丈ではないので無理は禁物。旗もデカールですが紙シールと同じ要領だと千切れるので瞬着を全体に薄く塗って強化していますが、やはり脆いのでなるべく触らないように。
エナメルジャーマングレーでウォッシングをして完成。面倒臭がってウォッシングを平筆でやったのでちょっと濃いめになり名前がロービジっぽく見づらくなってしまいました。
ピットロードにしてはややあっさりして見えるかもしれません。キットには機銃や高角砲など大量に付属しますが使うのは一部で、良好なディテールの小パーツがかなり余ります。
目線を下して観察。ピットロードのキットは乾舷が低めで側面のディテールが薄いのでこの角度はあまり見栄えがしません。
各部を観察。主砲塔はおなじみ50口径三年式12.7cm連装砲(C砲塔)。高角対応だった初春型のB砲塔の仰角を75度から55度に戻し軽量化したもので、白露型から陽炎型に搭載されています。
艦中部。朝潮は竣工後数年で機関のタービン翼に共振による破損が見つかり、もしかして海軍の全部の艦に同じ症状があるんじゃね?と疑った事件(臨機調事件)がありました。結局は朝潮のみの不具合であったようです。
艦後半。2番砲塔は白露型では単装砲塔にして低い位置に置き重心を低くしていましたが朝潮型では晴れて連装砲塔を1段高い位置に置けるようになりました。
右舷から。艦尾の左右にある魚みたいなのはパラベーンと呼ばれるもので、これをワイヤーで曳航して機雷を破壊するためのもの。その前方、連装砲の後方には九四式爆雷投射機(Y砲)が見え、隣接した箱が爆雷装填台。
艦中部右舷側。2番煙突の前後に九二式四連装魚雷発射管が置かれ、煙突の左右と後部マストの下に次発装填装置があります。煙突左右の次発装填装置の上には九六式25mm連装機銃が2基あります。機銃の増備についてはあまりはっきりしておらず、戦中において連装が3連装に、2番砲塔を撤去して3連装、艦橋前に連装、その他単装をいくつか設置していたようです。
艦橋周辺を後方から。朝潮型では艦内の電源を当時の艦艇ではそれまで直流だったものから交流に変更しています。これにより港に停泊時など艦の外部から直接電源を引き込めるようになり、この変更は好評であったようです。何で直流だったの?と言われれば、直流/交流のメリットデメリットがあり一概にどうとも言えません。
朝潮型の前後の艦型と。手前から白露・朝潮・不知火(陽炎型)。艤装の配置など、白露型から継承されているもの、陽炎型へ継承しているもの、共通しているものなどが確認できます。
手前が朝潮、奥が不知火。艦橋やマストの形状はほぼ同じです。
2番煙突の左右にあった次発装填装置が1番煙突の左右に移動し、代わりにボートダビットが2番煙突の左右に来ています。
後部魚雷発射管から後ろは全く同じに見えます。スペック的には朝潮型から陽炎型では機関の強化により速力が若干、航続距離がかなり増強されています。
駆逐艦各型。手前から長月(睦月型)、吹雪(吹雪型(特Ⅰ))、子の日(初春型)、白露(白露型)、朝潮(朝潮型)、不知火(陽炎型)。この他に秋月型と松型を持っているのであとは夕雲型と島風か。吹雪型も大きく3種あるのでそこも・・・
@@@
ピットロードにしてはあまり苦労しない、初心者でも何とかなるキットです。
大昔にハセガワの朝潮型である峯雲を作った事があるのですが、あちらも艦橋後方の形状などやや気になる点はあるもののダメってほどではないキットです。その峯雲の後に作った駆逐艦のキットが何かひっでぇキットだった記憶があるのですが、名前までは覚えていません・・・
朝潮は朝潮型駆逐艦の1番艦。軍縮条約によって十分なサイズを持っていた吹雪型の建造を止められてしまい仕方なく小型化した船体に重武装を施した初春型を建造しましたが重心の高さからくる転覆の危険性からやや武装を減らした改良型の白露型に至り、十分な武装を持つ駆逐艦を得るにはもっと大きな船体が必要という事で条約破棄を契機に船体を再び大型化、十分な武装を盛り込んで建造されたのが朝潮型です。しかし1番艦朝潮が建造に入った直後に第四艦隊事件(台風の中無理やり演習したら参加艦艇の艦橋が潰れたり艦首がもげたりして船体強度が足りてないのが露呈した事件)が発生し設計を変更、船体の強化などを行い重量や抵抗が増したため計画より速力と航続力が低下(ただし実際の性能は計画をむしろ上回っていたとされています)。やや不満の残る出来となったためこの点を改良した次型の陽炎型へと続きます。
朝潮型駆逐艦は太平洋戦争においては主力駆逐艦として改良型である陽炎型・夕雲型と共に前線へ赴き、朝潮もまた第8駆逐隊に属し姉妹艦の大潮・荒潮・満潮などと共に各地を転戦、最後はビスマルク海海戦において給炭艦野島の艦長と交わしていた「どちらかの艦の危機には必ず救助に向かう」約束を果たすため撤退命令を振り切って爆撃と荒潮との衝突により大破していた野島の救助に向かい、野島と荒潮の救助を行うものの、海域には動目標が朝潮のみであったため敵機の集中爆撃を受け沈没してしまいます。
箱はピットロードの駆逐艦キットのおなじみサイズ。ちょっと大きめ。
箱下面はカラーの塗装指示。艦首左右の番号は意味を理解していなかったのですが、戦隊番号だったのですね。そういや以前組んだ不知火は霰と同じ18(第18駆逐隊)だったわ・・・
内容は睦月型とかに較べたら箱の大きさなりにボリュームがあります。
説明書。説明書を見る限りでは難しいところはありません。説明書中にもありますが艦橋左から出ている細長い煙突をカッターの取り付け前に付ける点が見落とすとちょっと困るって点だけでしょう。
箱裏の塗装指示だとマストはただの線なのでマストをどう塗るかちょっと迷います。グレー一色でいいみたいですけども。
パーツ全図。ランナー2枚とデカール1枚。バラストは付属しません。デカールは大潮・荒潮・夏雲・峯雲・霰(あられ)の分も付属し、それらに組む事もできます。とはいっても違いはデカールだけです。
ディテールはピットロードらしいカッチリした緻密なもの。ただし船体側面は抜きの方向の問題でディテールが薄く、無いよりはマシという程度に留まります。
それでは製作開始。船体と艦底、甲板前端をとっとと接着してしまいます。合わせ面にややバリがあるので削っておき、流し込みタイプの接着剤を合わせ目に流して押さえながら貼り合わせます。さすがにタミヤほどピッタリキッチリしていませんが、十分十分。
まずリノリウム色として43ウッドブラウンを。成型色が白く透けやすいので気持ちしっかり目に塗ります。
32軍艦色2をそれ以外全部に。船体以外のランナー2枚ともスプレー塗装すると楽でしょうが、そもそもランナーにパーツが付いてる状態では塗らないって?俺は塗るの!
艦底色は前回の球磨同様にちゃんとマスキング。マスキングテープは生乾きの内に剥がした方がキレイになります。完全乾燥後だと塗装の境界がザクザクになりやすいのです。
パーツを取り付けてゆきます。特に難しいところはありませんし、単装機銃山盛りというのでも無いので細かさも程々。ただし小さなパーツの接着位置には印はあれど穴までは無いので完成後はあまりパーツの取り付けが強く無い事を留意しておきましょう。
デカールは濡らすとすぐ浮いてくれて作業性も良好。馴染みも良いですがあまり頑丈ではないので無理は禁物。旗もデカールですが紙シールと同じ要領だと千切れるので瞬着を全体に薄く塗って強化していますが、やはり脆いのでなるべく触らないように。
エナメルジャーマングレーでウォッシングをして完成。面倒臭がってウォッシングを平筆でやったのでちょっと濃いめになり名前がロービジっぽく見づらくなってしまいました。
ピットロードにしてはややあっさりして見えるかもしれません。キットには機銃や高角砲など大量に付属しますが使うのは一部で、良好なディテールの小パーツがかなり余ります。
目線を下して観察。ピットロードのキットは乾舷が低めで側面のディテールが薄いのでこの角度はあまり見栄えがしません。
各部を観察。主砲塔はおなじみ50口径三年式12.7cm連装砲(C砲塔)。高角対応だった初春型のB砲塔の仰角を75度から55度に戻し軽量化したもので、白露型から陽炎型に搭載されています。
艦中部。朝潮は竣工後数年で機関のタービン翼に共振による破損が見つかり、もしかして海軍の全部の艦に同じ症状があるんじゃね?と疑った事件(臨機調事件)がありました。結局は朝潮のみの不具合であったようです。
艦後半。2番砲塔は白露型では単装砲塔にして低い位置に置き重心を低くしていましたが朝潮型では晴れて連装砲塔を1段高い位置に置けるようになりました。
右舷から。艦尾の左右にある魚みたいなのはパラベーンと呼ばれるもので、これをワイヤーで曳航して機雷を破壊するためのもの。その前方、連装砲の後方には九四式爆雷投射機(Y砲)が見え、隣接した箱が爆雷装填台。
艦中部右舷側。2番煙突の前後に九二式四連装魚雷発射管が置かれ、煙突の左右と後部マストの下に次発装填装置があります。煙突左右の次発装填装置の上には九六式25mm連装機銃が2基あります。機銃の増備についてはあまりはっきりしておらず、戦中において連装が3連装に、2番砲塔を撤去して3連装、艦橋前に連装、その他単装をいくつか設置していたようです。
艦橋周辺を後方から。朝潮型では艦内の電源を当時の艦艇ではそれまで直流だったものから交流に変更しています。これにより港に停泊時など艦の外部から直接電源を引き込めるようになり、この変更は好評であったようです。何で直流だったの?と言われれば、直流/交流のメリットデメリットがあり一概にどうとも言えません。
朝潮型の前後の艦型と。手前から白露・朝潮・不知火(陽炎型)。艤装の配置など、白露型から継承されているもの、陽炎型へ継承しているもの、共通しているものなどが確認できます。
手前が朝潮、奥が不知火。艦橋やマストの形状はほぼ同じです。
2番煙突の左右にあった次発装填装置が1番煙突の左右に移動し、代わりにボートダビットが2番煙突の左右に来ています。
後部魚雷発射管から後ろは全く同じに見えます。スペック的には朝潮型から陽炎型では機関の強化により速力が若干、航続距離がかなり増強されています。
駆逐艦各型。手前から長月(睦月型)、吹雪(吹雪型(特Ⅰ))、子の日(初春型)、白露(白露型)、朝潮(朝潮型)、不知火(陽炎型)。この他に秋月型と松型を持っているのであとは夕雲型と島風か。吹雪型も大きく3種あるのでそこも・・・
@@@
ピットロードにしてはあまり苦労しない、初心者でも何とかなるキットです。
大昔にハセガワの朝潮型である峯雲を作った事があるのですが、あちらも艦橋後方の形状などやや気になる点はあるもののダメってほどではないキットです。その峯雲の後に作った駆逐艦のキットが何かひっでぇキットだった記憶があるのですが、名前までは覚えていません・・・
タミヤ1/700ウォーターラインシリーズの軽巡洋艦球磨です。
球磨は球磨型軽巡洋艦の1番艦。やや小型に過ぎた天龍型を拡大して強力な機関を搭載する事で高速・重武装化に対応した正常進化型であり、後の長良型・川内型に続く基本形が出来上がった艦型です。球磨型・長良型・川内型はまとめて5500t型軽巡洋艦とも呼ばれます。
しかし竣工は1920年と古く、太平洋戦争開戦時にはすでに旧式化していましたが川内型の後は開戦直前に起工する阿賀野型まで長く建造期間が空いていたため代わりの艦は無く、近代化改装で凌いでかり出され専ら拠点攻撃の援護といった支援任務に就いていました。そしてニューギニア方面に於いて対潜演習に出たところを英潜水艦タリホーと遭遇、雷撃を受けマラッカ海峡付近にて沈没してしまいます。
球磨はウォーターラインシリーズのナンバリングはNo.316(旧No.80)とかなり古くから居る古参で以前作ったフジミの名取と同じくらい古いキットですが、そこは安心のタミヤ様。
パーツ数はそれほど多くなくシンプル。
説明書。塗装指示はリノリウム色がレッドブラウンで指示されていますがどこをどう塗るかまではよく分かりません。組み立て説明は必要十分で特に分かりにくいところもありません。
主要パーツ群。主に船体2パーツとランナー2枚で構成されています。
艦底パーツに1973の記述。昭和48年。私が生まれる前です。
古くてもさすがにタミヤだけあってモールドは最近のものと比べても見劣りしません。ただわずかにバリがあるのだけはご愛嬌。船体側面もちゃんとモールドが入っています。同じタミヤでも夕張や駆逐艦の船体側面はなにも無かったのでこのあたりはやる気の差なのでしょうか。
静模のディテールアップパーツ(大型艦用)が付属しますが、今回は特に使わなくても良さそう。タミヤのキットではあくまで基本パーツと置き換えで使うようになっており、ここに必須パーツは含まれていません。
連装機銃だけはちょっと貧相だったので前回の高雄で余っていたものを使う事にしました。
それでは製作開始。5500t型軽巡は魚雷発射管が艦内にあるのでまずここだけ作ってしまいます。さすがはタミヤ様というか、魚雷発射管の部屋の奥に仕切りがあり、向う側が見えないようにされていました。なのでこの仕切りの内側だけ塗装すれば十分。部屋内床面になるバラスト上面も見える範囲だけ塗装。バラストは艦底パーツの上に置くだけで船体パーツ側からも押さえられますが、クリアランスがありカタカタするので前後だけでもテープで留めておくと良いかもしれません。
魚雷周りを作ったら船体と艦底パーツを接着。パーツの合いはピッタリすぎて流し込みタイプの接着剤が滲みていかないレベル。
リノリウム色として43ウッドブラウンから塗装。船体中央やや前の一段下がっているウェルデッキや、別パーツになっているセルター甲板の上面にはリノリウム押さえのモールドが無いためちょっと迷いましたが、那珂・名取・天龍とここは全部塗ってきたのでやはり塗るところであろうと。(こういうところは各自「好み」で塗って頂きたい)
艦底色は毎回よれよれにしてしまうので今回はちゃんとマスキングしてみました。
うん、最初からやってれば良かったわ・・・
パーツを取り付けてゆきます。苦労するところは特にありません。ただ、若干パーツが細かく感じた気はします。
水上機は九五式水上偵察機が1機付属するので上面を濃緑色、下面をガルグレー、マークを赤で塗装。ディテールアップパーツにも九五式水偵がありますが基本パーツのものも若干ディテールが劣る程度で十分といえば十分といえるもの。
旗は紙シール。説明書通りに旗竿に巻くと数日で開いてしまうので、裏表貼り合わせて端を切ったものを旗竿に瞬着でくっつけています。これが一番きれいにできるように思います。
エナメルジャーマングレーとフラットブラックとフラットブラウンでウォッシングして完成。
コレクション派としてはこれくらいすんなりいってくれると助かります・・・
目線を下して観察。以前作った長良型と川内型はエッチングパーツ付きだったのでそれと比べるとあっさりして見えるものの、こちらはその分甲板上のディテール密度があるので貧相には見えません。
各部を観察。主砲は50口径三年式14cm速射砲を後方が開いた単装砲塔に収めて7基装備しています。艦橋は竣工時はオープントップの上に幌屋根を取り付けたものでしたが改装時に密閉化されています。
ウェルデッキ周辺。マストは三脚型で艦橋との間を構造物で埋められている上にマスト上にも部屋があるため一見すると伊勢型以前の戦艦のようなマストと一体化した艦橋のようにも見えます。その後方には一段下がったウェルデッキがあり、そこには六年式53cm連装魚雷発射管が2基置かれています。53cm?と思った人もいるかもしれません。次型の長良型から八年式61cm連装魚雷発射管に置き換わります。ウェルデッキの後方、一段高くなってすぐの所には開戦後に据え付けられた九六式25mm連装機銃があります。ここには竣工時には40口径三年式8cm単装高角砲が置かれていましたが、他の5500t型同様に8cm高角砲→13mm連装機銃→25mmと変遷しています。
煙突。球磨の煙突は3本全てにソロバンの珠のような形の雨水除去装置が装備され煙突上方がふくらんだ形をしています。球磨型の他の艦では木曽が1・2番煙突だけが膨らんでおり、それ以外の多摩・北上・大井は真っ直ぐな形でここが識別点になっています。
セルター甲板付近。セルター甲板直前の艦側面には魚雷発射管の出口があり、この中に前方ウェルデッキのものと同じ53cm連装魚雷発射管が設置されています。セルター甲板上には5~7番砲塔と呉式二号カタパルト、マストなどが設置されています。このキットは開戦時頃の状態ですが、最終状態では5番砲塔が撤去され25mm3連装機銃2基が増備されていました。
艦尾。セルター甲板左右から艦尾にかけて伸びているレールは機雷敷設軌条。装備表を見ると型式は不明ですが爆雷投射機なども一応装備されているようです。
右舷に。機雷敷設軌条の間にあるモールドが爆雷投射機と装填装置のモールドなのでしょうか。
カタパルトは後から設置されたもので、同じ球磨型では木曽の艦橋前から2番砲塔の上に航空機滑走台を設置していましたが陸上機の発艦のみで実用的ではなく、カタパルトが実用化されると代わって多くの5500t型に装備されました。
カタパルト上の九五式水上偵察機。複葉の小型偵察機であり、後継の零式水上観測機同様に九六式艦上戦闘機に匹敵する運動性能を持つとされています。
右舷側から煙突付近。機関は竣工当時の戦艦長門が80000馬力だったのに対し90000馬力と非常に高出力であり、最大速力36ノットの快速を誇っていました。しかし太平洋戦争の頃には近代化改装による重量増加により排水量は7000tほどに増加しており、速力は32ノットほどに落ちていたそうです。
艦前方を後方から。
手前から天龍、球磨、名取、那珂。
艦首形状はスプーンバウと呼ばれる丸みのある形状。これは一号機雷と呼ばれるワイヤーで繋げた機雷を用いた「機雷戦」を想定したもので、この丸い形状によりワイヤーを乗り越えるつもりであったとされています。しかしこのスプーンバウは凌波性が良くなく、また機雷戦も主流から外れていったため艦首の損傷修理のついでにダブルカーブドバウに変更された艦もあり(阿武隈・神通など)、5500t型最後発である上写真奥の那珂は竣工時からダブルカーブドバウとなっていました。
艦橋の差異。天龍や球磨は元々露天艦橋であり、名取も簡易な屋根が付けられていただけでした。球磨型の木曽以降は艦橋の中段に航空機格納庫を備える関係上艦橋が大型化していました。格納庫は後に用済みとなりましたが艦内容積が大きいに越したことは無いのか、艦橋サイズは大きくなったままでした。(厳密には、大きいだけ高い位置に重量物がある事になるので友鶴事件で問題になった艦の重心の高さの原因になります)
煙突の差異。天龍型~長良型は煙突の太さこそ違うものの生えている位置はほぼ同じで、魚雷発射管の位置も同様。川内型では機関を重油節約のために石炭混焼缶を長良型の2基から4基に比率を変更したため煙突本数が4本に増えており、ウェルデッキの位置も変更されています。
セルター甲板付近の差異。セルター甲板自体は天龍型ではオマケ程度だったものがどんどん広くなってゆきます。マストは他の艦型同様に新しいほど艦の中央に寄せられており、甲板上の艤装も効率的になってゆきます。
@@@
古い製品ですが最近のものと比べても遜色無く、それでいて非常に組みやすい良キットです。
人によっては5500t型軽巡は「古臭い、貧相」と思うかもしれませんが(私も昔はそう思ってました…提督の決断(初代)なんかだとただの雑魚なんですよね)、こうして組んでみると非常に丁度良いサイズと手間加減。全部集めても駆逐艦ほど大変な事にはなりませんて。フフッ
球磨は球磨型軽巡洋艦の1番艦。やや小型に過ぎた天龍型を拡大して強力な機関を搭載する事で高速・重武装化に対応した正常進化型であり、後の長良型・川内型に続く基本形が出来上がった艦型です。球磨型・長良型・川内型はまとめて5500t型軽巡洋艦とも呼ばれます。
しかし竣工は1920年と古く、太平洋戦争開戦時にはすでに旧式化していましたが川内型の後は開戦直前に起工する阿賀野型まで長く建造期間が空いていたため代わりの艦は無く、近代化改装で凌いでかり出され専ら拠点攻撃の援護といった支援任務に就いていました。そしてニューギニア方面に於いて対潜演習に出たところを英潜水艦タリホーと遭遇、雷撃を受けマラッカ海峡付近にて沈没してしまいます。
球磨はウォーターラインシリーズのナンバリングはNo.316(旧No.80)とかなり古くから居る古参で以前作ったフジミの名取と同じくらい古いキットですが、そこは安心のタミヤ様。
パーツ数はそれほど多くなくシンプル。
説明書。塗装指示はリノリウム色がレッドブラウンで指示されていますがどこをどう塗るかまではよく分かりません。組み立て説明は必要十分で特に分かりにくいところもありません。
主要パーツ群。主に船体2パーツとランナー2枚で構成されています。
艦底パーツに1973の記述。昭和48年。私が生まれる前です。
古くてもさすがにタミヤだけあってモールドは最近のものと比べても見劣りしません。ただわずかにバリがあるのだけはご愛嬌。船体側面もちゃんとモールドが入っています。同じタミヤでも夕張や駆逐艦の船体側面はなにも無かったのでこのあたりはやる気の差なのでしょうか。
静模のディテールアップパーツ(大型艦用)が付属しますが、今回は特に使わなくても良さそう。タミヤのキットではあくまで基本パーツと置き換えで使うようになっており、ここに必須パーツは含まれていません。
連装機銃だけはちょっと貧相だったので前回の高雄で余っていたものを使う事にしました。
それでは製作開始。5500t型軽巡は魚雷発射管が艦内にあるのでまずここだけ作ってしまいます。さすがはタミヤ様というか、魚雷発射管の部屋の奥に仕切りがあり、向う側が見えないようにされていました。なのでこの仕切りの内側だけ塗装すれば十分。部屋内床面になるバラスト上面も見える範囲だけ塗装。バラストは艦底パーツの上に置くだけで船体パーツ側からも押さえられますが、クリアランスがありカタカタするので前後だけでもテープで留めておくと良いかもしれません。
魚雷周りを作ったら船体と艦底パーツを接着。パーツの合いはピッタリすぎて流し込みタイプの接着剤が滲みていかないレベル。
リノリウム色として43ウッドブラウンから塗装。船体中央やや前の一段下がっているウェルデッキや、別パーツになっているセルター甲板の上面にはリノリウム押さえのモールドが無いためちょっと迷いましたが、那珂・名取・天龍とここは全部塗ってきたのでやはり塗るところであろうと。(こういうところは各自「好み」で塗って頂きたい)
艦底色は毎回よれよれにしてしまうので今回はちゃんとマスキングしてみました。
うん、最初からやってれば良かったわ・・・
パーツを取り付けてゆきます。苦労するところは特にありません。ただ、若干パーツが細かく感じた気はします。
水上機は九五式水上偵察機が1機付属するので上面を濃緑色、下面をガルグレー、マークを赤で塗装。ディテールアップパーツにも九五式水偵がありますが基本パーツのものも若干ディテールが劣る程度で十分といえば十分といえるもの。
旗は紙シール。説明書通りに旗竿に巻くと数日で開いてしまうので、裏表貼り合わせて端を切ったものを旗竿に瞬着でくっつけています。これが一番きれいにできるように思います。
エナメルジャーマングレーとフラットブラックとフラットブラウンでウォッシングして完成。
コレクション派としてはこれくらいすんなりいってくれると助かります・・・
目線を下して観察。以前作った長良型と川内型はエッチングパーツ付きだったのでそれと比べるとあっさりして見えるものの、こちらはその分甲板上のディテール密度があるので貧相には見えません。
各部を観察。主砲は50口径三年式14cm速射砲を後方が開いた単装砲塔に収めて7基装備しています。艦橋は竣工時はオープントップの上に幌屋根を取り付けたものでしたが改装時に密閉化されています。
ウェルデッキ周辺。マストは三脚型で艦橋との間を構造物で埋められている上にマスト上にも部屋があるため一見すると伊勢型以前の戦艦のようなマストと一体化した艦橋のようにも見えます。その後方には一段下がったウェルデッキがあり、そこには六年式53cm連装魚雷発射管が2基置かれています。53cm?と思った人もいるかもしれません。次型の長良型から八年式61cm連装魚雷発射管に置き換わります。ウェルデッキの後方、一段高くなってすぐの所には開戦後に据え付けられた九六式25mm連装機銃があります。ここには竣工時には40口径三年式8cm単装高角砲が置かれていましたが、他の5500t型同様に8cm高角砲→13mm連装機銃→25mmと変遷しています。
煙突。球磨の煙突は3本全てにソロバンの珠のような形の雨水除去装置が装備され煙突上方がふくらんだ形をしています。球磨型の他の艦では木曽が1・2番煙突だけが膨らんでおり、それ以外の多摩・北上・大井は真っ直ぐな形でここが識別点になっています。
セルター甲板付近。セルター甲板直前の艦側面には魚雷発射管の出口があり、この中に前方ウェルデッキのものと同じ53cm連装魚雷発射管が設置されています。セルター甲板上には5~7番砲塔と呉式二号カタパルト、マストなどが設置されています。このキットは開戦時頃の状態ですが、最終状態では5番砲塔が撤去され25mm3連装機銃2基が増備されていました。
艦尾。セルター甲板左右から艦尾にかけて伸びているレールは機雷敷設軌条。装備表を見ると型式は不明ですが爆雷投射機なども一応装備されているようです。
右舷に。機雷敷設軌条の間にあるモールドが爆雷投射機と装填装置のモールドなのでしょうか。
カタパルトは後から設置されたもので、同じ球磨型では木曽の艦橋前から2番砲塔の上に航空機滑走台を設置していましたが陸上機の発艦のみで実用的ではなく、カタパルトが実用化されると代わって多くの5500t型に装備されました。
カタパルト上の九五式水上偵察機。複葉の小型偵察機であり、後継の零式水上観測機同様に九六式艦上戦闘機に匹敵する運動性能を持つとされています。
右舷側から煙突付近。機関は竣工当時の戦艦長門が80000馬力だったのに対し90000馬力と非常に高出力であり、最大速力36ノットの快速を誇っていました。しかし太平洋戦争の頃には近代化改装による重量増加により排水量は7000tほどに増加しており、速力は32ノットほどに落ちていたそうです。
艦前方を後方から。
手前から天龍、球磨、名取、那珂。
艦首形状はスプーンバウと呼ばれる丸みのある形状。これは一号機雷と呼ばれるワイヤーで繋げた機雷を用いた「機雷戦」を想定したもので、この丸い形状によりワイヤーを乗り越えるつもりであったとされています。しかしこのスプーンバウは凌波性が良くなく、また機雷戦も主流から外れていったため艦首の損傷修理のついでにダブルカーブドバウに変更された艦もあり(阿武隈・神通など)、5500t型最後発である上写真奥の那珂は竣工時からダブルカーブドバウとなっていました。
艦橋の差異。天龍や球磨は元々露天艦橋であり、名取も簡易な屋根が付けられていただけでした。球磨型の木曽以降は艦橋の中段に航空機格納庫を備える関係上艦橋が大型化していました。格納庫は後に用済みとなりましたが艦内容積が大きいに越したことは無いのか、艦橋サイズは大きくなったままでした。(厳密には、大きいだけ高い位置に重量物がある事になるので友鶴事件で問題になった艦の重心の高さの原因になります)
煙突の差異。天龍型~長良型は煙突の太さこそ違うものの生えている位置はほぼ同じで、魚雷発射管の位置も同様。川内型では機関を重油節約のために石炭混焼缶を長良型の2基から4基に比率を変更したため煙突本数が4本に増えており、ウェルデッキの位置も変更されています。
セルター甲板付近の差異。セルター甲板自体は天龍型ではオマケ程度だったものがどんどん広くなってゆきます。マストは他の艦型同様に新しいほど艦の中央に寄せられており、甲板上の艤装も効率的になってゆきます。
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古い製品ですが最近のものと比べても遜色無く、それでいて非常に組みやすい良キットです。
人によっては5500t型軽巡は「古臭い、貧相」と思うかもしれませんが(私も昔はそう思ってました…提督の決断(初代)なんかだとただの雑魚なんですよね)、こうして組んでみると非常に丁度良いサイズと手間加減。全部集めても駆逐艦ほど大変な事にはなりませんて。フフッ