~趣味の世界~
フジミ1/72愛知水上偵察機 瑞雲11型/呉式二号五型射出機です。
以前どこかの段階で「水上機のプラモが欲しい!」となり、amazonで探していた時にチラホラ見つかったフジミ瑞雲。でも何か微妙に気乗りしなくて結局「今度でいいや・・」って感じで後手後手に回していたのですが、衝動買いしてきたハセガワの零式三座水上偵察機を組んで雰囲気は掴めたので次は瑞雲いってみよう!となったのが今回。機体だけのキットもありましたが折角だからと射出機も付いてる方を。
外箱。サイズは1/72の飛行機プラモとしては標準的なサイズかな?値段は2200円。評判の良いタミヤの1/72晴嵐が千円しない事を考えると高いと感じてしまうかもしれませんが、まあ射出機も付いてるし、今はどのプラモも高いし。
箱横の説明書き。
瑞雲は水上偵察機と爆撃機を統合する企図により、零式三座水上偵察機などを作った愛知飛行機によって開発された機体です。開発段階では零式水上観測機のような偵察機に戦闘機の要素も含んだ機種も統合する考えがあったため、偵察機でありながら急降下爆撃能力や、良好な空戦機動力も備えるマルチロール機が要求されましたが、さすがに厳しい要求のため開発は難航し、完成した頃は1943年ともはや戦局を覆しようのない時期となっていました。水上機としては初装備となる急降下爆撃機に不可欠なダイブブレーキをフロートの支柱に備え、戦闘機ばりに主翼には空戦フラップまで装備しています。量産化と部隊配備は1944年から行われ、第634航空隊は航空戦艦に改装中の伊勢型戦艦にこの機体を搭載する前提で訓練を重ねていたものの、艦の改装の終了前に戦局の悪化から第634航空隊はフィリピンなど各地を転戦したため伊勢型航空戦艦は伊勢・日向両艦とも結局最後まで航空機を搭載する事が出来ませんでした。220機が生産され、エンジンを換装した瑞雲12型も1945年に試作されています。
呉式二号五型射出機は巡洋艦などの中型以上の艦船から水上機を射出・発進させるためのカタパルトのうち、太平洋戦争開戦時に標準型として多くの艦船に装備されていたものです。日本の艦船用カタパルトは1928年に重巡洋艦「衣笠」に圧縮空気を利用する呉式一号一型が装備されて試験運用が開始され、軽巡洋艦「五十鈴」「由良」でスプリング式の萱場(かやば)式艦発促進装置、そして火薬式の呉式二号が軽巡洋艦「鬼怒」「神通」で試験され、火薬式の呉式二号が改良を重ねられ装備されてゆきます。空気式のものも大型機の射出用として長大なものが作られ、軽巡洋艦「大淀」(二式一号一〇型)や潜水艦「伊400型」(四式一号一〇型)に搭載されました。世界的には油圧式や蒸気式が一般的で、連合国側ではそちらがほとんど、現用では蒸気式が採用されています。呉式二号五型射出機は日本の火薬式カタパルトの最終型で、4tまでの重量の機体を射出する能力がありました。
さて今回の瑞雲は全備重量3.8tと実は呉式二号五型ではちょっとギリギリすぎる重量。このカタパルトでは全備重量3.5tの零式三座水上偵察機が限度のようで、瑞雲を射出するにはもっと大型のカタパルトが必要です。箱絵の脇にも注釈があり、瑞雲の運用を前提としていた伊勢型航空戦艦には射出重量5tの一式二号一一型射出機が装備されていました。大淀に搭載するつもりだった「紫雲」も伊400型に搭載した「晴嵐」も全備重量が4tを超える機体です。
艦船キット、中でもフジミの特シリーズなんかはパーツ数が多いとちょっとゲンナリしてくるものがありますが、1/72程度の飛行機キットだとパーツ数の多さにはむしろワクワクをおぼえるものがあります。
説明書は6つ折りにするとB5版になる横長の1枚紙。使用塗料の表に肝心な瑞雲本体のメイン色が書いて無くて、H36とクレオスの水性ホビーカラーで図中にチラッと書いてあるのみ。H36はクレオスのMr.カラーだとC70ダークグリーンですが、光沢色なので半光沢のC124暗緑色(三菱系)かC15暗緑色(中島系)の方が良いでしょう。
瑞雲本体のパーツ全図。あれ?少ない・・・この瑞雲は結構新しいキットなのですが、最初の発売は1998年だそう。この時期はフジミの暗黒期といってもよいもので、他ジャンルのキット、車プラモなどでもこの頃に出たものは結構酷いものが多いのです。私もそのくらいの時期にフジミのアルテッツァやインテグラTypeRなど色々組んだのですがもう雑だわ組みづらいわ似てないわで大変だった記憶。
呉式二号五型射出機のパーツ全図。大物パーツが多く、ディテールもシャキッとしていて好印象です。ただ・・・(後述)
早速瑞雲から組み始めてみましょう。まずは仮組み。飛行機キットの基本はとにかく仮組み。おおよその形が分からないと後で手が入らない部分があったりしますから。パーツ同士の合いは比較的良いですが主翼上面と胴体の間や尾翼周辺などややスキマが開きやすい傾向にあります。
コクピット内を説明書も見ずに何となく青竹色で塗ってしまっているところ。フロートの中には前に詰めてオモリを5gずつ入れるようになっています。車用のバランスウェイトを5gずつ前端に入れましたが、両面テープだと剥がれて後ろに転がってしまう(なった・・・)ので前端の位置から動かないようにランナーの切れ端などで固定しておいた方が良いです。ここにウェイトを入れないと上上の仮組みした写真のようにフロート後半で接地するため機首が斜め上を向いてしまいます。(ただ、カタパルトの上に載せる以外の飾り方をしない場合はオモリが無くてもカタパルト上の滑走台の上では安定しそうな気がするので、材料や目的と相談して下さい)
コクピットを組みながら仮組みを繰り返します。
どうもコクピット内のスキマが多く、特に後ろ側は胴体後部が突き抜けていて丸見えになり、塞ぐパーツもありません。気になる・・・
コクピット後部が実機ではどうなっているかググって調べてみても有効な資料が見当たらない・・・っていうか色全然違うやないですか!コクピット内は機体内部色に緑を混ぜたものが指定で、他の人の作例などを見るとオリーブドラブに近い色をしています。コクピット後端はプラ板で適当に塞いでおき、適当にその辺にあった17RLM71ダークグリーンで塗ってしまいました。フロートと嵌合する台も組みますが、指定だと黒鉄色でもっと黒い色になります。(何となく思いつきで8銀にジャーマングレーで濃いめのウォッシングという面倒な事をしています)
いよいよ機体色の塗装。まずは35明灰白色(三菱系)で下半分を塗り、次に124暗緑色(三菱系)で塗りました。忘れてて一番最後にやりましたがフロートの支柱の前縁も緑になります。色の境目は特に凝った事はせず、筆塗りのまま。
キャノピーを取り付ける前にコクピット前席の後ろにつく輪っか状のパーツはそのままだとキャノピー内側と干渉するので取り付け位置を少し深めてやる必要があります。
残りのパーツも取り付けますが、キャノピーの塗り分けの邪魔になるのでキャノピー上に生える支柱は後回し。キャノピーはマスキング地獄ですがフリーハンドだとどうしても汚くなるので頑張りましょう。排気管、何で別パーツにしたし・・・(一見面倒ですが溝にパーツを置くだけなので実は結構簡単です)
ちょっと気分転換にカタパルトの方を。塗装は面積が大きいのでスプレー塗装でやってしまいました。ただモールドが細かく立体的なので吹けてない面が出来やすく、あまり頑張ると厚塗りになるので成型色が見えちゃってる所は素直に瓶塗料でレタッチします。構造の内側に配置されるシリンダーのパーツが曲がっていて修正を要したので上写真ではカタパルト下面のパーツに輪ゴムで括りつけて接着乾燥待ちしています。大雑把な瑞雲本体に対し、このカタパルトは特シリーズっぽい細かさと組みにくさが特徴でしょうか。
説明書だと一遍に組んでいますが上面と左右と前面後面を接着してから内側をウォッシングし、最後にシリンダーなどがある下面を接着する順序が無難。
下面を接着して輪ゴムで括って乾燥待ち。あとはいくつかパーツを取り付けてこちらは完成です。
キャノピーの塗り分けを終え、デカールも貼り終えたところ。水平尾翼前縁に貼るものだけ透明部分が多くシルバリングしやすいので念入りにマークセッターでピッタリさせます。垂直尾翼とキャノピー上の支柱との間に張り線を取り付ける際、ネットで見かけた艦船キットの張り線の張り方を参考にしてみました。取り付ける対象を普通に置いて作業すると引っ張った時に外れたりたわんだりして苦戦必至なので、一方を取り付けたら対象物を縦にして張り線を次に取り付ける位置に垂らしてそこで接着すれば引っ張る必要もなくたわませずに張れる、というもの。今回の場合は垂直尾翼の前縁に細い伸ばしランナーの一方を接着して機首を真下に向けて伸ばしランナーをキャノピー上の支柱の先に垂らし、そこで接着。余った分を切って出来上がり。
後回しにしていたプロペラを取り付けてエナメルジャーマングレーでウォッシングして完成。
零式三座水上偵察機を二座にしてちょっとだけ流麗にしたような印象。
搭載する爆弾は250kg爆弾×1か60kg爆弾×2とあるので翼下の小さいやつは60kg爆弾でしょうか。
エンジンは空冷星形14気筒の金星54型、1300馬力で最高速度は448km/h。
コクピットは二座で後席の後ろに13mm機銃があり、風防を開けて旋回機銃とします。
武装は爆弾と旋回機銃の他、主翼前縁に左右1挺ずつ20mm機関砲が装備されています。フロート支柱に無数の横穴がありますがここが左右に開いてエアブレーキの動作をする「ダイブブレーキ」となっています。ダイブブレーキは急降下中に重力によって最高速度以上に加速してしまうのを減速するためのもので、急降下爆撃能力が爆撃機を名乗る必須要素であった日本軍爆撃機の必須装備です。急降下爆撃はフライトシミュレーターをやってみるとすぐわかるのですが水平飛行しながらヒョイと爆弾を投下するのに較べ、高空から地上目標へ機首を向けて降下しながらの方が遥かに狙いが付けやすく爆弾を命中させやすい反面、地上に向かって高速で降下するため非常に恐怖であり、機首を引き上げて再上昇するために必要な高度と速度を見誤ると引き起こしきれずに地上に激突します。また狙いを付けそこなった場合、爆弾を抱えたままではその重量により引き起こしきれなくなるため爆弾を捨てる必要があり、急降下爆撃を再試行する事が出来ないため、狙いを付けられた地上や艦船からの対空砲火は機体を撃ち落とす事よりも爆撃機の狙いを外させる事の方が重要となります。(撃ち落とすと大破した機体や破片が爆弾ごと降ってきますので)
垂直尾翼には第634航空隊を示す634の文字。第634航空隊は第四航空戦隊隷下として航空戦艦伊勢に瑞雲18機、日向に彗星18機(彗星は着水能力の無い艦上機なので発進後は他の空母に着艦するか陸上基地まで飛ぶか使い捨てになる予定でした)の定数で搭載される予定で1944年5月に編成されましたが、10月には航空戦艦に搭載しない事に決まりフィリピン方面へは別々に向かい当地では水上機基地を拠点として夜間対艦攻撃などを行い戦果を挙げました。
台車に載せられた瑞雲。
呉式二号五型射出機。1/700の艦船キットでは頻繁に目にする特徴的なパーツですが、大スケールだとやっぱ、こう・・・カックイー
側面のトラス越しに見える内部のシリンダーを火薬で動作させ、シリンダーに繋がるワイヤーは内部にチラ見えする滑車に沿わせてカタパルトの前方から上面へ、そして後方へ伸びて滑走台に繋がり、この滑走台をシリンダーの動作でワイヤーを介して一気に前方へ加速させます。
滑走台はカタパルト上面左右のレールの間を前方へ滑走します。
滑走台に載せられた瑞雲。5500t型軽巡洋艦などではデリックで吊るして直接載せられますが、重巡洋艦などの大型艦ではフライングデッキ上の軌条を滑走車に載せられて移動し、カタパルト後面から滑走車の上の滑走台と機体のみが載り移ります。
いざ発艦!というワクワク感が漂います。軽巡だと駐機中もこうですが・・・
零式三座水上偵察機(右)と。大きさ的には瑞雲の方がわずかに小さく、機体形状は無骨な零式水偵に対し瑞雲は流麗な印象。
この零式水偵はハセガワの古いキットですが大和搭載機のためフロート支持がカタパルト対応型となっているのでこのように今回のカタパルトにも普通に搭載できます。
@@@
今回は瑞雲目的で買ったものの買った後でネットで調べたら滅茶苦茶評判の悪いキットだったのですが、一緒についてきたカタパルトは見慣れたパーツが詳細に見られて非常に価値がありました。まあどちらもそれなりに組みにくさはありますが、瑞雲の方も雰囲気は十分なので個人的には許せるレベル。何か毎回組みあがっちゃうと「あら結構悪く無いんじゃなくて?」って思えちゃうのがフジミ。そう思えるように手を加えるのを楽しめるようになれば、プラモ組むのってどんだけでも楽しくなりますから。
以前どこかの段階で「水上機のプラモが欲しい!」となり、amazonで探していた時にチラホラ見つかったフジミ瑞雲。でも何か微妙に気乗りしなくて結局「今度でいいや・・」って感じで後手後手に回していたのですが、衝動買いしてきたハセガワの零式三座水上偵察機を組んで雰囲気は掴めたので次は瑞雲いってみよう!となったのが今回。機体だけのキットもありましたが折角だからと射出機も付いてる方を。
外箱。サイズは1/72の飛行機プラモとしては標準的なサイズかな?値段は2200円。評判の良いタミヤの1/72晴嵐が千円しない事を考えると高いと感じてしまうかもしれませんが、まあ射出機も付いてるし、今はどのプラモも高いし。
箱横の説明書き。
瑞雲は水上偵察機と爆撃機を統合する企図により、零式三座水上偵察機などを作った愛知飛行機によって開発された機体です。開発段階では零式水上観測機のような偵察機に戦闘機の要素も含んだ機種も統合する考えがあったため、偵察機でありながら急降下爆撃能力や、良好な空戦機動力も備えるマルチロール機が要求されましたが、さすがに厳しい要求のため開発は難航し、完成した頃は1943年ともはや戦局を覆しようのない時期となっていました。水上機としては初装備となる急降下爆撃機に不可欠なダイブブレーキをフロートの支柱に備え、戦闘機ばりに主翼には空戦フラップまで装備しています。量産化と部隊配備は1944年から行われ、第634航空隊は航空戦艦に改装中の伊勢型戦艦にこの機体を搭載する前提で訓練を重ねていたものの、艦の改装の終了前に戦局の悪化から第634航空隊はフィリピンなど各地を転戦したため伊勢型航空戦艦は伊勢・日向両艦とも結局最後まで航空機を搭載する事が出来ませんでした。220機が生産され、エンジンを換装した瑞雲12型も1945年に試作されています。
呉式二号五型射出機は巡洋艦などの中型以上の艦船から水上機を射出・発進させるためのカタパルトのうち、太平洋戦争開戦時に標準型として多くの艦船に装備されていたものです。日本の艦船用カタパルトは1928年に重巡洋艦「衣笠」に圧縮空気を利用する呉式一号一型が装備されて試験運用が開始され、軽巡洋艦「五十鈴」「由良」でスプリング式の萱場(かやば)式艦発促進装置、そして火薬式の呉式二号が軽巡洋艦「鬼怒」「神通」で試験され、火薬式の呉式二号が改良を重ねられ装備されてゆきます。空気式のものも大型機の射出用として長大なものが作られ、軽巡洋艦「大淀」(二式一号一〇型)や潜水艦「伊400型」(四式一号一〇型)に搭載されました。世界的には油圧式や蒸気式が一般的で、連合国側ではそちらがほとんど、現用では蒸気式が採用されています。呉式二号五型射出機は日本の火薬式カタパルトの最終型で、4tまでの重量の機体を射出する能力がありました。
さて今回の瑞雲は全備重量3.8tと実は呉式二号五型ではちょっとギリギリすぎる重量。このカタパルトでは全備重量3.5tの零式三座水上偵察機が限度のようで、瑞雲を射出するにはもっと大型のカタパルトが必要です。箱絵の脇にも注釈があり、瑞雲の運用を前提としていた伊勢型航空戦艦には射出重量5tの一式二号一一型射出機が装備されていました。大淀に搭載するつもりだった「紫雲」も伊400型に搭載した「晴嵐」も全備重量が4tを超える機体です。
艦船キット、中でもフジミの特シリーズなんかはパーツ数が多いとちょっとゲンナリしてくるものがありますが、1/72程度の飛行機キットだとパーツ数の多さにはむしろワクワクをおぼえるものがあります。
説明書は6つ折りにするとB5版になる横長の1枚紙。使用塗料の表に肝心な瑞雲本体のメイン色が書いて無くて、H36とクレオスの水性ホビーカラーで図中にチラッと書いてあるのみ。H36はクレオスのMr.カラーだとC70ダークグリーンですが、光沢色なので半光沢のC124暗緑色(三菱系)かC15暗緑色(中島系)の方が良いでしょう。
瑞雲本体のパーツ全図。あれ?少ない・・・この瑞雲は結構新しいキットなのですが、最初の発売は1998年だそう。この時期はフジミの暗黒期といってもよいもので、他ジャンルのキット、車プラモなどでもこの頃に出たものは結構酷いものが多いのです。私もそのくらいの時期にフジミのアルテッツァやインテグラTypeRなど色々組んだのですがもう雑だわ組みづらいわ似てないわで大変だった記憶。
呉式二号五型射出機のパーツ全図。大物パーツが多く、ディテールもシャキッとしていて好印象です。ただ・・・(後述)
早速瑞雲から組み始めてみましょう。まずは仮組み。飛行機キットの基本はとにかく仮組み。おおよその形が分からないと後で手が入らない部分があったりしますから。パーツ同士の合いは比較的良いですが主翼上面と胴体の間や尾翼周辺などややスキマが開きやすい傾向にあります。
コクピット内を説明書も見ずに何となく青竹色で塗ってしまっているところ。フロートの中には前に詰めてオモリを5gずつ入れるようになっています。車用のバランスウェイトを5gずつ前端に入れましたが、両面テープだと剥がれて後ろに転がってしまう(なった・・・)ので前端の位置から動かないようにランナーの切れ端などで固定しておいた方が良いです。ここにウェイトを入れないと上上の仮組みした写真のようにフロート後半で接地するため機首が斜め上を向いてしまいます。(ただ、カタパルトの上に載せる以外の飾り方をしない場合はオモリが無くてもカタパルト上の滑走台の上では安定しそうな気がするので、材料や目的と相談して下さい)
コクピットを組みながら仮組みを繰り返します。
どうもコクピット内のスキマが多く、特に後ろ側は胴体後部が突き抜けていて丸見えになり、塞ぐパーツもありません。気になる・・・
コクピット後部が実機ではどうなっているかググって調べてみても有効な資料が見当たらない・・・っていうか色全然違うやないですか!コクピット内は機体内部色に緑を混ぜたものが指定で、他の人の作例などを見るとオリーブドラブに近い色をしています。コクピット後端はプラ板で適当に塞いでおき、適当にその辺にあった17RLM71ダークグリーンで塗ってしまいました。フロートと嵌合する台も組みますが、指定だと黒鉄色でもっと黒い色になります。(何となく思いつきで8銀にジャーマングレーで濃いめのウォッシングという面倒な事をしています)
いよいよ機体色の塗装。まずは35明灰白色(三菱系)で下半分を塗り、次に124暗緑色(三菱系)で塗りました。忘れてて一番最後にやりましたがフロートの支柱の前縁も緑になります。色の境目は特に凝った事はせず、筆塗りのまま。
キャノピーを取り付ける前にコクピット前席の後ろにつく輪っか状のパーツはそのままだとキャノピー内側と干渉するので取り付け位置を少し深めてやる必要があります。
残りのパーツも取り付けますが、キャノピーの塗り分けの邪魔になるのでキャノピー上に生える支柱は後回し。キャノピーはマスキング地獄ですがフリーハンドだとどうしても汚くなるので頑張りましょう。排気管、何で別パーツにしたし・・・(一見面倒ですが溝にパーツを置くだけなので実は結構簡単です)
ちょっと気分転換にカタパルトの方を。塗装は面積が大きいのでスプレー塗装でやってしまいました。ただモールドが細かく立体的なので吹けてない面が出来やすく、あまり頑張ると厚塗りになるので成型色が見えちゃってる所は素直に瓶塗料でレタッチします。構造の内側に配置されるシリンダーのパーツが曲がっていて修正を要したので上写真ではカタパルト下面のパーツに輪ゴムで括りつけて接着乾燥待ちしています。大雑把な瑞雲本体に対し、このカタパルトは特シリーズっぽい細かさと組みにくさが特徴でしょうか。
説明書だと一遍に組んでいますが上面と左右と前面後面を接着してから内側をウォッシングし、最後にシリンダーなどがある下面を接着する順序が無難。
下面を接着して輪ゴムで括って乾燥待ち。あとはいくつかパーツを取り付けてこちらは完成です。
キャノピーの塗り分けを終え、デカールも貼り終えたところ。水平尾翼前縁に貼るものだけ透明部分が多くシルバリングしやすいので念入りにマークセッターでピッタリさせます。垂直尾翼とキャノピー上の支柱との間に張り線を取り付ける際、ネットで見かけた艦船キットの張り線の張り方を参考にしてみました。取り付ける対象を普通に置いて作業すると引っ張った時に外れたりたわんだりして苦戦必至なので、一方を取り付けたら対象物を縦にして張り線を次に取り付ける位置に垂らしてそこで接着すれば引っ張る必要もなくたわませずに張れる、というもの。今回の場合は垂直尾翼の前縁に細い伸ばしランナーの一方を接着して機首を真下に向けて伸ばしランナーをキャノピー上の支柱の先に垂らし、そこで接着。余った分を切って出来上がり。
後回しにしていたプロペラを取り付けてエナメルジャーマングレーでウォッシングして完成。
零式三座水上偵察機を二座にしてちょっとだけ流麗にしたような印象。
搭載する爆弾は250kg爆弾×1か60kg爆弾×2とあるので翼下の小さいやつは60kg爆弾でしょうか。
エンジンは空冷星形14気筒の金星54型、1300馬力で最高速度は448km/h。
コクピットは二座で後席の後ろに13mm機銃があり、風防を開けて旋回機銃とします。
武装は爆弾と旋回機銃の他、主翼前縁に左右1挺ずつ20mm機関砲が装備されています。フロート支柱に無数の横穴がありますがここが左右に開いてエアブレーキの動作をする「ダイブブレーキ」となっています。ダイブブレーキは急降下中に重力によって最高速度以上に加速してしまうのを減速するためのもので、急降下爆撃能力が爆撃機を名乗る必須要素であった日本軍爆撃機の必須装備です。急降下爆撃はフライトシミュレーターをやってみるとすぐわかるのですが水平飛行しながらヒョイと爆弾を投下するのに較べ、高空から地上目標へ機首を向けて降下しながらの方が遥かに狙いが付けやすく爆弾を命中させやすい反面、地上に向かって高速で降下するため非常に恐怖であり、機首を引き上げて再上昇するために必要な高度と速度を見誤ると引き起こしきれずに地上に激突します。また狙いを付けそこなった場合、爆弾を抱えたままではその重量により引き起こしきれなくなるため爆弾を捨てる必要があり、急降下爆撃を再試行する事が出来ないため、狙いを付けられた地上や艦船からの対空砲火は機体を撃ち落とす事よりも爆撃機の狙いを外させる事の方が重要となります。(撃ち落とすと大破した機体や破片が爆弾ごと降ってきますので)
垂直尾翼には第634航空隊を示す634の文字。第634航空隊は第四航空戦隊隷下として航空戦艦伊勢に瑞雲18機、日向に彗星18機(彗星は着水能力の無い艦上機なので発進後は他の空母に着艦するか陸上基地まで飛ぶか使い捨てになる予定でした)の定数で搭載される予定で1944年5月に編成されましたが、10月には航空戦艦に搭載しない事に決まりフィリピン方面へは別々に向かい当地では水上機基地を拠点として夜間対艦攻撃などを行い戦果を挙げました。
台車に載せられた瑞雲。
呉式二号五型射出機。1/700の艦船キットでは頻繁に目にする特徴的なパーツですが、大スケールだとやっぱ、こう・・・カックイー
側面のトラス越しに見える内部のシリンダーを火薬で動作させ、シリンダーに繋がるワイヤーは内部にチラ見えする滑車に沿わせてカタパルトの前方から上面へ、そして後方へ伸びて滑走台に繋がり、この滑走台をシリンダーの動作でワイヤーを介して一気に前方へ加速させます。
滑走台はカタパルト上面左右のレールの間を前方へ滑走します。
滑走台に載せられた瑞雲。5500t型軽巡洋艦などではデリックで吊るして直接載せられますが、重巡洋艦などの大型艦ではフライングデッキ上の軌条を滑走車に載せられて移動し、カタパルト後面から滑走車の上の滑走台と機体のみが載り移ります。
いざ発艦!というワクワク感が漂います。軽巡だと駐機中もこうですが・・・
零式三座水上偵察機(右)と。大きさ的には瑞雲の方がわずかに小さく、機体形状は無骨な零式水偵に対し瑞雲は流麗な印象。
この零式水偵はハセガワの古いキットですが大和搭載機のためフロート支持がカタパルト対応型となっているのでこのように今回のカタパルトにも普通に搭載できます。
@@@
今回は瑞雲目的で買ったものの買った後でネットで調べたら滅茶苦茶評判の悪いキットだったのですが、一緒についてきたカタパルトは見慣れたパーツが詳細に見られて非常に価値がありました。まあどちらもそれなりに組みにくさはありますが、瑞雲の方も雰囲気は十分なので個人的には許せるレベル。何か毎回組みあがっちゃうと「あら結構悪く無いんじゃなくて?」って思えちゃうのがフジミ。そう思えるように手を加えるのを楽しめるようになれば、プラモ組むのってどんだけでも楽しくなりますから。
ピットロード1/700スカイウェーブシリーズの潜水艦伊-56&伊-58(回天搭載型・2隻セット)です。
ピットロードのキットは駆逐艦しか組んだ事がないので横開きじゃない普通の箱は新鮮な印象。大きさ自体は駆逐艦キットの箱と同じくらい。
伊-56・伊-58は巡潜乙型改2、又は伊54型潜水艦3隻のうちの2隻です。伊54型潜水艦は巡潜乙型、伊15型(伊-19が有名です)の簡易量産型である伊40型を、更に戦時急造型として機関や電動機を低出力で軽量小型のものにし、代わりに燃料搭載量を増やして航続距離を延伸したタイプです。竣工は共に太平洋戦争末期となる1944年。竣工後まもなく改装により特攻兵器である人間魚雷・回天の搭載・発進機能を付与されました。
伊-56はフィリピン方面においてLST(戦車揚陸艦)や護衛空母を撃破したり、ヘッジホッグ(対潜迫撃砲)の不発弾を偶然に持ち帰るなどの戦果を挙げ、1944年の末に回天搭載の改装を受け訓練に従事した後、翌3月に沖縄へ出撃後米駆逐艦の攻撃を受け沈没したとされています。
伊-58は伊-56より竣工が遅かったため44年末に回天搭載の改装を受けるまで出撃は無く、回天搭載後も何度かの出撃をするものの中々戦果にありつけませんでしたが、7月にグアム方面へ出撃中、重巡洋艦インディアナポリスを回天ではなく魚雷によって撃沈する戦果を挙げました。この時インディアナポリスはテニアン島へ原子爆弾を輸送して本国へ戻る途中でした(この時輸送された原子爆弾はその後広島と長崎に投下されました)。伊-58はその後も回天を発進させる戦いをするものの戦果はなく終戦を迎え無事呉へ帰投後、米軍によって五島列島沖に沈められました。
内容はピットロードの駆逐艦キットとはかなり雰囲気が違う印象。
説明書は広告チラシのような光沢紙に片面印刷。
塗装指示はおなじみのカラー。ただ甲板の塗色は曖昧な言い回しで、作り手の判断に任せている様子。
パーツ群は一見多く見えますが、2隻分なので・・・
1隻分だとこれだけになります。少ないですが、簡単だとは誰も申しておりません。
船体上下と甲板パーツはスナップキットのように接着剤無しでも保持力がありますが、素直に接着した方が間違いがありません。ウォーターラインキットとして組む場合は船体下半分を取り付けずにおきますが、下面に代わりにかぶせるパーツなどは無いので見栄えがちょっと・・・
船体上下と甲板を接着。船体上下を接着せず気分でウォーターライン/フルハルどちらにもできるようにもできなくはないですが、ガンプラ並みの保持力があるので剥がすのが大変かも。
船体上半分を32軍艦色2、下半分を29艦底色、甲板を44タンで塗りました。潜水艦というと真っ黒のイメージがある人もいるでしょうが、日本軍のはこうです。ただ甲板色は塗装指示書にもあるように回天搭載時は黒に塗られていたとか、木甲板も海水でグレーに退色していたりとか、作り手の好みで判断して塗りましょう。
パーツを取り付けてゆきます。小さくて結構難儀します。一部パーツが成型不良で樹脂が流れきっておらず、欠けているところがありました(機銃の銃身片側とその直後の棒、艦尾左の枠など)。
回天を配置。前半の2つが前向き、後半の4つは後ろ向きになります。デカールは塗装指示書だと右側面しか書いてありませんが、左側は箱絵を参考に。
いつものようにジャーマングレーは使わず、イメージ的にやはり潜水艦は黒いもの・・・なのでエナメルフラットブラックのみでウォッシングして完成。
気持ち伊-56の方が黒が濃くなりました。伊-58はタミヤのウォーターラインキットがありますが、潜水艦はやはりフルハルで組みたいところ。
台座は船体下面の穴に対しキツキツなので少し削ってルーズにしたくらいが丁度良いです。
各部を観察。艦首の下半分には左右3門ずつ計6門の53cm魚雷発射管があります。その上には航空機のカナード翼のような動翼があり、ここら辺は水上艦とは違い水中で上下に機動する潜水艦である事をうかがわせます。とはいえこの時代の潜水艦はまだ今日の潜水艦ほどには深く潜れるものではなく、安全潜航深度100m、せいぜいが艦の全長分程度の深さまで。
艦橋、というか司令塔。上に伸びている3本は潜望鏡です。潜水艦ですが22号電探と13号電探が装備されています。
艦尾。舵の左右、スクリューの直後に水平尾翼があり、舵自体も垂直尾翼といった印象。
甲板に搭載された回天。回天は駆逐艦などに搭載された九三式61cm酸素魚雷の前に酸素タンクと操縦席を取り付けたような構造で、55km/hの速度で23kmの航続距離があります。ハッチは内側からも開けられますが55km/hで水中を航行中に外に出られるわけはなく、どのみち一度発進したら搭乗員は助からないものでした。よく「甲標的」と勘違いされますが、甲標的は短魚雷の発射能力を持つミニ潜水艦といえるもので、対して回天は誘導魚雷の誘導装置が人間であると思えばわかりやすいでしょうか。
伊54型潜水艦は元々司令塔の前に筒型の航空機格納庫をもち、専用の零式小型水上偵察機を1機搭載、前甲板にカタパルトとクレーン、40口径14cm単装砲などを装備していましたが、伊-58だけは竣工時から14cm砲をオミットされており、回天搭載の改装時には伊-56も14cm砲を撤去されています。
1945年に入り前甲板に2基の回天を搭載した際にここにあった航空艤装も撤去され、魚雷以外の兵装は司令塔にある25mm連装機銃1基のみとなっています。
特Ⅲ型駆逐艦の響(上)と神風型駆逐艦の疾風(下)と。全長108.7mと駆逐艦と同程度の全長があり、今日の攻撃型潜水艦が70~80m程度なのに対し長いですが性能的には天地ほどの差があります。これはまだ水上艦の延長線上にあった形のためで、水上航行時の速度に関してはむしろ今日の潜水艦よりも高速でした(水中では3~4倍の速度差になります)
@@@
潜水艦キットは水上艦とはやや趣が違う印象があり、興味が無い人は無いし持ちにくいかもしれません。種類もあまり多くなく、古くて作りが簡単なキットも多いため作り応えが無い・・・と感じるでしょう。今回のキットはデカールで差異はつけられるもののフジミの駆逐艦2隻セットと似て装備違いが作れないくせに全く同じものが2つ出来上がるものではありますが、1隻だけだと間違いなく物足りません。ただ出来自体は良好なので興味のある人はどうぞ。
ピットロードのキットは駆逐艦しか組んだ事がないので横開きじゃない普通の箱は新鮮な印象。大きさ自体は駆逐艦キットの箱と同じくらい。
伊-56・伊-58は巡潜乙型改2、又は伊54型潜水艦3隻のうちの2隻です。伊54型潜水艦は巡潜乙型、伊15型(伊-19が有名です)の簡易量産型である伊40型を、更に戦時急造型として機関や電動機を低出力で軽量小型のものにし、代わりに燃料搭載量を増やして航続距離を延伸したタイプです。竣工は共に太平洋戦争末期となる1944年。竣工後まもなく改装により特攻兵器である人間魚雷・回天の搭載・発進機能を付与されました。
伊-56はフィリピン方面においてLST(戦車揚陸艦)や護衛空母を撃破したり、ヘッジホッグ(対潜迫撃砲)の不発弾を偶然に持ち帰るなどの戦果を挙げ、1944年の末に回天搭載の改装を受け訓練に従事した後、翌3月に沖縄へ出撃後米駆逐艦の攻撃を受け沈没したとされています。
伊-58は伊-56より竣工が遅かったため44年末に回天搭載の改装を受けるまで出撃は無く、回天搭載後も何度かの出撃をするものの中々戦果にありつけませんでしたが、7月にグアム方面へ出撃中、重巡洋艦インディアナポリスを回天ではなく魚雷によって撃沈する戦果を挙げました。この時インディアナポリスはテニアン島へ原子爆弾を輸送して本国へ戻る途中でした(この時輸送された原子爆弾はその後広島と長崎に投下されました)。伊-58はその後も回天を発進させる戦いをするものの戦果はなく終戦を迎え無事呉へ帰投後、米軍によって五島列島沖に沈められました。
内容はピットロードの駆逐艦キットとはかなり雰囲気が違う印象。
説明書は広告チラシのような光沢紙に片面印刷。
塗装指示はおなじみのカラー。ただ甲板の塗色は曖昧な言い回しで、作り手の判断に任せている様子。
パーツ群は一見多く見えますが、2隻分なので・・・
1隻分だとこれだけになります。少ないですが、簡単だとは誰も申しておりません。
船体上下と甲板パーツはスナップキットのように接着剤無しでも保持力がありますが、素直に接着した方が間違いがありません。ウォーターラインキットとして組む場合は船体下半分を取り付けずにおきますが、下面に代わりにかぶせるパーツなどは無いので見栄えがちょっと・・・
船体上下と甲板を接着。船体上下を接着せず気分でウォーターライン/フルハルどちらにもできるようにもできなくはないですが、ガンプラ並みの保持力があるので剥がすのが大変かも。
船体上半分を32軍艦色2、下半分を29艦底色、甲板を44タンで塗りました。潜水艦というと真っ黒のイメージがある人もいるでしょうが、日本軍のはこうです。ただ甲板色は塗装指示書にもあるように回天搭載時は黒に塗られていたとか、木甲板も海水でグレーに退色していたりとか、作り手の好みで判断して塗りましょう。
パーツを取り付けてゆきます。小さくて結構難儀します。一部パーツが成型不良で樹脂が流れきっておらず、欠けているところがありました(機銃の銃身片側とその直後の棒、艦尾左の枠など)。
回天を配置。前半の2つが前向き、後半の4つは後ろ向きになります。デカールは塗装指示書だと右側面しか書いてありませんが、左側は箱絵を参考に。
いつものようにジャーマングレーは使わず、イメージ的にやはり潜水艦は黒いもの・・・なのでエナメルフラットブラックのみでウォッシングして完成。
気持ち伊-56の方が黒が濃くなりました。伊-58はタミヤのウォーターラインキットがありますが、潜水艦はやはりフルハルで組みたいところ。
台座は船体下面の穴に対しキツキツなので少し削ってルーズにしたくらいが丁度良いです。
各部を観察。艦首の下半分には左右3門ずつ計6門の53cm魚雷発射管があります。その上には航空機のカナード翼のような動翼があり、ここら辺は水上艦とは違い水中で上下に機動する潜水艦である事をうかがわせます。とはいえこの時代の潜水艦はまだ今日の潜水艦ほどには深く潜れるものではなく、安全潜航深度100m、せいぜいが艦の全長分程度の深さまで。
艦橋、というか司令塔。上に伸びている3本は潜望鏡です。潜水艦ですが22号電探と13号電探が装備されています。
艦尾。舵の左右、スクリューの直後に水平尾翼があり、舵自体も垂直尾翼といった印象。
甲板に搭載された回天。回天は駆逐艦などに搭載された九三式61cm酸素魚雷の前に酸素タンクと操縦席を取り付けたような構造で、55km/hの速度で23kmの航続距離があります。ハッチは内側からも開けられますが55km/hで水中を航行中に外に出られるわけはなく、どのみち一度発進したら搭乗員は助からないものでした。よく「甲標的」と勘違いされますが、甲標的は短魚雷の発射能力を持つミニ潜水艦といえるもので、対して回天は誘導魚雷の誘導装置が人間であると思えばわかりやすいでしょうか。
伊54型潜水艦は元々司令塔の前に筒型の航空機格納庫をもち、専用の零式小型水上偵察機を1機搭載、前甲板にカタパルトとクレーン、40口径14cm単装砲などを装備していましたが、伊-58だけは竣工時から14cm砲をオミットされており、回天搭載の改装時には伊-56も14cm砲を撤去されています。
1945年に入り前甲板に2基の回天を搭載した際にここにあった航空艤装も撤去され、魚雷以外の兵装は司令塔にある25mm連装機銃1基のみとなっています。
特Ⅲ型駆逐艦の響(上)と神風型駆逐艦の疾風(下)と。全長108.7mと駆逐艦と同程度の全長があり、今日の攻撃型潜水艦が70~80m程度なのに対し長いですが性能的には天地ほどの差があります。これはまだ水上艦の延長線上にあった形のためで、水上航行時の速度に関してはむしろ今日の潜水艦よりも高速でした(水中では3~4倍の速度差になります)
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潜水艦キットは水上艦とはやや趣が違う印象があり、興味が無い人は無いし持ちにくいかもしれません。種類もあまり多くなく、古くて作りが簡単なキットも多いため作り応えが無い・・・と感じるでしょう。今回のキットはデカールで差異はつけられるもののフジミの駆逐艦2隻セットと似て装備違いが作れないくせに全く同じものが2つ出来上がるものではありますが、1隻だけだと間違いなく物足りません。ただ出来自体は良好なので興味のある人はどうぞ。
アオシマ1/700ウォーターラインシリーズの軽巡洋艦大淀1944です。
大淀のキットは古くからあるフジミのものと新しいアオシマのものがありますが、ここしばらくアオシマ製が品薄だった時期にジョーシンに立ち寄った折り売られていたので早速買っておいたのがありました(零式三座水上偵察機と同時)。しかし積まれていたのを消化して順番待ちになっていた間に再生産されたのか現在は入手しやすくなっています。
箱サイズは同じアオシマの高雄や川内などと同じ大きさ。比較的コンパクト。
大淀は大淀型軽巡洋艦の1番艦。計画では2番艦として仁淀(によど)も建造される予定でしたが太平洋戦争勃発に伴う優先度からキャンセルされています。大淀型軽巡洋艦は潜水艦隊旗艦として広範囲の偵察能力を持たせるために新型の高速水上偵察機の運用を重視した艦です。潜水艦隊の旗艦として運用されていた旧式の球磨型軽巡洋艦を置き換える目的がありました。主砲を艦の前半に集中配置し、後半を航空艤装とする設計は利根型重巡洋艦と似たレイアウトですが、大淀では魚雷装備を省く代わりに大容積の格納庫を持ち水上偵察機を6機運用する事ができました。この艦のために専用の新型高速水上偵察機「紫雲(しうん)」も開発され、これを射出する専用の大型カタパルトまで装備していましたが、開発が難航しやっと出来上がってみれば問題点だらけという失敗作だったため運用は中止され、また潜水艦隊旗艦としての出番も無く、特殊な艦として浮いた存在のまま1943年2月に竣工、い号輸送作戦などに従事し翌1944年にトラック島が壊滅すると日本へ戻り、連合艦隊旗艦としての改装が行われます。この改装では水上機の搭載数を2機に減らし格納庫を司令部施設に改装、電探装備なども増備されました。そして連合艦隊旗艦としてマリアナ沖海戦やレイテ沖海戦に参加しますが、旗艦としての評価は旗艦というには防御力が低く、格納庫を3段に仕切った司令部施設は居住性が悪く、また改装により艦のバランスも崩しており「こんな艦より戦艦の方が・・・」と言われてしまう始末。その後艦隊旗艦の任を解かれ、フィリピン方面を転戦します。太平洋戦争末期最後の勝ち戦とされる礼号作戦では旗艦として建造されたはずの大淀やより大型の重巡洋艦である足柄を差し置いて朝潮型駆逐艦の霞が旗艦を務めていますが、大淀は不発弾2発を受けながらも活躍しました。1945年に入り北号作戦においては格納庫を貨物室に改装し「全滅覚悟」の輸送作戦を奇跡的に無傷で帰還しています。3月の呉軍港空襲では大きく損傷し、7月に再び呉において空襲を受け、同28日にはついに右に横転着底し最後を迎えます。
重巡並みの大きな艦なのでボリュームはそれなりにあります。
説明書はB5版で8ページ分に相当する横長の1枚紙。ただ1項目あたりの余白がやたら多く、見やすさ重視?
主要パーツ群。完成が重巡並みの大きさとはいえ重巡ほどパーツは多くない印象。新しいキットだけありモールドはシャキッとしています。
静模のディテールアップパーツ大型艦用が2枚付属します。アオシマのキットはここからも必須パーツとして利用しますが、やはり余りは多めに出ます。
説明書では艦橋や砲塔からですがいつも通り船体から組んでしまいます。船体パーツ、艦底パーツ、艦首甲板、後甲板、バラストとそれを押さえる小パーツ2個。
パーツ合わせは悪くないのですがアオシマらしく若干のスキマはあります。艦首甲板はゲート跡をしっかり処理し、後甲板は前側のスキマをプラ板などを差し込んで埋めてやると良いですが、しなくてもあまり目立ちません。甲板をリノリウム色として43ウッドブラウンで塗装。格納庫の屋根になるパーツも塗っておきます。砲塔の軸にはポリキャップが入りますが上から入れてフタをするような形なので後回しでOK。
リノリウム色になる部分以外を32軍艦色2で塗装。艦底色も塗ります。
甲板上に構造物を配置してゆきます。リノリウム押さえのモールドが干渉するのかややパーツと甲板との間に隙間が開きがちなのでゲート処理や仮組みを念入りに。
次々と配置して積み上げてゆきます。艦橋は細い足が2段目と4段目の左右に取りつく部分があり甲板上では手が入りづらいので4段目までは甲板に接着せずに作業した方がやりやすいでしょう。
大体載せ終えたところ。前マストは組んでから艦橋の後ろに設置しようとするとうまく合わないかもしれません。艦橋を接着後にマストのY字型のパーツを艦橋の後ろに沿わせ、A字型のパーツ下方の台状のパーツを削ってすり合わせながら取り付ける方が良いでしょう。艦橋の後ろに突き出してる台状の部分の寸法がやや合っていないのかここだけちょっと面倒でした。
単装機銃は10個配置します。配置する位置には穴も印も無いので説明書とにらめっこ。
静模のディテールアップパーツから零式三座水上偵察機を2機。塗装はハセガワの1/72をお手本にしました。やはり大きいのを作っておくと分かりやすい・・・
エナメルフラットブラックとジャーマングレーでウォッシングして完成。
あまり手が掛からない割にはスカスカ感は感じません。
船体側面もモールドが多いのでどの方向から見ても良し。
各部を観察。主砲は60口径三年式15.5cm3連装砲。これは最上型重巡洋艦の改装時に20.3cm砲と引き換えに降ろしたものを再利用したものと言われています。ただし砲塔そのままではなく、測距儀や揚弾筒を改良した砲架に砲のみを流用したとされています。折角の新型砲なのに同時期に建造された阿賀野型でこの砲が使われていないのは、砲塔重量が20.3cm連装砲塔より重いため阿賀野型の船体では小さすぎるからでしょうか。
艦中央部。集合煙突の左右に2基ずつ置かれている高角砲は「長10cm」こと65口径九八式10cm連装高角砲。空母大鳳に搭載のものの巡洋艦用であるA型改1砲架です。
艦後半。司令部施設に改装済みの「元」格納庫が特徴的。竣工時には格納庫の後方に長大な「紫雲」専用の二式1号10型カタパルトがありましたが改装後はポピュラーな2号5型カタパルトに換装されています。カタパルトの前後にはカタパルト上と同じ高さのフライングデッキがあり、2機の水上機を前後に移動させて入れ替え運用します。
右舷に回り艦尾。対潜装備や魚雷は大淀では装備されていません。艦尾のフライングデッキ上左右、格納庫後方左右、格納庫上に6、艦橋前面に2と合計12基の九六式25mm3連装機銃が配置されています。
右舷から格納庫周辺。格納庫の上には後部マストが建っており、その前面に13号電探が装備されています。格納庫は改装により内部を3階に間仕切りされて司令部設備が設置されており、そのため格納庫の上方にかけて重心が高くなってしまい竣工時よりも傾斜に対する復元性などが低下していたとされています。ただし竣工時から鈍重な艦だったわけでは決してなく、強力な機関により公試スペックでは35.5ノットとされているものの39.5ノットは出る、とされているほどの快速を誇り、改装前の実戦において45ノット出た、という話もあります。
右舷から艦前半。艦橋上には21号電探が1基、左右に22号電探が1基ずつ計2基が装備されています。ただし後部マストの13号電探も含めあまり調子が良いものではなかったらしく、特に艦橋上の電探は主砲発射の衝撃で故障する事があったようです。
大淀のような艦隊旗艦として指揮通信機能に特化した艦というのは似たようなものに大淀と同時期の米海軍アパラチアン級揚陸指揮艦や現代のブルーリッジ級がありますが、他では戦艦や巡洋艦などの大型艦が兼任しているか、陸上基地の司令部施設から指揮している場合がほとんどです。
水上機母艦千代田と。天蓋が大淀の格納庫と何となく似ているような。奇しくも双方全長が同じ192m。
阿賀野型軽巡洋艦の矢矧と。阿賀野型は5500t型と似た戦術思想のまま大型化してゆく巡洋艦の平均の中にあって出来るだけ小さく作った軽巡洋艦のため、大柄な大淀と比べると大分小さく見えます。
主砲繋がりで最上型「軽」巡洋艦の熊野と。日本の巡洋艦は軽重のカテゴリは後付けで5500t→古高型青葉型妙高型高雄型と流れてきているので最上型はたまたま軽巡カテゴリの砲を一時的に積んでいただけと見てもよいかと思います。なので最上型利根型と来て阿賀野型と大淀型に大小分かれたとみれば形的にもそんな流れかな・・・って感じがします。日本の軽巡の中では最大クラスの大淀ですが最上型よりは若干小さいです。
青葉型の衣笠と。重巡の小さい方と軽巡の大きい方。この辺りになると幅はほぼ同じですが長さは追い越します。
@@@
妙高型の足柄と並べて礼号作戦!霞も買ってあります。ああ清霜が無い!(夕雲型を無記名で作れば大体十分ですが・・・)
キットの難易度としては出来の割には低めかと思いますが、アオシマらしく簡単だと言ってしまえない部分がたまにあります。まあ作り始めてしまえば大抵何とかなるので大淀という艦に興味が出たらどうぞ。アオシマ以外にもフジミのものがあり、こちらの方がネット通販では多く見かけます。あちらの大淀は古いキットをエッチングパーツで盛り付けたちょっと初心者には厳しいキットなのでスキルの自信が無く失敗したくない人はアオシマのを買いましょう。フジミのもエッチングパーツなりの仕上がりの良さがあるのであちらはダメってわけではありません。お大尽な方はアオシマのにエッチングパーツもつけて買っちゃえ。
大淀のキットは古くからあるフジミのものと新しいアオシマのものがありますが、ここしばらくアオシマ製が品薄だった時期にジョーシンに立ち寄った折り売られていたので早速買っておいたのがありました(零式三座水上偵察機と同時)。しかし積まれていたのを消化して順番待ちになっていた間に再生産されたのか現在は入手しやすくなっています。
箱サイズは同じアオシマの高雄や川内などと同じ大きさ。比較的コンパクト。
大淀は大淀型軽巡洋艦の1番艦。計画では2番艦として仁淀(によど)も建造される予定でしたが太平洋戦争勃発に伴う優先度からキャンセルされています。大淀型軽巡洋艦は潜水艦隊旗艦として広範囲の偵察能力を持たせるために新型の高速水上偵察機の運用を重視した艦です。潜水艦隊の旗艦として運用されていた旧式の球磨型軽巡洋艦を置き換える目的がありました。主砲を艦の前半に集中配置し、後半を航空艤装とする設計は利根型重巡洋艦と似たレイアウトですが、大淀では魚雷装備を省く代わりに大容積の格納庫を持ち水上偵察機を6機運用する事ができました。この艦のために専用の新型高速水上偵察機「紫雲(しうん)」も開発され、これを射出する専用の大型カタパルトまで装備していましたが、開発が難航しやっと出来上がってみれば問題点だらけという失敗作だったため運用は中止され、また潜水艦隊旗艦としての出番も無く、特殊な艦として浮いた存在のまま1943年2月に竣工、い号輸送作戦などに従事し翌1944年にトラック島が壊滅すると日本へ戻り、連合艦隊旗艦としての改装が行われます。この改装では水上機の搭載数を2機に減らし格納庫を司令部施設に改装、電探装備なども増備されました。そして連合艦隊旗艦としてマリアナ沖海戦やレイテ沖海戦に参加しますが、旗艦としての評価は旗艦というには防御力が低く、格納庫を3段に仕切った司令部施設は居住性が悪く、また改装により艦のバランスも崩しており「こんな艦より戦艦の方が・・・」と言われてしまう始末。その後艦隊旗艦の任を解かれ、フィリピン方面を転戦します。太平洋戦争末期最後の勝ち戦とされる礼号作戦では旗艦として建造されたはずの大淀やより大型の重巡洋艦である足柄を差し置いて朝潮型駆逐艦の霞が旗艦を務めていますが、大淀は不発弾2発を受けながらも活躍しました。1945年に入り北号作戦においては格納庫を貨物室に改装し「全滅覚悟」の輸送作戦を奇跡的に無傷で帰還しています。3月の呉軍港空襲では大きく損傷し、7月に再び呉において空襲を受け、同28日にはついに右に横転着底し最後を迎えます。
重巡並みの大きな艦なのでボリュームはそれなりにあります。
説明書はB5版で8ページ分に相当する横長の1枚紙。ただ1項目あたりの余白がやたら多く、見やすさ重視?
主要パーツ群。完成が重巡並みの大きさとはいえ重巡ほどパーツは多くない印象。新しいキットだけありモールドはシャキッとしています。
静模のディテールアップパーツ大型艦用が2枚付属します。アオシマのキットはここからも必須パーツとして利用しますが、やはり余りは多めに出ます。
説明書では艦橋や砲塔からですがいつも通り船体から組んでしまいます。船体パーツ、艦底パーツ、艦首甲板、後甲板、バラストとそれを押さえる小パーツ2個。
パーツ合わせは悪くないのですがアオシマらしく若干のスキマはあります。艦首甲板はゲート跡をしっかり処理し、後甲板は前側のスキマをプラ板などを差し込んで埋めてやると良いですが、しなくてもあまり目立ちません。甲板をリノリウム色として43ウッドブラウンで塗装。格納庫の屋根になるパーツも塗っておきます。砲塔の軸にはポリキャップが入りますが上から入れてフタをするような形なので後回しでOK。
リノリウム色になる部分以外を32軍艦色2で塗装。艦底色も塗ります。
甲板上に構造物を配置してゆきます。リノリウム押さえのモールドが干渉するのかややパーツと甲板との間に隙間が開きがちなのでゲート処理や仮組みを念入りに。
次々と配置して積み上げてゆきます。艦橋は細い足が2段目と4段目の左右に取りつく部分があり甲板上では手が入りづらいので4段目までは甲板に接着せずに作業した方がやりやすいでしょう。
大体載せ終えたところ。前マストは組んでから艦橋の後ろに設置しようとするとうまく合わないかもしれません。艦橋を接着後にマストのY字型のパーツを艦橋の後ろに沿わせ、A字型のパーツ下方の台状のパーツを削ってすり合わせながら取り付ける方が良いでしょう。艦橋の後ろに突き出してる台状の部分の寸法がやや合っていないのかここだけちょっと面倒でした。
単装機銃は10個配置します。配置する位置には穴も印も無いので説明書とにらめっこ。
静模のディテールアップパーツから零式三座水上偵察機を2機。塗装はハセガワの1/72をお手本にしました。やはり大きいのを作っておくと分かりやすい・・・
エナメルフラットブラックとジャーマングレーでウォッシングして完成。
あまり手が掛からない割にはスカスカ感は感じません。
船体側面もモールドが多いのでどの方向から見ても良し。
各部を観察。主砲は60口径三年式15.5cm3連装砲。これは最上型重巡洋艦の改装時に20.3cm砲と引き換えに降ろしたものを再利用したものと言われています。ただし砲塔そのままではなく、測距儀や揚弾筒を改良した砲架に砲のみを流用したとされています。折角の新型砲なのに同時期に建造された阿賀野型でこの砲が使われていないのは、砲塔重量が20.3cm連装砲塔より重いため阿賀野型の船体では小さすぎるからでしょうか。
艦中央部。集合煙突の左右に2基ずつ置かれている高角砲は「長10cm」こと65口径九八式10cm連装高角砲。空母大鳳に搭載のものの巡洋艦用であるA型改1砲架です。
艦後半。司令部施設に改装済みの「元」格納庫が特徴的。竣工時には格納庫の後方に長大な「紫雲」専用の二式1号10型カタパルトがありましたが改装後はポピュラーな2号5型カタパルトに換装されています。カタパルトの前後にはカタパルト上と同じ高さのフライングデッキがあり、2機の水上機を前後に移動させて入れ替え運用します。
右舷に回り艦尾。対潜装備や魚雷は大淀では装備されていません。艦尾のフライングデッキ上左右、格納庫後方左右、格納庫上に6、艦橋前面に2と合計12基の九六式25mm3連装機銃が配置されています。
右舷から格納庫周辺。格納庫の上には後部マストが建っており、その前面に13号電探が装備されています。格納庫は改装により内部を3階に間仕切りされて司令部設備が設置されており、そのため格納庫の上方にかけて重心が高くなってしまい竣工時よりも傾斜に対する復元性などが低下していたとされています。ただし竣工時から鈍重な艦だったわけでは決してなく、強力な機関により公試スペックでは35.5ノットとされているものの39.5ノットは出る、とされているほどの快速を誇り、改装前の実戦において45ノット出た、という話もあります。
右舷から艦前半。艦橋上には21号電探が1基、左右に22号電探が1基ずつ計2基が装備されています。ただし後部マストの13号電探も含めあまり調子が良いものではなかったらしく、特に艦橋上の電探は主砲発射の衝撃で故障する事があったようです。
大淀のような艦隊旗艦として指揮通信機能に特化した艦というのは似たようなものに大淀と同時期の米海軍アパラチアン級揚陸指揮艦や現代のブルーリッジ級がありますが、他では戦艦や巡洋艦などの大型艦が兼任しているか、陸上基地の司令部施設から指揮している場合がほとんどです。
水上機母艦千代田と。天蓋が大淀の格納庫と何となく似ているような。奇しくも双方全長が同じ192m。
阿賀野型軽巡洋艦の矢矧と。阿賀野型は5500t型と似た戦術思想のまま大型化してゆく巡洋艦の平均の中にあって出来るだけ小さく作った軽巡洋艦のため、大柄な大淀と比べると大分小さく見えます。
主砲繋がりで最上型「軽」巡洋艦の熊野と。日本の巡洋艦は軽重のカテゴリは後付けで5500t→古高型青葉型妙高型高雄型と流れてきているので最上型はたまたま軽巡カテゴリの砲を一時的に積んでいただけと見てもよいかと思います。なので最上型利根型と来て阿賀野型と大淀型に大小分かれたとみれば形的にもそんな流れかな・・・って感じがします。日本の軽巡の中では最大クラスの大淀ですが最上型よりは若干小さいです。
青葉型の衣笠と。重巡の小さい方と軽巡の大きい方。この辺りになると幅はほぼ同じですが長さは追い越します。
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妙高型の足柄と並べて礼号作戦!霞も買ってあります。ああ清霜が無い!(夕雲型を無記名で作れば大体十分ですが・・・)
キットの難易度としては出来の割には低めかと思いますが、アオシマらしく簡単だと言ってしまえない部分がたまにあります。まあ作り始めてしまえば大抵何とかなるので大淀という艦に興味が出たらどうぞ。アオシマ以外にもフジミのものがあり、こちらの方がネット通販では多く見かけます。あちらの大淀は古いキットをエッチングパーツで盛り付けたちょっと初心者には厳しいキットなのでスキルの自信が無く失敗したくない人はアオシマのを買いましょう。フジミのもエッチングパーツなりの仕上がりの良さがあるのであちらはダメってわけではありません。お大尽な方はアオシマのにエッチングパーツもつけて買っちゃえ。
ピットロード1/700スカイウェーブシリーズの駆逐艦夕雲です。
夕雲は夕雲型駆逐艦の1番艦。艦により性能にバラつきのあった陽炎型駆逐艦の性能を整えた改良型、完成形ともいえるのが夕雲型駆逐艦です。夕雲は太平洋戦争開戦の直前である1941年12月5日に竣工、翌年3月には続いて竣工した2番艦の巻雲と共に第10駆逐隊を編成し、ミッドウェー海戦を初陣としてガダルカナル島、ソロモン諸島、キスカ島等各地を転戦します。そして1943年10月6日、ベララベラ海戦において米駆逐艦隊と交戦中集中砲火を浴びて大破、魚雷も受けこれがとどめとなって沈没します。夕雲型駆逐艦は19隻が建造されましたが太平洋戦争における最新鋭の主力駆逐艦であったためその全てが最前線で戦い散ってゆきました。
箱下面はカラーの塗装指示。夕雲から藤波までの11艦どれにも出来ますが早波から清霜まではデカールが無いため出来ません。とはいえ戦中は記名が消されており、そもそも夕雲型は夕雲以外全て戦中の竣工なのであまり気にする必要も無いのですが。ただし竣工が後になった艦ほど機銃などが増備されているためそのあたりは別途資料が必要です。
箱に対してややちんまりした内容物。
説明書はA4サイズの1枚紙。1のBが三連装機銃と書かれていますが連装(2連装)の間違いです。キット自体はそう新しいものでもないので構成は比較的シンプル。陽炎型とほど同難易度でしょうか。
パーツは2枚のランナーとデカールのみ。ディテールはピットロードらしく良好ですが船体側面の舷窓が浅く、それ以外にモールドが無いのでちょっと物足りないか。
サッと船体を組んでしまいます。船体パーツと艦底パーツ、艦首甲板(鉄板モールドの位置のみ)が別パーツなので接着します。パーツ合わせは悪くないですがガッチリ嵌合するようなものではないので接着剤が生乾きの状態で船体をいじっていると反ったりなどクセが付きやすいので平らな台の上に置いて丸1日くらいは硬化時間を取りたいところ。
舷外電路を伸ばしランナーで追加しました。以前磯風の時に太すぎたので細めに。
舷窓もピンバイスで開け直し、リノリウム色として43ウッドブラウンを塗装。
32軍艦色2を塗装。全部筆塗りです。
陽炎型とほとんど同じなので手慣れたもの。難しいところも無くサクサク組めます。
手ごたえが足りないので伸ばしランナーで手摺りでもやってみるか、と艦橋の後ろの部分だけやってみましたがやっぱ無理!こういうところはやはり素直にエッチングパーツの厄介になるべき・・・
エナメルフラットブラックとジャーマングレーでウォッシングして完成。旗はうっかり破いてしまったのでウォーターラインシリーズの紙シールで代用。
再現時期は開戦時。夕雲の場合は竣工時といってもよいでしょう。
舷外電路はお手軽な割りに効果が高いように感じます。電路のディテールにまでこだわるときりが無いですが・・・
各部を観察。主砲塔は50口径三年式12.7cm連装砲塔。夕雲型では新型のD型砲塔になります。D型砲塔は陽炎型のC型の仰角を55度からB型同様の75度に再び戻しており、今度は対空対応の射撃指揮装置もちゃんと備えています。ただし装填時に平射角度に戻さなければならない点はそのままであり、あまり対空射撃に向いていないのは変わりません。
陽炎型との見た目の違いとして艦橋の形状の違いがあり、陽炎型では垂直に立った構造の上部がマッシュルームのように膨らんだ形状をしていましたが、夕雲型では角錐台形で上部が膨らんでおらず、ハッキリ違う形を成しています。
艦中央部。マストを含めほぼ陽炎型と同様の構成ですが、1番煙突の左右にあるスキッドビームは真横に出ており、やや後方に傾いていた陽炎型とは異なります。
艦後半。陽炎型より艦尾が50cm延長されていますが、キットでは差異が感じられません。特型~陽炎型では大戦後半において2番砲塔を撤去して3連装機銃に換装する改装が行われましたが夕雲型では主砲が対空対応であったためかこの改装は行われませんでした。
右舷に回り艦尾周辺。艦尾の鉄板モールド部分の両舷には爆雷投下台(左右舷の脇から爆雷をただ落とすだけ・・・)、その前方にはパラベーン(機雷を処理するための掃海具)、3番砲塔の直後には爆雷装填台とY砲(九四式爆雷投射機)があります。
再び艦中央部。2番煙突の前左右には九六式25mm連装機銃が2基置かれています。竣工時の対空機銃はこれだけですが後に竣工した艦では機銃が換装・増備されていっており、連装機銃が3連装に換装、1番煙突の後ろに3連装が2基、艦橋の前に連装1基、他単装多数が追加といった定番改装がされてゆきます。
艦前方。マストには電探はまだ装備されていませんが、22号や13号の電探が追加されてゆきます。
同ピットロードのフルハルモデル不知火(陽炎型)と。キット付属のハイディテールパーツで武装の見た目が若干違いますが、甲板上はほとんど同じ構成です。
艦橋の形状を比較。
艦後半はそっくりです。
アオシマの磯風(陽炎型)と。開戦時と大戦末期の装備差がかなりあります。
ピットロードの朝潮型と。陽炎型も夕雲型も元々朝潮型の改良型のため甲板上の構成はかなり似ています。
具体的には魚雷装填装置が2番煙突の左右にあったのが1番煙突の左右に移設されたのが外観上のわかりやすい違い。2番煙突の真下には主機関があり、魚雷装填装置が被弾爆発すると主機関も巻き添えになりやすいため、陽炎型からはそこを避けて前方に移されました。
@@@
駆逐艦キットを組んでゆくとおのずと辿り着くのが夕雲型。キット自体はピットロードのキットの中では朝潮型・陽炎型と違いが少なく、そちらを組んだ後なら勝手が分かって組みやすいハズです。いきなりこれから組んでもそれほど難しいところは無いキットなので、まあ初心者の2個目以降くらい向けでしょうか?
ピットロードの他ではハセガワが夕雲型のキットを出していますが、そちらは40年以上前の設計で今の目で見るとかなり陳腐化しています。夕雲型は大戦中の竣工が大半であり、最小限の演習で次々と戦地へ赴いたためあまり派手な活躍が無く地味な存在です。そのためかキット展開もやや放置気味なのが寂しいところです。
夕雲は夕雲型駆逐艦の1番艦。艦により性能にバラつきのあった陽炎型駆逐艦の性能を整えた改良型、完成形ともいえるのが夕雲型駆逐艦です。夕雲は太平洋戦争開戦の直前である1941年12月5日に竣工、翌年3月には続いて竣工した2番艦の巻雲と共に第10駆逐隊を編成し、ミッドウェー海戦を初陣としてガダルカナル島、ソロモン諸島、キスカ島等各地を転戦します。そして1943年10月6日、ベララベラ海戦において米駆逐艦隊と交戦中集中砲火を浴びて大破、魚雷も受けこれがとどめとなって沈没します。夕雲型駆逐艦は19隻が建造されましたが太平洋戦争における最新鋭の主力駆逐艦であったためその全てが最前線で戦い散ってゆきました。
箱下面はカラーの塗装指示。夕雲から藤波までの11艦どれにも出来ますが早波から清霜まではデカールが無いため出来ません。とはいえ戦中は記名が消されており、そもそも夕雲型は夕雲以外全て戦中の竣工なのであまり気にする必要も無いのですが。ただし竣工が後になった艦ほど機銃などが増備されているためそのあたりは別途資料が必要です。
箱に対してややちんまりした内容物。
説明書はA4サイズの1枚紙。1のBが三連装機銃と書かれていますが連装(2連装)の間違いです。キット自体はそう新しいものでもないので構成は比較的シンプル。陽炎型とほど同難易度でしょうか。
パーツは2枚のランナーとデカールのみ。ディテールはピットロードらしく良好ですが船体側面の舷窓が浅く、それ以外にモールドが無いのでちょっと物足りないか。
サッと船体を組んでしまいます。船体パーツと艦底パーツ、艦首甲板(鉄板モールドの位置のみ)が別パーツなので接着します。パーツ合わせは悪くないですがガッチリ嵌合するようなものではないので接着剤が生乾きの状態で船体をいじっていると反ったりなどクセが付きやすいので平らな台の上に置いて丸1日くらいは硬化時間を取りたいところ。
舷外電路を伸ばしランナーで追加しました。以前磯風の時に太すぎたので細めに。
舷窓もピンバイスで開け直し、リノリウム色として43ウッドブラウンを塗装。
32軍艦色2を塗装。全部筆塗りです。
陽炎型とほとんど同じなので手慣れたもの。難しいところも無くサクサク組めます。
手ごたえが足りないので伸ばしランナーで手摺りでもやってみるか、と艦橋の後ろの部分だけやってみましたがやっぱ無理!こういうところはやはり素直にエッチングパーツの厄介になるべき・・・
エナメルフラットブラックとジャーマングレーでウォッシングして完成。旗はうっかり破いてしまったのでウォーターラインシリーズの紙シールで代用。
再現時期は開戦時。夕雲の場合は竣工時といってもよいでしょう。
舷外電路はお手軽な割りに効果が高いように感じます。電路のディテールにまでこだわるときりが無いですが・・・
各部を観察。主砲塔は50口径三年式12.7cm連装砲塔。夕雲型では新型のD型砲塔になります。D型砲塔は陽炎型のC型の仰角を55度からB型同様の75度に再び戻しており、今度は対空対応の射撃指揮装置もちゃんと備えています。ただし装填時に平射角度に戻さなければならない点はそのままであり、あまり対空射撃に向いていないのは変わりません。
陽炎型との見た目の違いとして艦橋の形状の違いがあり、陽炎型では垂直に立った構造の上部がマッシュルームのように膨らんだ形状をしていましたが、夕雲型では角錐台形で上部が膨らんでおらず、ハッキリ違う形を成しています。
艦中央部。マストを含めほぼ陽炎型と同様の構成ですが、1番煙突の左右にあるスキッドビームは真横に出ており、やや後方に傾いていた陽炎型とは異なります。
艦後半。陽炎型より艦尾が50cm延長されていますが、キットでは差異が感じられません。特型~陽炎型では大戦後半において2番砲塔を撤去して3連装機銃に換装する改装が行われましたが夕雲型では主砲が対空対応であったためかこの改装は行われませんでした。
右舷に回り艦尾周辺。艦尾の鉄板モールド部分の両舷には爆雷投下台(左右舷の脇から爆雷をただ落とすだけ・・・)、その前方にはパラベーン(機雷を処理するための掃海具)、3番砲塔の直後には爆雷装填台とY砲(九四式爆雷投射機)があります。
再び艦中央部。2番煙突の前左右には九六式25mm連装機銃が2基置かれています。竣工時の対空機銃はこれだけですが後に竣工した艦では機銃が換装・増備されていっており、連装機銃が3連装に換装、1番煙突の後ろに3連装が2基、艦橋の前に連装1基、他単装多数が追加といった定番改装がされてゆきます。
艦前方。マストには電探はまだ装備されていませんが、22号や13号の電探が追加されてゆきます。
同ピットロードのフルハルモデル不知火(陽炎型)と。キット付属のハイディテールパーツで武装の見た目が若干違いますが、甲板上はほとんど同じ構成です。
艦橋の形状を比較。
艦後半はそっくりです。
アオシマの磯風(陽炎型)と。開戦時と大戦末期の装備差がかなりあります。
ピットロードの朝潮型と。陽炎型も夕雲型も元々朝潮型の改良型のため甲板上の構成はかなり似ています。
具体的には魚雷装填装置が2番煙突の左右にあったのが1番煙突の左右に移設されたのが外観上のわかりやすい違い。2番煙突の真下には主機関があり、魚雷装填装置が被弾爆発すると主機関も巻き添えになりやすいため、陽炎型からはそこを避けて前方に移されました。
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駆逐艦キットを組んでゆくとおのずと辿り着くのが夕雲型。キット自体はピットロードのキットの中では朝潮型・陽炎型と違いが少なく、そちらを組んだ後なら勝手が分かって組みやすいハズです。いきなりこれから組んでもそれほど難しいところは無いキットなので、まあ初心者の2個目以降くらい向けでしょうか?
ピットロードの他ではハセガワが夕雲型のキットを出していますが、そちらは40年以上前の設計で今の目で見るとかなり陳腐化しています。夕雲型は大戦中の竣工が大半であり、最小限の演習で次々と戦地へ赴いたためあまり派手な活躍が無く地味な存在です。そのためかキット展開もやや放置気味なのが寂しいところです。
アオシマ1/700ウォーターラインシリーズの軽巡洋艦川内1933です。
川内は5500t型軽巡洋艦の最終型である川内型軽巡洋艦の1番艦。1924年に竣工し戦間期にあたる太平洋戦争の前の時期にあっても上海事変や日中戦争でも重要な働きをしています。
太平洋戦争においては第3水雷戦隊の旗艦として駆逐隊を率いて各地で活躍し、最後は1943年11月、ブーゲンビル島沖海戦において駆逐艦時雨と衝突しそうになったところを敵艦隊の集中砲火を浴びて航行不能となり、その後に沈没します。
ウォーターラインシリーズの川内型軽巡洋艦のキットはフジミの担当でしたがフジミ脱退後にアオシマが補完したのが当キットのシリーズ。といってもフジミ脱退後10年以上経ってから作られたキットなので5500t型のキットの中ではかなり新しいものです。フジミの川内型は神通と那珂だけで川内は今でも無いので川内のキットはアオシマ一択ですが、年代の違いにより2種類(戦中仕様である1943と戦間期仕様の1933)あり、今回のものは艦橋が艦載機格納庫を兼ね、艦橋前に2番砲塔を跨ぐようにして航空機滑走台が設置されている時代の姿を再現したものとなっています。那珂にも1933がありますが那珂は艦首形状が川内とは違うため差別化されており、神通は滑走台の代わりに呉式2号2型カタパルトを艦橋前に装備したものになっています。
川内1933 航空機滑走台装備
川内1943 最終時
神通1933 艦橋前カタパルト装備
神通1942 最終時
那珂1933 航空機滑走台装備(アオシマのサイトのラインナップからは消えています)
那珂1943 クリスマス島での損傷修理後?
ボリュームはそこそこあります。
説明書はB4版を二つ折りにしたもの。長文が1943仕様寄りで、塗装指示の文中「この時代」がこのキットだと噛み合わないため各自で解釈しましょう。
主要パーツ群。1943仕様のパーツも多く含まれていますが、船体パーツは別物なのでこちらから1943仕様に組む事はできません。
静模のディテールアップパーツ大型艦用が2枚付属。錨や探照灯、内火艇&カッターにボートダビットなどをこちらから使用しますが、砲や機銃は一切使用しないのでかなり余る印象。
前述の通り拡大されたセルター甲板やウェルデッキを埋めるパーツなどが目立ちます。
モールドの具合はアオシマらしい角のダレたオーバーディテール気味のもの。ただし船体側面は浅い舷窓が申し訳程度にあるだけで若干寂しく感じるかもしれません。
船体はウェルデッキより前の甲板のみ別パーツ。後部魚雷発射管は艦内にあるので艦底パーツを貼る前にこの周辺のみ先に塗装して組んでおきます。
バラストは置いておくだででも上下パーツに挟まれて固定されますが、僅かな寸法差で船体パーツと艦底パーツとの間に隙間が開きがち。前甲板を接着してから艦底と貼り合わせ、かなり重めに重しをして乾燥待ちをするとよいでしょう。その後にリノリウム色として43ウッドブラウンを塗装。
32軍艦色2と29艦底色を塗装。今回は全部筆塗りです。
甲板上にパーツを配置してゆきます。艦橋と滑走台は一体化しているので滑走台の下になる2番砲塔は艦橋より先に。砲塔は差し込むだけでもそこそこ保持力があるので可動を見込んで接着せずにおきます。
特にこれといった障害も無く、すんなりと組み進められます。ボートダビットの取り付け位置は例によって印も穴も何も無いので説明書や資料を見ながら。3番煙突左右のボートダビットだけは甲板の上ではなく側面に接着するのが正解だったかも?
小パーツはそう多くありませんが組みやすくするため省略気味で、特に旗があるのに旗竿が無いのが気になります。伸ばしランナーで旗竿だけ自作しました。
エナメルフラットブラックとジャーマングレーでウォッシングして完成。素組みならせいぜい1日で完成させられる程度の労力。
時代が古いので機銃が全然無く、甲板上も後半がややスカスカですが貧相、というほどでもありません。
エッチングパーツでデコレーションするにも専用品は無いでしょうから汎用品で、となります。使いまわすならともかくこれのために汎用品のエッチングパーツを揃えると高くつきそう。
各部を観察。川内型の艦首形状は川内だけは最初から最後までスプーン型を成していました。神通は事故で艦首がえぐれたのを直すついでに、那珂は震災で竣工がもたついてるうちに設計変更し、共にダブルカーブ型に改められています。
当キットの見どころである、艦載機格納庫を兼ねた艦橋と、その前に伸びる航空機滑走台。水雷戦隊の旗艦を担う軽巡洋艦に偵察用の航空機を搭載する事の有用性は古くからあり、球磨型軽巡洋艦の頃から実行に移されました。球磨型では後部セルター甲板に格納庫を設置し、クレーンでセルター甲板上へ艦載機を出してそこで組み立て、またクレーンで水上に降ろす、という運用をしていました。しかしこれは非常に手間と時間が掛かるため球磨型の末艦である木曽からは艦橋内に格納庫を内蔵させ、その前に可動式の滑走台(前だけでなく横へも向けられるようになっていました)を設置して発進だけを速やかに行えるようにしました。搭載機もフロートの付いた水上機ではなく、空母艦載機のような車輪式のものが搭載されていました。長良型からは固定式の滑走台が設置され、川内型まで装備され続けました。
キットには正しい艦載機が付属しないのでフジミ龍驤の艦載機で代用して置いてみたところ。実際に搭載していた航空機はイマイチ資料に乏しいですが一四式水上偵察機や九〇式一号または二号偵察機だったようです。これらは複葉の小型機であり、こんな短い滑走台でも発艦出来ました(当然空母と同様に艦自体も全速で航行し発艦を手助けする必要があったでしょう)。しかしこの方式では発艦した偵察機を再び着艦収容する事が出来ないため、発艦した偵察機は陸上基地へ、偵察機を発艦させた艦は寄港するまで偵察機を再び使う事が出来ません。結局実用的では無いとしてカタパルトが実用化されるとこれと水上偵察機の組み合わせへと移行、長良型の由良や鬼怒で試験をした後、鬼怒に装備されていたカタパルトが神通に移されました。最終的にはセルター甲板上にカタパルトを移し、格納庫からの出し入れを省略して水上機はカタパルト上に露天係止される方式に落ち着きました。
艦橋と寄り添う形で建つマスト。航空機滑走台は後に撤去され、艦橋前の付け根の位置を少し残し機銃台として利用しました。艦橋も時代に合わせて密閉化されたり層が増やされたりして近代化されてゆきます。
川内型の特徴である、真っ直ぐそそり立つ4本の煙突。長良型までは3本でしたが、川内型の設計にあたり燃料事情の悪化を見越して主機関のうち重油専焼缶を減らし石炭混焼缶を増やしたため煙突が1本増えています。
1・2番煙突の間にあるウェルデッキには連装魚雷発射管が左右1基ずつ置かれていますが、太平洋戦争中の改装により神通と那珂はここが兵員室に置き換えられて埋められたのに対し、川内は最後までウェルデッキと連装魚雷発射管がのこされていました。
セルター甲板。ここはまだ貧相なマストと単装砲塔が並んでいるだけです。後にここはセルター甲板の面積が拡がられ、カタパルトが置かれてマストにはクレーン等が取り付けられ凝縮感が出てきます。
艦尾。機雷投下軌条が2条設置されています。
艦尾周辺の兵装の変遷についてはググってもイマイチよくわかりません。那珂はすぐ出てくるのですが・・・
数少ない対空兵装として、2番煙突の左右(ウェルデッキの直後)に40口径三年式8cm単装高角砲があります。見ての通り砲塔はおろか防盾も無い剥き出しの砲で、連射速度は毎分13発。普通の人力装填式の大砲を空に向けて撃てるようにしたという程度のもので、対空兵装としてはあまりにも不足なのは明らかです。1933年仕様だとまだ残っていますが、1936年頃までには九三式13mm連装機銃に置き換えられています。この他、竣工時に毘式6.5mm、1927年頃に留式7.7mmに換装された単装機銃が2挺装備されていたとされますが、位置はあまりはっきりしていません。
艦橋を後方から。
砲塔の可動を残しているので6門を左舷方向に向けたところ。主砲塔は50口径三年式14cm単装砲塔。5500t型軽巡洋艦の標準兵装であり、後方の開いた防盾を装備した人力装填砲です。基本的に横へ向けて撃つ配置となっており、川内型では7基の砲塔のうち、艦橋の左右にある片方以外の6門を同時に左右どちらかに斉射できるようになっています。ただし単横陣(艦隊が横1列に並び全艦が正面を向く)において正面へは1番と艦橋左右の3・4番の3門のみ、後方へは7番のみと前後への発射は不得意。
フジミ那珂と。この那珂は魚雷が連装でウェルデッキが残っている以外は最終時と中途半端な姿。エッチングパーツ付きだったので派手ですが、現在売られている特-105とエッチングパーツ以外は同じものです。
艦首から艦橋まで全然別の艦に見えます。フジミの那珂は40年以上前からあるもので成型不良やバリが強烈で結構な難物。それでも長良型よりはマシなのですが・・・
艦中央部。煙突はフジミの方が太く、ディテールが浅くてポテッとしている印象。ただ船体側面の舷窓などはフジミの方がハッキリしています。
年代が違うので後半は全然違いますが、配置物が多くエッチングパーツが多用されている那珂に較べるとアオシマ川内1933はこの辺りかなり寂しい。
奥からタミヤ球磨、フジミ名取、アオシマ川内1933、フジミ那珂。素組みでの作りはまだタミヤが強いでしょうか。川内1933と近い年代のものはタミヤの木曽が同時代(昭和7年頃・1932年)の再現なのでそちらと並べるのには良いかもしれません。
@@@
駆逐艦キット並みに組みやすくてサッと出来上がりますが5500t型軽巡洋艦のキットで括るとフジミよりは大幅に作りやすいもののタミヤと較べたら平凡なキットです。でもこんな変な時代の仕様のキットはアオシマくらいしか出さないでしょうから、存在価値は十分にあります。同時代の同社の初春型と並べるとやや貧相なので並べたい場合は少し手を加えてやりたいところです。ちょっと物足りないですが、存在には意義を感じるキットです。
川内は5500t型軽巡洋艦の最終型である川内型軽巡洋艦の1番艦。1924年に竣工し戦間期にあたる太平洋戦争の前の時期にあっても上海事変や日中戦争でも重要な働きをしています。
太平洋戦争においては第3水雷戦隊の旗艦として駆逐隊を率いて各地で活躍し、最後は1943年11月、ブーゲンビル島沖海戦において駆逐艦時雨と衝突しそうになったところを敵艦隊の集中砲火を浴びて航行不能となり、その後に沈没します。
ウォーターラインシリーズの川内型軽巡洋艦のキットはフジミの担当でしたがフジミ脱退後にアオシマが補完したのが当キットのシリーズ。といってもフジミ脱退後10年以上経ってから作られたキットなので5500t型のキットの中ではかなり新しいものです。フジミの川内型は神通と那珂だけで川内は今でも無いので川内のキットはアオシマ一択ですが、年代の違いにより2種類(戦中仕様である1943と戦間期仕様の1933)あり、今回のものは艦橋が艦載機格納庫を兼ね、艦橋前に2番砲塔を跨ぐようにして航空機滑走台が設置されている時代の姿を再現したものとなっています。那珂にも1933がありますが那珂は艦首形状が川内とは違うため差別化されており、神通は滑走台の代わりに呉式2号2型カタパルトを艦橋前に装備したものになっています。
川内1933 航空機滑走台装備
川内1943 最終時
神通1933 艦橋前カタパルト装備
神通1942 最終時
那珂1933 航空機滑走台装備(アオシマのサイトのラインナップからは消えています)
那珂1943 クリスマス島での損傷修理後?
ボリュームはそこそこあります。
説明書はB4版を二つ折りにしたもの。長文が1943仕様寄りで、塗装指示の文中「この時代」がこのキットだと噛み合わないため各自で解釈しましょう。
主要パーツ群。1943仕様のパーツも多く含まれていますが、船体パーツは別物なのでこちらから1943仕様に組む事はできません。
静模のディテールアップパーツ大型艦用が2枚付属。錨や探照灯、内火艇&カッターにボートダビットなどをこちらから使用しますが、砲や機銃は一切使用しないのでかなり余る印象。
前述の通り拡大されたセルター甲板やウェルデッキを埋めるパーツなどが目立ちます。
モールドの具合はアオシマらしい角のダレたオーバーディテール気味のもの。ただし船体側面は浅い舷窓が申し訳程度にあるだけで若干寂しく感じるかもしれません。
船体はウェルデッキより前の甲板のみ別パーツ。後部魚雷発射管は艦内にあるので艦底パーツを貼る前にこの周辺のみ先に塗装して組んでおきます。
バラストは置いておくだででも上下パーツに挟まれて固定されますが、僅かな寸法差で船体パーツと艦底パーツとの間に隙間が開きがち。前甲板を接着してから艦底と貼り合わせ、かなり重めに重しをして乾燥待ちをするとよいでしょう。その後にリノリウム色として43ウッドブラウンを塗装。
32軍艦色2と29艦底色を塗装。今回は全部筆塗りです。
甲板上にパーツを配置してゆきます。艦橋と滑走台は一体化しているので滑走台の下になる2番砲塔は艦橋より先に。砲塔は差し込むだけでもそこそこ保持力があるので可動を見込んで接着せずにおきます。
特にこれといった障害も無く、すんなりと組み進められます。ボートダビットの取り付け位置は例によって印も穴も何も無いので説明書や資料を見ながら。3番煙突左右のボートダビットだけは甲板の上ではなく側面に接着するのが正解だったかも?
小パーツはそう多くありませんが組みやすくするため省略気味で、特に旗があるのに旗竿が無いのが気になります。伸ばしランナーで旗竿だけ自作しました。
エナメルフラットブラックとジャーマングレーでウォッシングして完成。素組みならせいぜい1日で完成させられる程度の労力。
時代が古いので機銃が全然無く、甲板上も後半がややスカスカですが貧相、というほどでもありません。
エッチングパーツでデコレーションするにも専用品は無いでしょうから汎用品で、となります。使いまわすならともかくこれのために汎用品のエッチングパーツを揃えると高くつきそう。
各部を観察。川内型の艦首形状は川内だけは最初から最後までスプーン型を成していました。神通は事故で艦首がえぐれたのを直すついでに、那珂は震災で竣工がもたついてるうちに設計変更し、共にダブルカーブ型に改められています。
当キットの見どころである、艦載機格納庫を兼ねた艦橋と、その前に伸びる航空機滑走台。水雷戦隊の旗艦を担う軽巡洋艦に偵察用の航空機を搭載する事の有用性は古くからあり、球磨型軽巡洋艦の頃から実行に移されました。球磨型では後部セルター甲板に格納庫を設置し、クレーンでセルター甲板上へ艦載機を出してそこで組み立て、またクレーンで水上に降ろす、という運用をしていました。しかしこれは非常に手間と時間が掛かるため球磨型の末艦である木曽からは艦橋内に格納庫を内蔵させ、その前に可動式の滑走台(前だけでなく横へも向けられるようになっていました)を設置して発進だけを速やかに行えるようにしました。搭載機もフロートの付いた水上機ではなく、空母艦載機のような車輪式のものが搭載されていました。長良型からは固定式の滑走台が設置され、川内型まで装備され続けました。
キットには正しい艦載機が付属しないのでフジミ龍驤の艦載機で代用して置いてみたところ。実際に搭載していた航空機はイマイチ資料に乏しいですが一四式水上偵察機や九〇式一号または二号偵察機だったようです。これらは複葉の小型機であり、こんな短い滑走台でも発艦出来ました(当然空母と同様に艦自体も全速で航行し発艦を手助けする必要があったでしょう)。しかしこの方式では発艦した偵察機を再び着艦収容する事が出来ないため、発艦した偵察機は陸上基地へ、偵察機を発艦させた艦は寄港するまで偵察機を再び使う事が出来ません。結局実用的では無いとしてカタパルトが実用化されるとこれと水上偵察機の組み合わせへと移行、長良型の由良や鬼怒で試験をした後、鬼怒に装備されていたカタパルトが神通に移されました。最終的にはセルター甲板上にカタパルトを移し、格納庫からの出し入れを省略して水上機はカタパルト上に露天係止される方式に落ち着きました。
艦橋と寄り添う形で建つマスト。航空機滑走台は後に撤去され、艦橋前の付け根の位置を少し残し機銃台として利用しました。艦橋も時代に合わせて密閉化されたり層が増やされたりして近代化されてゆきます。
川内型の特徴である、真っ直ぐそそり立つ4本の煙突。長良型までは3本でしたが、川内型の設計にあたり燃料事情の悪化を見越して主機関のうち重油専焼缶を減らし石炭混焼缶を増やしたため煙突が1本増えています。
1・2番煙突の間にあるウェルデッキには連装魚雷発射管が左右1基ずつ置かれていますが、太平洋戦争中の改装により神通と那珂はここが兵員室に置き換えられて埋められたのに対し、川内は最後までウェルデッキと連装魚雷発射管がのこされていました。
セルター甲板。ここはまだ貧相なマストと単装砲塔が並んでいるだけです。後にここはセルター甲板の面積が拡がられ、カタパルトが置かれてマストにはクレーン等が取り付けられ凝縮感が出てきます。
艦尾。機雷投下軌条が2条設置されています。
艦尾周辺の兵装の変遷についてはググってもイマイチよくわかりません。那珂はすぐ出てくるのですが・・・
数少ない対空兵装として、2番煙突の左右(ウェルデッキの直後)に40口径三年式8cm単装高角砲があります。見ての通り砲塔はおろか防盾も無い剥き出しの砲で、連射速度は毎分13発。普通の人力装填式の大砲を空に向けて撃てるようにしたという程度のもので、対空兵装としてはあまりにも不足なのは明らかです。1933年仕様だとまだ残っていますが、1936年頃までには九三式13mm連装機銃に置き換えられています。この他、竣工時に毘式6.5mm、1927年頃に留式7.7mmに換装された単装機銃が2挺装備されていたとされますが、位置はあまりはっきりしていません。
艦橋を後方から。
砲塔の可動を残しているので6門を左舷方向に向けたところ。主砲塔は50口径三年式14cm単装砲塔。5500t型軽巡洋艦の標準兵装であり、後方の開いた防盾を装備した人力装填砲です。基本的に横へ向けて撃つ配置となっており、川内型では7基の砲塔のうち、艦橋の左右にある片方以外の6門を同時に左右どちらかに斉射できるようになっています。ただし単横陣(艦隊が横1列に並び全艦が正面を向く)において正面へは1番と艦橋左右の3・4番の3門のみ、後方へは7番のみと前後への発射は不得意。
フジミ那珂と。この那珂は魚雷が連装でウェルデッキが残っている以外は最終時と中途半端な姿。エッチングパーツ付きだったので派手ですが、現在売られている特-105とエッチングパーツ以外は同じものです。
艦首から艦橋まで全然別の艦に見えます。フジミの那珂は40年以上前からあるもので成型不良やバリが強烈で結構な難物。それでも長良型よりはマシなのですが・・・
艦中央部。煙突はフジミの方が太く、ディテールが浅くてポテッとしている印象。ただ船体側面の舷窓などはフジミの方がハッキリしています。
年代が違うので後半は全然違いますが、配置物が多くエッチングパーツが多用されている那珂に較べるとアオシマ川内1933はこの辺りかなり寂しい。
奥からタミヤ球磨、フジミ名取、アオシマ川内1933、フジミ那珂。素組みでの作りはまだタミヤが強いでしょうか。川内1933と近い年代のものはタミヤの木曽が同時代(昭和7年頃・1932年)の再現なのでそちらと並べるのには良いかもしれません。
@@@
駆逐艦キット並みに組みやすくてサッと出来上がりますが5500t型軽巡洋艦のキットで括るとフジミよりは大幅に作りやすいもののタミヤと較べたら平凡なキットです。でもこんな変な時代の仕様のキットはアオシマくらいしか出さないでしょうから、存在価値は十分にあります。同時代の同社の初春型と並べるとやや貧相なので並べたい場合は少し手を加えてやりたいところです。ちょっと物足りないですが、存在には意義を感じるキットです。